2017年4月30日日曜日

925「爽快2」2017,4,30

 テンメイ総会の翌日、4月16日は宮城真向法体操会の第33回通常総会でした。朝の10時から総会が行なわれ、こちらも議案は原案通り可決して頂きました。こちらも役員の改選が行なわれ、1名の新任の方がお世話役に加わって頂きました。新たな教室の開設も出来て、健康の輪がまた一つ広がる嬉しきことです。
 総会終了後は真向法体操の修練会です。何故かベテランの会員さんから欝的な症状について問われました。欝は心の風邪と言われますが、対応を間違うとしっかりした病人にされてしまい、病人になってしまいます。諸々の捉え方、対処法を実技を通してお伝えしました。最後は血の気が通い、笑いで晴れやかな姿に変わっていただけました。轍から出られたら大丈夫でしょう。
 
 修練会後には恒例のお花見です。修練会の行われた仙台市民会館は西公園にあり、眼下に広瀬川を見下ろせます。西公園では植木市が開催され、その南側はお花見広場です。天気に恵まれ、桜も満開で沢山の花見の方々で大賑わいです。
 あらかじめお世話役の方が場所を取っていてくださり最高の場所で30数名の面々が集いました。欝の相談をされた方も急遽参加して下さり嬉しき事です。
 乾杯して美味しいお弁当を頂き、花より団子で思い想いに桜の木の下の妖艶な世界に春を満喫しました。杯が進み歌も踊りも出て、多士済々の面々の演技に笑いがエネルギーがアップしていきます。





 私は所用があり途中で退席しましたが、満開の桜が新しいスタートに花を添えてくださいました。爽快な気持ちで今年もバランスよく歩めそうです。

 テンメイ総会は11回で真向法総会は33回です。11,33は稀なる数字としてカバラでは言われます。数字の意味を探ってみると次のような情報がありました。
 出典は、はせくらみゆきさん、深田剛史さんの「宇宙一切を動かす「数霊」の超メッセージ」です。

11
  • キーワード:久遠・畏愛・空・謳歌・声・秋・金・桶意味:11はスタートを示す数霊です。踏む出すのは「今」であることを告げています。同様に、同じゾロ目の数はパートナーとの関係性、バランスを指し、ゾロ目が増えるほど、グループや組織全体へと拡大していきます。また、水は11種類の状態に変化して行くと、いにしえの人は考えていたことから11の数霊が現われるときは、水とのつながり、水への感謝を忘れないようにしましょう。
  • 数霊のマントラ:はじまりのとき満ちて いざ進め「久遠」の時へ
  • 11の数霊を持つ名前:金の人
  • 数霊のアクション:
  ・自分の中でいらなくなった古いエネルギーを感じるものを捨てましょう。
  ・自分とパートナーとの関係性を見つめましょう。お互いに心地よく支えあっていますか。
  ・思い切って一歩を踏み出しましょう。考えるのは踏み出しながらでもできます。
  ・体の中にある水と体の外にある水に感謝し敬意を表しましょう。

33
  • キーワード:報恩・イシス・翁・絹・門・正確・内観・NHK
  • 意味:33は女神と賢者のエネルギーの両方を持つ魅力的な数霊です。心を澄まして内観し「おかげさまで」といった生き方を選択しましょう。新たな門が開け、あなたの中の女神性が花開きます。
  • 数霊のマントラ:恩に報いて 叡智を呼ぶ 花のひとひら 返り咲く
  • 33数霊を持つ名前:報恩の人
  • 数霊のアクション:
  ・時間を守りましょう。約束の場所に少し前に着くようにしましょう。
  ・自分が気に入った美しいものをあなたのそばに置きましょう。美は女神性の神殿の門です。
  ・シルクのものを身につけてみましょう。
  ・エジプトの神々について調べてみましょう。気になる神が見つかったら、瞑想しながら心を通わせてみましょう。

