2017年10月18日水曜日

1096「鬼門2」2017,10,18

 次はその日4月15日正午の伝えの後の質疑応答です。
「2009年4月15日 正午の伝え その後のQ&A 」

Q: 新しいあわの歌を多くの人が歌えるようになるのは、もう近いのでしょうか? 
A: その旨今お伝えさせていただきました。今までこの身は多くの方々につかわれて、学びの時過ごし遅くなりたるは、皆々様に あいすまぬことでした。これよりはご自分でうけられよ。
 
Q: あわの歌を歌える人は、一人ずつ指名される形になるでしょうか?
A: 差別は無しぞ。ご自分のその身に向かいて歌われる方は全てなり。持ちたる心はその場であらわるる。これよりははっきりいたします。
 
Q: 今、お言葉を頂いてる神様のお名前を教えて頂けますでしょうか?
A: 神の御名はありませぬ。神の御名つけるは全てこの地の方々なり。それぞれの隠れし集団の中にありて、その名を名乗りて神となしておるのみぞ。われもしておるはこの身にありし御霊、昔よりの多くのこと申しており、これよりのことみなみな多くの思いなり。
 
Q: 今、私がこんなに苦しいのは何故なんでしょうか?
A: あなた様のこれまでをこの時に全てここへ出されて光となして、一切を無とするため。あなた様自身がそのことをする苦しみなり。無くなりてうれしきとなる。
  
Q: あわの歌はいつ頃、どなたの神様によってお作りになられたのでしょうか?
A; 言葉の前ぞ。音うまれし時なれば、この身にまことの魂入りたるその時に、この大きなる宇宙とともにあるためなり。この四十八の音により全てがつながり、この身が生き生きとなり。この宇宙の理と調和し、生き生き、生き生きとなるもの。その時を明らかにするより、あなた様がこの音にて喜ぶことぞ。
 
Q: あわの歌は自分に歌いたいと思う時に、いつでも歌っていいのでしょうか?
A: はい、大丈夫です。たぶん変な気持ちがあると歌えなくなるでしょうから。歌える人は大丈夫です。
 
Q: 他の人が”歌いたい”と言われた時に、どのように伝えるのがいいでしょう?
A: 言葉は書いてありますよね。ですから一回あなたが歌えるなら歌ってみて、あとはご自分でつくられてください。どんな言い方でもいいんです。「あ」なら「あ」の音がちゃんとしてればいいんです。抑揚、ふし、そういうものでは無いと思います。言えなければ、あれをただ発しているだけでいいと思います。ただ、だんだん気持ちよくなって自分の何かが出来て来るはずです。
 
Q: という事は、人によってかなり歌い方が違っても問題はないという事ですか?
A: はい。誰かの一つにすればそれが神となってわざわいとなります。そのことをしないようにしてください。ただし、ひとのために歌うんじゃないですからね。自分ですからね。誰かのために歌うとたちまち何かが来ます。

(注:「誰かの一つにすれば」というのは、誰か一人の歌い方が唯一の正しい歌い方で、それをそっくり真似するという意味だと思われます。これはS,Hさんのコメントです。)

 如何でしょうか。私はこの4月15日以降、中山さんのお言葉に呼応してあわ歌を歌をことを選択しました。しかしその時、T,Mさんからは「あわ歌を歌うものは中山博と共に地獄に落ちる。」とまで言われたことがありました。
 そして翌5月に中山さんとの「中山博氏と巡る東日高見の聖地巡礼の旅」を私が主催していましたが、T,Mさんの影響でしょうか、ほぼ半数の方がキャンセルされました。しかし淡々と巡りをさせて頂きました。

2017年10月17日火曜日

1095「鬼門1」2017,10,17

 10月6日は中山博さんのあわ歌会でした。2ヶ月ぶりです。前日に山形のあわ歌会があり、夜に仙台に到着していましたので夕食をご一緒しました。
 中山さんはまた少し痩せて、一段とスッキリされた様子です。大事なお役目、行を為されているのでしょう。いつ終わるとも言えぬその世界の変化は今大きな峠にあるようです。取り敢えず11月が重要な時のようです。
 中山さんはお酒もほとんど召し上がらず、食も細くなり、器としての身体の改造もなられているのでしょう。大いなる存在から受け取れる存在にとの変化です。それだけ大きな、微細なものとの情報交信がなられているようです。その意味は翌日のあわ歌会で中山さんのあわ歌の響きを体感し実感出来ました。

