2017年5月13日土曜日

938「日月地1」2017,5,13

 2017年4月21日から23日までの3日間は神人さんのライブと講演会でした。今回も濃厚な時空間を満喫出来ました。その様子をお伝えします。

 21日は唄語りLIVE ~歌とスピリチュアルなお話のライブ~でした。いつもはうさとの麻の衣装ですが今回はライブを始めた当初の井出達で作務衣です。
 神人さんの仙台ではファーストライブは2007年3月3日に青麻神社で行ないましたが、その時を思い出す雰囲気です。まる10年が過ぎました。神人さんも原点に回帰して新たな始まりをこの仙台からスタートされる、そんな気がするライブです。

「今回、唄語りライブを仙台でしますが、久しぶりです。この唄語りは神人ライブを始めたころの形ですが、最近はシャーマニックライブなどがほとんどでした。懐かしい曲も含めて20曲くらいリストアップしていますが最初の曲は「和」です。


・1曲目 「和」ファーストアルバムのタイトル曲でワルツの曲
 私は板前を20年やりました。当時の夢はお店を持って、休みの日には常連さん達とお店でライブをしたいと思っていました。そうしたら急に霊媒体質が出だしてしまいました。夜は眠れないし、味覚の狂いが起きました。味覚の狂いは料理人には致命的です。ストレスと疲労で何を食べても苦しいし、このままでは料理人としては無理だと思いました。

 結局、京都で精進料理を4年やって止めました。その時に私の守護霊さんが「好きな事をやって生きろ」と言います。でも、どこからお金が入って来るのか不安でした。しかし守護霊が言う通りにやってみようと思いました。まず3ヶ月やってみて駄目ならやめようと。 
 2005年のその春に、私は結婚をしていたのですが、嫁さんはそうすることを咎めませんでした。「暫くゆっくりして、好きな事をしたら。いざと成ったら私が働くから。」と言ってくれたのです。妻は看護士でした。
 しかし、どう生きるか定まっていない状態です。その時には、神人として既に歌は唄っていました。当時は飢餓、環境、食育をテーマのライブです。ライブでは、30人分の精進の会席弁当を自分で作って1500円会費位で、ライブの後に食べてもらっていたりしていました。しかし、もう二度とやりません。真剣に、本気でやっていました。募金もしてもらっていました。そこにはスピリチャルのスの字も無い頃で、世の中を浴したいと思う活動家が多かった。

・2曲目 「愛になる」ボサノバの曲
 神人としての変化は目覚しいのですが、人生の変化はもっとすざましいものがあります。料理人から霊媒になったのです。その変わり目の時はとても不安でした。生きていけるのか?と不安でした。しかし指導霊は「生きていける」と言っていました。
 友達が京都でベジタリアンカフェをしていました。そのオーナーの友人女性が妊娠して私のところに来ました。そして突然泣き出したのです。「どうしましょう。私はお店と両立出来ない。もう続ける自身がない。」と言います。私が勤め先の店を辞めた、と聞いて来たといいます。友人は私にお店をやれと言いい、泣き付かれました。結局、彼女の出産までお店を私がやることになりました。

 そこでは2年間、お店を代わりにやりました。店にはマネージャーで入りました。そして、そこの店の仕組みも全部変えました。そこのお店の内情を知ると、オープンから4年間で一度も黒字が無い、赤字続きだったのです。
 彼女はどうやって生きていたのか。お店の残飯を食べて生きていた、と言います。彼女は京都の親元で暮らしていたし、赤字はご主人の給与で穴埋めをしていようでした。馬鹿だ!利益を出さずに何をしたいのか。彼女は使命感でベジタリアンをしていたし、私が唯一の友達だったのです。彼女は大馬鹿だ。
 そこから私に火が付いたのです。お店を黒字にしてやる、と本気でやりはじめました。それまでは食材の仕入れも高いものを使っていて、オールオーガニックのもので、その世界はぼったくりの値段です。そこで安く仕入れる為に、青森の実家の農家の余りものを仕入れて営業しました。そしてやがて黒字になりました。