 組織の数霊ですが人格を持つものとして、その中心にある私を通して数の意味を読み直してみると以下のように今年はなりそうです。
「女神と賢者のエネルギーの両方を持つ心を澄まして内観し「おかげさまで」といった生き方を選択し、新たな門が開け、あなたの中の女神性が花開きます。踏む出すのは「今」、仲間との関係性、バランスを指し、ゾロ目が増えるほど、グループや組織全体へと拡大していきます。」
 楽しみな新年度の始まりです。

2017年4月29日土曜日

924「爽快1」2017,4,29

 4月は年度初めです。私が関わる2つの組織も新年度が始り、総会が開催されました。
 4月15日はNGO仙台テンメイの11回総会です。10年を経過し11年目を迎えることが出来ました。10年一昔と言いますが、桁違いの大きな節目です。
 総会の全ての議案は原案通りに可決承認いただき、会員皆さまの総意を受けて新たな活動開始です。今年度から新たな役員を2名迎えて、更なるコラボレーションが起きる事でしょう。年々変化していく、日々好日な世界です。

 この3次元世界では、ある存在による発意があり、それを形にして動きをなします。しかし瞬間生命現象で消え行くものが大方です。けれども想造、発意は数えきれないものがありますが、現象化するものは稀です。
 その現象化した事が、有形無形の素数的な一個を形成し、時を経て、継続出来る為には明確な目的、理念、柱が必要です。時空間の環境変化の中で臨機応変に適応して成長し多くの経験智など、情報を蓄積し、加算し更なる誘導翻訳能力を高めて、可逆的に進化して行く、楽しみのエネルギーの中で新たな世界が展開していきます。

 総会後の恒例の研修会ではここ数年続いて、副代表のO農場長と代表の私のお話です。
 農場長の「テンメイ農場10年の歩み」は興味深い映像紹介でした。10年間の農場の記録写真は膨大な量です。10年前の農場開所の最初から関わる役員は、今は数名です。研修会参加者では農場長と私とTさんの3名だけです。懐かしい、再発見も多い、貴重な映像でした。



 私の縁で名取農場の所有者のT先生から農場使用のお話を頂き、30坪ほどの狭い畑の鍬入れから始まりました。初日は30名ほどの面々が顔を揃えました。懐かしい顔も見えますが今は過ぎ去りし方々です。しかし当時の活動を支えてくれたことに感謝です。
 やがて使用許可のいただけた畑が広がり、更なる開墾?が進み、ユンボで天地返しをして土壌改良をし、数々の工夫で1500坪の農場に整備がなされてきました。

 名取農場の取り組みの基本は生体エネルギー理論を基本とした農法を継続してきています。それは生態系生体システムプログラム農法です。スタートした翌年位から畑の10箇所ほどの地点の土壌分析をして必要元素を計量的に投入しています。生体エネルギー資材は最初の年から指定の適量使用して来ています。
 テンメイ仲間に生体エネルギー農法の指導員のTさんがいますので当初から継続指導いただいています。その資材費は野菜の販売収入にほぼ匹敵する金額ですが、会員の仲間の皆様のいのちと健康を守る目的達成の為に必要なことで、採算性度外視の活動です。
 当初はその目的が理解されず、生協の価格を参考にした価格も高いと言われたこともありましたが、今は昔で、断然にその野菜の違いは明らかになってきていて、テンメイいのち野菜は認知されて来ました。まだまだ会員内ですがこれから縁する方々にそのファンを増やして行く事は必要です。その為には教えて育てることは野菜栽培だけでなく、消費者に対してもその価値をしっかり知ってもらうことは生産者として必要なことです。会の目的を理解して更なる賛同者、協力してくださる会員の輪が広がる事が生産に携わる面々の活力、エネルギーに繋がります。これからの更なる農作物の準拠位置を高め、能力を高めて行く、継続の努力は不可欠です。

 新役員になったGさんも10年の経緯を写真で知って驚きだったようです。温故知新でありませんが、変えてはいけないこと、変えていかなければならない事その時々のリーダーの皆さんと協調して楽しく進めて行きたいものです。