 6日のあわ歌会には私はいつものように15時から参加しました。会場には既に中山さんの響きが広がっています。雑用をしていても何故か集中できずに頭がボーとしてきます。
 私の前に拝受したK,Hさんの時には横になってしまいました。そのK,Hさんのお言葉です。
「「訪れ来たりた、はまなすの里
 これより見事にいきいきと、その地が生まれて現すは、
 あなた様の大いなるその思い、果たして成し遂げ嬉しきへ」


 この言葉はどんな意味があるのか中山さんK,Hさん始め検討会です。「はまなすの里」がキーワードです。結果的にこの内容が翌日からの巡りのポイントになるのです。



 今回のあわ歌会に参加した皆さんに中山さんのお手伝いをして行動を共にしているOさんから中山さんのあわ歌に付いての資料を配布して頂いていました。以前に頂いている中山さんのお言葉です。大事な節目の時に頂いた貴重な内容です。私も改めて読み返しましたが、重要な事が沢山あります。既に10年近く経過していて、初めての方も増えているので是までの経緯を知っていただくことが必要だとの認識で配布して下さったようです。
 その内容をここでも紹介します。

 最初のは、2009年4月15日正午の伝え です。この時までは、あわ歌は許可のある人以外は歌ってはいけないとされていました。中山さんはそれを取り払い、皆さんが一緒に歌えるような導きを為された日が2009年4月15日で、その発意のお言葉です。

 ・「2009年4月15日正午の伝え 」
『かたじけなきことなり。多くの皆々この地にありて、永きに渡りて重き荷負いて進みて来られたること、まことにご苦労でした。ここに我ら、その大きなる元となりておるものお詫び申すなり。

 過ちは大きなる重き荷となりて続きてまいりたり。これよりこの事一切を無しとなして、 新しく道開くなり。皆々、大き源へ向かわれよ。大き源、全てを迎えんとてあいの光、みなみなへ発せられております。皆々それぞれご自分の光かざして進まれよ。何事も頼る必要なしぞ。しっかりこの今見つめて、生き生きと楽しく嬉しくまいりてくだされ。

 皆々ともぞ、差別は無しぞ。上下区別は人つくりたる世界なり。その世は既に終わりたり。 
 古きもの跋扈しておるは、我、口惜しきなる事なるが、これもともなり、ありがたき教えぞ。そのお役まことにご苦労なり。幕は引かれたり、退場なされ。皆々様も全てのとらわれ無しとなりてまいられよ。

 新しきに向かいてこの地の多く、全てとともなるはこの四十八の音なり。この音、皆々しっかりと身につけられて発すれば、その身は生き生き魂光り、心たいらかなりて、その身に安心の柱立つなり。これこそこの地の海、山、川、木々、草々、生き物全てをうれしきとなすなり。 
 皆々ともに発してまいろうぞ。 ここに新しくを歌い、響きとなす。

~ あわの歌 ~
アカハナマ イキヒニミウク フヌムエケ ヘネメオコホノ 
モトロソヨ ヲテレセヱツル スユンチリ シヰタラサヤワ

 これよりこの歌、あいふかき心持ち、それぞれご自分のその身にお聞かせなされよ。それぞれのものとなさりて新しき御世へとまいりませ。ありがとう。』

2017年10月16日月曜日

1094「青龍8」2017,10,16

 酒田みなとICから日本海東北自動車道、山形自動車道を通り西川町に向かいます。天気は回復して雲ひとつない快晴で、気温も上がって来ました。快適なドライブです。
 13時半に山菜料理のお店「出羽屋」に到着です。玄関先に女将さん始めで迎えてくださり、2階の広間に案内されました。

