2018年1月8日月曜日

1178「伊達8」2018,1,8

 次の目的地は丸森町の駒場瀧不動尊公園です。内川の渓流には見事な巨石、その渓谷美は四季折々の自然をめでる方々が集う名所です。丸森の町の中心部から通り抜けて南下します。
 駒場瀧不動尊公園の紹介です。
「駒場の不動尊を中心とした公園です。駒場不動尊は、丸森から内川をさかのぼって南へ約6kmほど山間に入った堂平山(どうへいざん)の北麗、内川の右岸にあります。堂の創建年代は不明ですが渓流を挟んで高さ10数メートルの断崖がそば立ち、いかにも荒修行の地にふさわしい、深山幽谷といった景観に包まれています。
 累々と重なる岩石を洗って急流や深淵がいたるところにあり、上流には高さ12mの清滝もかかり、水石として価値の高い五色石の採集もできます。
 昔は丸森には修験者(山伏)のいる修験寺が沢山あり、不動尊境内にある愛敬院(本尊:不動明王)もその一つです。もともと修験宗とは役小角(えんのおずぬ)を祖とする古い仏教の一派で、護摩を焚き経文を唱え、祈祷を行い、自らは難行苦行を重ね、神験を習得することを業とし、かつては人々の願いを神仏に祈る仲立ちを行っていました。」



 冬の公園を散策して巨石を堪能し、内川に架かる赤い欄干の橋を渡って一番にそそり立つ烏帽子岩?の下に陣取り、皆さんであわ歌を歌いました。その後に「あゐうゑを」を発しました。なんとも良い響き愛です。


 その時のお言葉です。
「最果てなる大きなる地は、北の外れの大きな地。
 ここを定めて、この地球を真素直に戻す。
 渦と為せば全てが戻る。その期限迫り来て、この響き持ち行くことなり。
 北の地より発する事を望む。」10時45分

 果たして北の外れの大きな地とは何処でしょうか。そして北の地より発する事を望む。とあります。

 次の目的地は同じ丸森町の羽入の立石です。東根(隈東)の横綱といわれる立石です。
駐車場からかれこれ1キロほど、20分位の山登りです。朝日が燦燦と降り注いで暑い位です。皆さん登りきり暫し心地良い風に涼を求め休息です。









 立石に付いては以下の様にあります。
「立石 天然記念物 昭和41.10.5 指定 丸森町字泉72の1
 由来:丸森町の中心街から東南東約2kmの山の中腹にそびえ立ち、その高さ12.5m、周囲25mの大石である。その昔、阿倍貞任(1050ころ)が石上に立ったと言い伝えられるほど、以前から人々に注目されてきたものである。
 この巨大な石に対して、人々が何か信仰の対象にしたとも考えられ、石のまわりに、弥生式土器の破片や年代不明の貨幣などが発見されている。
 現況:丸森町羽入東の峰上にある柱状花崗岩である。巨大な岩石のため、筆甫街道上滝に至るまで、見る場所によってその姿を変え異様な感じを人々に与えている。」

「均整のとれた姿形は何かの石碑のようであり人工物を思わせるが、数百トンはあるだろうこの巨石をここまで運び上げることはまず不可能だろう。
 ここで思い出すのは、記紀神話の黄泉比良坂の物語に出てくる「千引きの岩」である。イザナギが黄泉の国からの脱出の際、千人で曳くほどの大きな岩で境界を塞ぎ、イザナミの追跡を逃れたという磐石のことである。この「千引きの岩」が「塞の神(さえのかみ)」の信仰に基づく原典とされている。この立石も岩の霊力で悪霊や災難の侵入を防ぐ、道祖神や石敢当(いしがんとう)のような「遮止」の役割は担っていたのではないだろうか。」
 
 立石に向かって、皆さんであわ歌を歌い、あわ歌の後に「あゐうゑを」発しました。太陽のエネルギーを満々と浴びながら心地良い風に乗り、あわ歌の響きは天空にこだましていきます。なんとも無空無の時です。中山さんも頭が失せて忘却の間に立ち入ったようです。





 その時のお言葉です。
「たとえ大きなるこの地の振動起こり来るとも、天空の支え見事に働き、
 この燈台を守りて、光を繋ぎ、多くの地へと発し行く。
 これ辿り来た大きなる石との結びなり。
 踏み行く道は、皆々照らし行くを。」12時4分




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