 後半は私の「10年を振り返り、今時代を読む」と題してお話させて頂きました。会がスタートするきっかけ、その理念をお伝えし、多くのご縁の中で此処まで継続出来たこと、そしてこの激動、激変の真っ只中にあって、更なる新たな1歩を確実に歩む為の必要な視点をお伝えしました。
 研修会後の懇親会も和気藹々ですっきりと楽しく交流できました。石巻市のS造船所のSさんも総会から参加して下さり、同じく石巻市のでんでん虫のKさんも参加で懐かしき面々で話も弾みました。本当の想い、本心を語り合う貴重な会話ができました。
 本音が当たり前に言えて、認め合え共有出来る爽快な空気に満ちた場は心地良き生態系です。嬉しき、楽しき、幸せな空間は皆さんの意識を更に豊かにしてくれるありがたき世界でした。

2017年4月28日金曜日

923「合気18」2017.4,28

 穴瀧の後の自鏡山・吾勝神社で以下のお言葉がありました。
「うましことなり。この地の流れ、細きなるが、繋がりたり。是よりなるなり。
 放ちたる先は、西へ、南231キロ。
 その先は、320。そこよりは大きく広がり行く。」

 ここで画期的な言葉がありました。「この地の流れ、細きなるが、繋がりたり。」とあり、北からの流れが繋がった様です。
「その流れは、西へ、南231キロ。その先は、320キロ。」です。この流れを生み出し、繋げるお役をしっかり果たす必要があります。その事は、後で触れます。

 次の鬼首温泉の間欠泉で 以下のお言葉です。
「たたらを踏み来たその時、火と水、合わせて、大きなる夢を見たり。 
 是よりも火と水 交わり、真を現す。」
 この中での「火と水の交わり、真を現す」とは火と水はかとみ、神です。又、地は水であり、天は火です。それらはエネルギーの元初、摩訶不思議の大元で、それで真を現す、とあります。

 その次の拆石神社では
「篩て 篩て 篩て参る。うたかたのこの地を真と致す。
 この地の底の大きなる気と、遥かなる気を合わせ行く。頼みたるなり。」
 ここで明らかになりました。
「篩て 篩て 篩て参る」と三度お言葉があります。そして「うたかたのこの地」を「火・水のかみの力で真とする」。それは「地の底の大きなる気」と「遥かなる気」を合わせて行くとのことです。

 最後の立石では以下の様なお言葉です。
「かたじけなき事なり。大いなるこの地が、大きく揺らぎて、その身も揺らぐ。
 その時、大きな変わりを致す。皆々是より、しっかり繋ぎて参られませ。」

 感謝の言葉と今後の展開が示されています。「大きな変わりを致す。皆々是より、しっかり繋ぎて参られませ。」とあるように、天地を繋ぐ役割を人に委ねています。天と地を繋ぐ人。将に天人地の「あ(天)と(人)わ(地)」です。この三の働きです。その繋ぐ動きの要は人です。その人の身体が天地の気を受けて合一した響きを発する事が出来る、その様な心身、意識の変換、変容を求められています。

 先に触れた様に、自鏡山でのお言葉で示された南西231キロの地点は栃木県那須の地と特定されました。その地に、先の4月17日に中山さん達が訪れてあわ歌の響きを発せられました。
那須での様子は「光りと響きとあい「那須での儀式 」2017,4,18 」を参照ください。

 そこでのお言葉は以下です。
「御富士山」(自鏡山から南西へ231キロの地点と特定した所)でのお言葉です
「貫き通すなり。北よりの大きなる力、
 これよりしっかりこの国の柱となり、
 南の果てに届けば、この地球を支え行く。
 皆々共々、 送りて支えられませ。」 (9:20)

 北からの大きな力を貫き通す事で日本の柱と成り、南の果てまで届けば地球の支えとなる、とあります。中山さん始め、各所で働く深き縁ある方々は、計り知れなき大きな役目を担う面々です。