 出羽屋の紹介です。       
「出羽屋は80年以上も昔から、出羽三山へ入る行者様に喜んでいただくため、月山や西川で採れた山菜や川魚など「山のもの」をふんだんに使い、「地元のものを地元の人が調理したものが一番おいしい」という先代の信念のもと、西川町内、月山で収穫された天然ものを中心に、山形県内で採れた食材を使用しています。通年を通してご提供するため用いる乾物や塩漬けは、この土地の知恵の賜物です。」

 食事は豪華な山菜籠膳を頂きましたが山菜、山の幸が沢山で食べきれないほどです。このお店は皆さん始めてのようで、量、質、味も大満足です。







 旅の最後は山形市の霞城公園内にある山形県立博物館です。是までは青龍との出会いの出羽の瀧巡りでしたが最後のお目当ては「縄文の女神」です。
 山形駅前の霞城公園にある古色豊かな博物館は私も始めてですが拝観者もほとんど居らず、ゆっくりと見学出来ました。



 縄文の女神に付いては以下の様に記されています
「平成10(1998)年6月30日、本県舟形町西ノ前遺跡から出土した縄文時代中期の土偶48点が国の重要文化財に指定されました。
 平成24(2012)年4月20日に文化審議会の答申をうけた後、平成24(2012)年9月6日に完形の土偶である「縄文の女神」を国宝に、土偶の破片である「土偶残欠」を国宝附(つけたり)として、それぞれ文部科学大臣から指定されました。
 縄文の女神は、高さ45cmと見つかっている完形土偶の中で最も大きい土偶です。重さは3.155kgとちょうど新生児の重さと同程度です。
 頭部は半円形に丸くなり、複数の孔(あな)が開けられています。眼・鼻・口の表現がないのが特徴です。W字のシャープな胸、尖ったような腹、どの部分も洗練された形をしています。また、お尻は後ろに突き出ており、その形から「出尻形土偶(でっちりがたどぐう)」と呼ばれています。すそ広がりの脚の底面は少しえぐって、焼むらを抑えようとしています。」
 今回は本物が展示されていました。もう過ぐに他県での縄文のビーナス展に貸し出されるとか。実物を見られて幸運でした。
   


 この女神土偶は縄文中期のものと言われています。以下のコメントがありました。
「一風変わって、こちらは直線的でさっぱりとした印象です。しかしながら、腰の反りと後ろに突き出ているお尻からはセクシーさが感じられます。また、脚の部分の縞模様や胸のあたりの曲線の模様など、細かい工夫が見られます。私は真っ先にパンタロンを履いている女性を思い浮かべましたが、みなさんにはどんな風に見えますでしょうか? 現在の美的感覚から見ても全く違和感のなく、むしろ新しささえ感じさせる作品です。」
 
 縄文土偶の国宝は以下の5点ありますが、これで私は中空土偶以外の4つの実物を見ることが出来ました。不思議なデフォルメの表現ですが縄文時代の人々がどのような思い出を土偶に託していたのでしょうか。
 
ゆっくりと展示物を見学して16時半には博物館を後にして仙台へ帰りました。


台風18号と共に鳥海山の自然の織り成す瀧を巡り、青龍様にエネルギーを頂き、縄文の叡智に触れ、随所に時空を越えた木内さんのお話で織り成された盛り沢山な旅でした。参加者の皆さんからも喜びと感謝の言葉を頂いて、又の再会の旅を楽しみにお別れしました。

2017年10月15日日曜日

1093「青龍7」2017,10,15

 次の目的地は酒田市下黒川にある「不動の瀧」です。天気は雨が上がったものの曇天です。瀧として県下1の大きさで有名な「玉簾の瀧」へ向かう県366号線の途中にあります。県道から左手に細い道を入り、右手に川を見ながら程なく進むと左側に御瀧神社があります。その社の直ぐ奥に瀧が見えます。
 この不動の瀧は「開運出世の瀧」とも呼ばれています。名前からするとこの瀧の勢いが悪運を洗い流して開運に繋がるエネルギーをいただけるのでしょうか。あまり有名ではないのですが存在感のある瀧です。
 御瀧神社を参拝して裏手に回り、落差約15mの末広がりの滝をみました。台風の影響でしょう、水量も多く、せり出した岩肌を幾重にも流れ落ちる白水、青龍の姿を身近に見れる迫力は一見の価値があります。



