2017年5月5日金曜日

930「法華経5」2017,5,5

 因陀羅珠網(いんどらしゅもう)は宮沢賢治の著書「インドラの網」にあります。難解なお話ですが、賢治は始めは華厳経の世界を好んでいました、やがて法華経の考えに変わりました。
 身体が恵みとなって死んだのですが、何度もしつこくやって行くのです。世界のあり方は想いの一瞬、一瞬に入っている一念三千の世界です。そうして更に大きい心になり、皆で進化のゴールに運ばれて行くのです。
 すべての世界のすべての存在がことごとく「自分」なのである、ということに気付き、魂を拡大し、あらゆる存在を認め、許し、抱きしめて、ともに支えあって、進化のゴールの日まで歩んでゆこうです。

 ※因陀羅珠網で調べたら以下の様にありましたので参考にして下さい。
・因陀羅網:インドラ神の網のこと。インドで一般に魔術の所産の意に用いられた。華厳仏教では,インドラ神の宮殿にある網で,結び目に宝玉がつけられ,宝玉同士が互いに映じ合って,それが無限に映じるとして,重重無尽の理論を説明するのに用いられる。帝網 (たいもう) ともいう

・更に「神秘とインドラの網」も紹介します。
「神秘ということについて書こうと思った時から妙に不思議にフラッシュバックしてくる言葉がありました。それは「インドラの網」という言葉で宮澤賢治の童話の題名です。
 インドラの網とは古代インドの神で勇猛盛んなところから、仏法の守り神として仏教に取り入れられたフーテンの寅がお参りする、「帝釈天」のことです。
 帝釈天は世界の中心の山「須弥山」に住んでおり、その宮殿の周りには「インドラの網」とよばれるネットが張られています。そのネットの結び目には美しい宝石が縫いこまれており、その宝石はお互いに写しあい、またその映しあった姿が他の宝石に映しあう、というまるで鏡の中の世界のように、無限に輝きが続いていく世界がそこにあります。
 ここにある宇宙観はすべてのものは関係しあい、お互いがお互いを映しあい、響きあい、相似も相違も違和も混乱も、森羅万象すべてが、あらゆることがすべて必然であるという世界観を暗示しています。
 以前、宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」について書いていたとき、どうして難破船から銀河鉄道に乗ってきたキリスト教の一行は途中下車してしまうのか、いや作者賢治によって降ろされてしまうのか・・・?と疑問に思っていましたが、この「インドラの網」の世界観からしてみるとやはりキリスト教の、神が一元支配する世界は賢治には不本意だったんだなーと思います。
 文章のなかでキリスト者の家庭教師の青年と少女と弟とジョバンニは「神様が一人であるか否か」を巡ってちょっと口論になり、ジョバンニがほんとうの神様に巡り合うように祈られ、彼らは下車していきます。ここには賢治の他者に理解されず、むしろ愚者扱いされた悲しみが込められているようにも思います。
 私はこの「インドラの網」、帝釈天の網という宇宙観が大好きです。いきとしいけるものは、すべて関連しあいながら世界が進行している。そしてその結び目には宝石(珠玉)があり、それがお互いを映し出している。いや映し出されているお互いが宝石であり、なくてはならないもの。これはまさに宇宙の物理の世界観でもあり、様々なる偶然と必然の結果、ここに地球があり、人間が存在するという帰結・・・結果があります。
 そこには誰かが誰かを支配するということでもなく、宇宙の誕生以来、偶然と必然の綾なすなかから、ただひたすら現象と関係という進行があり、そして太陽系というネットワークのなかで生まれた水の星、地球。そして生まれた生命は数々の困難を乗り越えて進化し、人間まで辿りつきます。
 昨日も書きましたが人間のルーツはアフリカの黒人です。大きな世界から見れば人間も生き物の一種であり、世界はお互いの関係と関連のネットワークでこそ存在しえるのです。それは争いや否定ではなく互いの存在の全肯定の上にこそ成り立っているのです。そのことを今痛いほど認識しなければ、人類は滅びへと転がっていきます。
 もし賢治が、いや多分賢治はそういう風に承知したと思いますが、当時そういう宇宙観や世界観や人間観を共有しえた人が何人いたか・・・?今でもほんの少数でしょう。神秘といえば、宇宙のこの成り立ちほど神秘なものはありません。それは無言のうちにすべてが必然だよ・・と言っています。
 そして生命誕生のなかからただ一種、この宇宙の成り立ちを解明できる人類が生まれたという神秘。人の精神は(心)はまさに自分の心を他人に投影します。その他人の姿に自分を映しだすという鏡の世界です。こころは人だけでなくすべてのことやものに投影されます。あのインドラの網のようにです。
 そしてね、インドラの網の結び目には宝石(珠玉)がありました。素敵です。宝石として(個として)完結しているがその輝きが他を映し出す。人間も個として完結しています。
 多分賢治もほんとうはね、そうなんだよ、って言いたかったのかもしれませんね。」
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