 更に近くにある聖地、「うるうの宮」でのお言葉です。
「これより申すは、この地の底を流れ行く、大きなるよりの伝えなり。
 皆々様の響きにて、滞りを流し行きて参りたり。今一歩なり。
 この流れ、水と共々、大きなる気と共々、一つと成り行く。
 この流れ、激しきとなれば、地上に現わるる。
 その時は、大いなる新たへの道開きます。
 この国の三五八に現れ出でる時、来たる。
 これよりも大いなる響きをお頼み申す。
 お〜〜ん 」(10:07)

「皆々様の響きにて、滞りを流し行きて参りたり。今一歩なり。」とあります。そして、「この流れ、激しきとなれば、地上に現わるる。その時は、大いなる新たへの道開きます。」
 それは「この国の三五八に現れ出でる時、来たる。」です。
 この「358」が何を意味するのか。自鏡山のお言葉の「その先は、320」と兼ね合いがありそうです。那須から230キロ南西の地で「358」の地はどこか?
 既に巡りを終えて次なるミッションを果たすべく調査、準備をしていましたが、将にその地を確定できる重要な数字、358でした。やがてその地を訪れ、北からの天地合気の大きな響きを発し、北の気を更に南西へ繋ぎ、拡げ、国の柱を成すことが求められています。

2017年4月27日木曜日

922「合気17」2017.4,27

 3月31日のあわ歌会、4月1~2日の陸奥天地合気の旅を終えて、新たな次なる動きが出てきています。
 先ずは、今回のことを中山さんからのお言葉を整理してみると以下の様になります。
 まず私が頂いた以下のお言葉がキーです。
「うましみと成り行くこの時、大切に為さり行くは、三 三 三 移り来るこの数なり。
 ゆる ゆる ゆる  ふむ ふむ ふむ  さん さん さん
 訪ね渡りてその身の中へ、納めて大きく拡げなされ。」

 引き続き、あわ歌唱和会でのお言葉です。
「大いなる日ぞ 共々参る方々に 見事なる響きを入れて 大きく進みて頂きます。
 ハンタルラ ハンタルラリア やって参りて変え行くなり。
 三 三 三 さん さん さん 新たなるなり。」

「うましみと成り行くこの時、大切に為さり行くは、三 三 三 移り来るこの数なり。
訪ね渡りてその身の中へ、納めて大きく拡げなされ。大いなる日ぞ 共々参る方々に 見事なる響きを入れて 大きく進みて頂きます。三 三 三 新たなるなり。」

この中の「三 三 三」がこれからのポイントです。

4月1日 陸奥天地合気の旅でポイントの言葉を整理してみます。
先ずは立石山までの北の地からのもの以下の4箇所です。
「運べ 運べ 移したるそれを運べ。繋がり行くぞ。渡良瀬の地へ運べ。艱難辛苦が詰まっておる。運びて、変え行きなされ。」

「崑崙の山は晴れたり。晴れ渡りたり。写すは大きな夢なれば、見事に果たして頂きたし。
 晴れ渡る崑崙。峰は仰ぎたれ。」

「大きなる音の響きを、ここに発したり。
 是よりのこの月、山、川、海、地の底と人々へ発し行くなり。
 それぞれ変わる、大きく変わる。大いなる身へ参りませ。」

「打たれし多くの方々、皆々この時なる。
 是よりの響きは、大いなる広きへ皆戻す。
 この時、共に参りませ。この地の大きなる扉を開きて、変え行く。
 時、参り来た。さあ さあ いざ いざ 参いれ」
 これらを纏めて、整理してみると以下の様になります。
「艱難辛苦が詰まっておる。運びて、変え行きなされ。
 晴れ渡りたり。写すは大きな夢なれば、見事に果たして頂きたし。
 大きなる音の響きを、ここに発したり。是よりのこの月、山、川、海、地の底と人々へ発し行くなり。それぞれ変わる、大きく変わる。大いなる身へ参りませ。
 この地の大きなる扉を開きて、変え行く。時、参り来た。」