  次は定番の「玉簾の滝」に向かいます。約10分程で着きます。台風の影響でお店も閉店していて、訪れている方も数名です。



 以下の様に紹介されています
「およそ1200年前に引法大使が神のお告げにより発見・命名したとされる、山形県随一の高さ63m、幅5mの直瀑です。かつては山岳宗教の修験場であり、滝の前には「御嶽神社」が祀られています。駐車場から滝へと続く遊歩道が整備されており、滝までは徒歩10分ほど。周辺には杉の大木が群生しているなど自然の豊かさを感じる事ができ、パワースポットとしても人気です。
 四季折々で様々な顔を見せる玉簾の滝は、寒さ厳しい1月中旬から2月には滝全体が凍る「氷柱」を見ることができ、春には雪解けの豊富な水量のダイナミックな滝、夏には多くの人が避暑に訪れ、秋には紅葉に染まった滝を見ることができます。
 平成11年から地域おこしの一環としてライトアップ(ゴールデンウィーク、夏休み)が実施され、昼の滝とは違った幻想的な世界が広がります。」
 
 瀧への進むと途中に巨石が出迎えてくれました。更に進むと御嶽神社があり、その後ろに直瀑の瀧が見えます。神社の由来書には次のように書いてありました。
「平安時代初期大同3年(808)第51代平城天皇の御代弘法大師(空海上人)が神のお告げによって大聖不動明王の鎮座する霊地を求めて日向川をさかのぼり発見したと言い伝えられております。
 昔は白糸の滝とも呼ばれておったと言われてもおります。滝の中腹の神座に大聖不動明王の石像があり、その前を流れ落ちる水が玉の簾の様であったというところから名付けられたと言い伝えられております。」

 瀧は巨大で圧巻です。63mの直瀑の勢いは強く、かなり離れたところにも水しぶきが飛んできます。自然の力、霊力を感じます。その神がかった力を持つ玉簾の瀧はご神体として信仰され、かつては厳しい山籠もりの修行が行われる修験道場となっていたようです。
 境内にある樹齢800年の杉のご神木も強烈なパワーを発揮しています。暫し自然の威力を圧倒されながらパワーを頂きました。






 午前の瀧巡りもここで終わり昼食会場の西川町に向かいます。

2017年10月14日土曜日

1092「青龍6」2017,10,14

 胴腹(どうはら)滝は遊佐町吉出にあり、鳥海山の伏流水が岩場から二つの瀧として湧き出す珍しい滝です。
 胴腹滝という変わった名前の由来は以下のようです。
「鳥海山の伏流水が山腹から湧き出している様子を、身体の「どうっぱら」から湧き出しているという例えで名づけられました。また、このことから、安産の神としてもあがめられております。」
 鳥海山の瀧の名所、一の瀧、二の瀧へ向かう県道60号線の途中にあります。左側に駐車場が整備されています。私達が下りて瀧へ向かおうとしたら大型観光バスが乗り付けました。重なっては落ち着かないので急いで瀧へ向かいます。




 この胴腹滝は、道路から歩いて5分足らずの場所にありますが、山形県里山環境保全地域第1号に指定されました。丁度、おじさんが掃除にきていて草刈など手入れをしていました。お陰様で道は綺麗で歩き易く、ありがたいことです。
 里山環境保全地域の説明に以下の様にありました。
「水が断崖から勢いよく湧き出し滝となる胴腹滝の景観は、沢水が断崖から流れ落ちる一般の滝とは異なり、自然現象としても価値ある滝です。胴腹滝周辺の湧水は、横堰によって集められ、さらに小水路に導かれ、集落の生活用水となり、田畑の灌漑用水となりました。胴腹滝の豊かで良質な水は下流域の人々の暮らしを支え、信仰の対象ともなってきました。」


