2017年6月16日金曜日

972「祈り旅13」2017,6,16

 キリストの墓では、このバスの旅で私の臨席にいたSさんも仕事の都合で八戸へタクシーで行き東京へ向かいました。彼は南木曽で代々材木を商いする社長さんで、彼の木の評価はすこぶる高く、伊勢神宮、明治神宮、靖国神社等々の名だたる神社に納めていて、全国を股にかけて掛け巡り、その多彩な人脈は驚くほどで、大変な活躍をしています。大きな夢は出雲大社の巨大神殿の建造のようですがバスの中で熱く語るお話は素晴らしいものでした。天外さんからも新月伐採の木のことをお願いしているようです。
 
 バスは七戸町経由で青森に向かいます。私の隣の空席にキリストの墓を発車して直ぐに、待っていましたとばかりに1日目に同室だったKさんが座りお話が始まりました。青森までの2時間あまりは彼との生体エネルギー談義ならぬ質問コーナーになりました。彼にとってもとても良いタイミングで私と逢うことができて、日頃の課題、疑問がかなり見通せるようになった様です。
 22日に新青森駅でお別れして、直ぐの26日には仙台に初めてお越しになり、私の主催する塾ゼミに参加し、翌日は名取農場での生体エネルギー農業勉強会にも参加して下さいました。目から鱗と言って下さり、仙台に来て良かったと言って下さいました。生体エネルギーの活用も決めて取り入れてくださり、6月16日の生体エネルギー勉強会の「日常生活を健康で豊かに過ごす方法を学ぶ会」、翌日の2回目の農業勉強会にも参加するとのことです。私にとっても嬉しきご縁となりました。

 青森市の三内丸山遺跡は是までの東北地方、陸奥への考えを覆す、縄文時代への認識をも変える画期的な発掘でした。ここも私は何度も訪れていますので炎天下の野外散策は止めて館内で映画等を鑑賞して過ごしていました。皆さんがどのように観光されたのか分りませんが、後日、天外さんのコメントに以下の様なことが記されていました。

「旅の最後に「三内丸山遺跡」に行った。純粋な観光のつもりだったが、全部つながっていた。
 5500年前の遺体埋葬の周囲に石が並べてある写真があったが、これはインディアンの「結界」とほぼ同じ。非業の死を遂げた人の怨念を封印したのだろう。
 縄文時代は戦いがなかったという人もいるが、この結界を見ると、かなりどろどろの戦いと残虐な処刑があったように、私には見える。
 結界のことを知らない歴史学者には何もわからないだろう。
. インディアンの「ビジョンクエスト」は、15歳の少年のための通過儀礼だが、山の中に結界を張って寝袋ひとつで三日間断食をする。結界を破って入ってくるのは創造主のお使いだから、ガラガラヘビが入ってきたらかまれて死ね、という教えだ。
 石で結界を張る部族と「プレイヤーズタイ」で結界を張る部族がある。結界はインディアン社会ではおなじみだ。」(「日本列島祈りの旅、青森編」⑥)

「旅の最後に「三内丸山遺跡」に行った。純粋な観光のつもりだったが、いろいろ考えさせられた。
 いままで、日本の縄文文化はアイヌだと思っていたが、どうもそうではないらしい。
「三内丸山遺跡」には、中に焚火のあとがある巨大な集会場がある。これは、カナダから五大湖周辺のインディアンの「ロングハウス」と全く同じだ。と、いうことは、アメリカ建国のベースになった直接民主制が、ここに根付いていたと推定できる。1000人くらいの住民の大半が集まる議会が開かれていただろう。
 また、高床式の巨大な穀物倉庫があるが、これはコメはまだなかったとしても、稗や粟などの穀物を栽培し、ナッツ類を大量に収集し、共同で貯蔵・管理していた証拠だ。北方インディアンは、狩猟採集文化が中心だが、トウモロコシなどの栽培もおこなっていた。
 この両方は、アイヌコタンとはかなり違う。私の結論としては、日本の縄文文化を支えた民族は、アイヌや出雲族とはまた別の、北方インディアンと同じ系統の人たちもいた、ということだ。遺跡を一時間足らず見ただけで、偉そうな結論を述べて恐縮だが、どなたかご意見があれば教えてほしい。」(「日本列島祈りの旅、青森編」⑧)

 新青森で私を含めた新幹線組みは皆さんとお別れです。天外さん始め残りの方々は青森空港へ向かいました。はやぶさで仙台まで帰りましたが、かなり疲れたな、という3日間の祈りの旅でした。今回は浮かばれずに封印されている先住民、アイヌ等の御魂を浄霊、浄化、鎮魂し、天上へ旅立たせる旅です。当然、多くの無形の情報体が動き、その影響は同席したものは免れられません。しかしその経験で、私の情報処理能力も少しは高まったようです。
 天外さんは最後にお話になっていましたが、来年は岩手県を祈りの旅で巡る予定のようです。果たして如何なる場所を巡るのか分りませんが、1参加者で関わる気安さはありがたいです。
 先に紹介した天外さんの以下の言葉に、皆様がこの次元で健康で豊かに生きて行ける世界になることを、次回の祈りの旅に期待したいものです。

「翌日のパイプセレモニーでは、虐殺したサイドへの祈りに多くの時間を割き、とてもうまくいったような気がする。
 おそらく青森はこれから活性化するだろう。
「正義と悪」という古典的な構図で理解しているうちは、本当の供養はできない。
 これからの「祈りの旅」は、少し次元が上がりそうだ。」
(「日本列島祈りの旅、青森編」①)