 そして「立石山・二本立石」でお言葉です。
「かたじけなき事なり。晴れて是より、皆々が帰り行く道を、導かれたり。
 その時、待ちて、ご用意を怠らぬ様に、響きを受けて参りまする。
 この大き岩より発して参るを受けましょう。皆々、共々に。」

 大き岩より発する。いよいよスタートです。そしてその主が行なう事は以下です。
「泰然自若のこの身なり。写り来る全てを収めて、発し行く。
 新たへと向かうは大変化なれば、今、この身、響きと成れば、
 御用意ある全てに、写り行く、変わります。」

 そして北からの気が発せられ、先ず最初の「龍神穴滝」です。
「北より送るこの地の響きは、ここより只今、発したる。響きを受けて、西へと参る。
 この地の深き滞りを、これにて流す。大いなるこの国へ、変わり行く元なり。
 是より伝えて参る。」

 この穴瀧が地の響きの要です。その事は「915合気102017,4,20」に記した様にこの場所の役割があります。
「この天地繋ぐ穴、光を取り込み発し、地の底に流れ来る、大きなる流れが、響きと一つに成り行く。この流れ、地底にて滞りてある。響きを南へ流し行き、この地の流れも共々に成らんと致す。」
 それを受けての今回の先に示したお言葉です。それらを含めて以下の様になります。
「天地繋ぎ、響きと一つと成り、北より送る響きを発して、南へ流し、西へと参る。この地の深き滞りを流して、この国が変わる元となる。是よりこの響きを伝えて行く。」

2017年4月26日水曜日

921「合気16」2017,4,26 立石

 いよいよ今回の巡りも最後の目的地、丸森町の立石になりました。1つ磐司岩をキャンセルしていますので時間的に余裕です。しかし、何と言うミス?を犯してしまったのです。丸森の立石には何度も行っていますので安心してカーナビナビに住所を入力してそこに向かって走行していたのですが、途中周りの景色がいつもと違う山間に入って行くではありませんか。行程表に何と違う住所を記載していたのです。そこから急遽、正しい地点を目指すことになり、優に30分以上の時間ロスをしてしまいました。申し訳ありませんとひたすら皆様にお詫びです。
 それでも日暮れ前には十分に立石に登れます。17時前に駐車場に到着出来ました。最初に訪れた時は山には木々が生い茂り豊かな自然の景観を呈していました。4年前ほどでしょうか、山の木の伐採が始り、立石の姿は一変してしまいました。今回もその姿は痛々しい程で、淋しげに立つ立石が殺風景な感じで残念なことです。
 以前、町役場に何故、立石の周りの伐採をするのか問い合わせたことがありました。その返答は、個人所有のものなので町は関与できない、と言うものでした。




 登山道を登ること15分強です。直線的に山頂に向かう道は急で息が上がります。全員山頂の立石に対面できました。間近に見ると、驚きの大きさです。立石に付いては以下の様な記載があります。

「由来:丸森町の中心街から東南東約2kmの山の中腹にそびえ立ち、その高さ12.5m、周囲25mの大石である。その昔、安倍貞任(1050ころ)が石上に立ったと言い伝えられるほど、以前から人々に注目されてきたものである。
 この巨大な石に対して、人々が何か信仰の対象にしたとも考えられ、石のまわりに、弥生式土器の破片や年代不明の貨幣などが発見されている。
現況:丸森町羽入東の峰上にある柱状花崗岩である。巨大な岩石のため、筆甫街道上滝に至るまで、見る場所によってその姿を変え異様な感じを人々に与えている。」


 皆さんの体調が落ち着いた頃に立石に向かってあわ歌の唱和は無く、「 ゆるゆるゆる、ふむふむふむ、さんさんさん」 3回を響かせました。その時のお言葉です。
「かたじけなき事なり。
 大いなるこの地が、大きく揺らぎて、その身も揺らぐ。
 その時、大きな変わりを致す。
 皆々是より、しっかり繋ぎて参られませ。」17:36