 杉林の中に小さな杜、不動堂があります。そこでは子安大聖不動明王をお祀りしています。
 説明版に以下の様にあります。
「古記録によると、安永年中今から約210年前に一堂宇あり、行者宝雲海は朝日村七五三掛の注連寺での修行後、遊佐に帰依しこの地で更に修行す。その子法寿(20才の頃)京都三宝院で修行、帰国後朽損の堂を再建、
法寿の造られた御真影版木には
「そもそも胴腹瀧と申す奉るは人の身躰一切を守り賜う故を以って胴腹瀧と奉り唱うなり、この瀧は安置奉るは往古より子安大聖不動明王として胴より始めて腹部の守護するなり」と刻まれている。」

 その不動堂を挟んで岩の裂け目から左右に二つの滝がながれています。その瀧の左と右で味が違い、左の滝は冷たくコーヒーに合う、自然無限の味。右の滝はまろやかな清水で日本茶に合う、沢の香りと言われています。それぞれが陰と陽の性質を持ち、両方に触れる事でエネルギーバランスが整えられるとも言われています。
 この湧き出た水は名水として有名で、冬でも凍る事がなく、一年を通して水汲みの人が絶えないようです。
 苔むした風情のある岩がゴロゴロあり、その上になにやら仏像があちこちに安置されています。 


  観光バスの方々も押し寄せてきて、風情は消えてしまいました。早々に引き上げました。

2017年10月13日金曜日

1091「青龍5」2017,10,13

 翌18日朝は台風が丁度日本海を通過して行き事なきを得ました。台風一過、まだ風はありますが天気は大旨回復して良さそうです。私は朝風呂にゆったりと入り、朝食を美味しく頂いて元気です。皆さんも清清しい朝を迎えたようで何よりです。少しゆっくりして8時半過ぎに出発しました。
 今日最初の目的地は昨日、引き返した遊佐町の「丸池様」です。私は10回ほど訪れていますでしょうか、素敵な神秘の世界で、この地では重要なところです。
 天気は申し分のない快晴で好天です。是までは午後に訪れる事が多く、朝の丸池様は果たしてどんなかと楽しみです。
 丸池様は箕輪鮭孵化場の奥、鳥海山大物忌神社の境内にあります。直ぐ近くを清流の牛渡川が流れています。橋を渡ると直ぐに神社の社叢地で程なくして左手に丸池様が樹間に見えてきます。




 エメラルドグリーンの池は太陽が輝き幻想的な色合いで神秘の世界です。池底には倒木が朽ち果てずにまるで龍の如くうずくまっているいます。


 丸池様の紹介です。
「直径20メートル、水深5メートル、鳥海山から湧き出る湧水だけで満たされた池です。
 透明な池を見ていると、底の方からボコボコと水が湧いている様子が見られます。
 水の色は幻想的なエメラルドグリーンで、光の加減により微妙に色を変えていきます。
 後三年の役で、鎌倉権五郎景正が敵に目を射抜かれ、三日三晩その敵を探し求め見事に討ち取ったあとにこの池で目を洗ったため、この池に住む魚は鎌倉景正に敬意を表してすべて片目であると言われています。
 鳥海山大物忌神社の境内地であるため手つかずの社叢が残っており、地域住民からは古くから信仰の対象として大切にされてきました。」




「この池は、県内唯一といわれる湧水のみを、水源としています。直径約20m、水深3m50cm。
 水はあくまで冷たく澄んでおり、水中の倒木さえもなかなか朽ち果てず、まるで龍のごとく池底にひそんでいます。
「丸池様」なる信仰の対象となっており、けっして魚など捕ってはなりません。
 この「丸池様」の社叢(しゃそう・・人が手をかけず勝手に育ってきた、神社の林、聖なる森という意味)は全くの原始林なので、町の天然記念物にも指定され、保護につとめております。1996年9月 遊佐環境百年委員会」

 満たされた心地良さに浸っているとにわかに天気が急変して雨が降り出しました。池の水面も雨が打ちつけ始めました。急いで車に戻りましたが皆さんかなり濡れてしまいました。台風の影響ですね。今日の午前中はこんな変化の激しい天候になりました。次の目的地は鳥海山に南側の山中にある胴腹滝です。途中では収穫前の稲穂が首をたれて迎えてくれました。