 今回の巡りに対して、感謝の言葉を頂けました。そして大きな揺らぎ、その時、大きな変わりがあるようです。いずれにしても、これからしっかり繋いでいく事が求められています。


今回の巡りで、更には以前からの課題を含めて、縁者の皆様にそのミッションを託されていますので、淡々と果たして行くだけです。
 歌い終わり下山の時に丁度、西の山に夕陽が沈む姿を見ることが出来ました。この姿を見せて頂くために時間ロスが必要だったのかと自分で納得した軽い足取りで、満足感、達成感を味わっていました。




 仙台駅の解散予定時間には十分に余裕があります。皆さんのトイレ休憩も無しでここまで進んで来ていますので近くのお店で、反省会を催すことにしました。
 角田市内のお店は夕飯時で込み合っていましたが、予約無しにも関わらず私たちの為に用意して下さった様な個室で集うことが出来ました。全てはありがたい御配剤です。美味しい夕食を食べ、今後のプランを相談し大きな歩みが更に進む善き巡りを皆さんでシェア出来ました。


 今回の陸奥天地合気発する旅は初期の目的を達成出来ました。嬉しき事です。そして頂いた課題、ミッションも多々あります。それらを含めて、帰りの車中で今後の予定に付いて中山さんと相談させて頂きました。頂いている課題を如何に為して行くかです。個人的なミッションも含めて次回は関係者の少数の方々での方向で検討する事になりそうです。その後に、今回の陸奥の再度の巡りが必要な様です。
 仙台駅にも20時前に到着して皆さんとお別れです。全てはありあがたき中に無事に終えて次に引き繋がれて行きます。

2017年4月25日火曜日

920「合気15」2017,4,25 拆石神社

 この拆石神社について詳しく記載されているブログがありますので、その内容の一部を抜粋して紹介します。
「葉坂の拆石神社」
 石室について
「それに石室のようなお墓がある。これは、横穴石室でこんもりとした森が古墳の様子だが誰のお墓であるか不明。城跡のようなものは見つからないことから、古代祭祀場として置かれた巨石群に、古墳を建てたと思われます。
 横穴式のものは、九州から伝わり、通常の古墳は一箇所に穴を空けるが、横にも穴を設けることで、自由に外へ往来できるようにしたことが由来にある。霊魂を閉じ込めず、あの世とこの世を行き来できるようにした。その横穴石室は川崎や村田町、金ヶ瀬のある大河原や名取周辺にたくさんあります。
 その背後に巨石があるのだから、墓場としか思えないのですが、だからと言って人骨がでてくるわけではなく、とても女性的な神社だと感じます。何かあってここに埋めたと思うのですが、霊的なものを外に出さないように巨石が何かを覆っているような感じが想像できます。」
 祭神の大宜都比売(オオゲツヒメ)神に付いて
「新羅の郷から「土」のイメージがとても強く、人間が肉体をもって死ぬのは腐敗することにあり、それは土に還ることだから、人間は土から生まれ、土に還るのが縄文的だと思うのです。その思想がこの神社にあったわけです。オオゲツヒメは土の女神といえるでしょう。 
 元は磐坂であったのを葉坂に名前を変えたのは理由があると思います。また、ククリヒメを祀っているのは白山信仰が由縁。白山信仰のあるところでは、少し南にいった角田の斗蔵山も。ここも大同2年坂上田村麻呂が祀ったといわれる観音様と白山神社がある。
 それにしても東北地方には、「大同2年」という年号の創建が多い。この時代になると、ほとんどが坂上田村麻呂と決まっている。この頃、何か天変地異のようなものが起こったのでしょうか?その理由はわかりませんが、大噴火が起きたとかも考えられそうです。

 さて、柴田町史には、拆石神社はスサノオではなく、ヤマトタケルの磐坂皇子を祀るとある。磐坂皇子は、市辺押磐皇子(いちのへのおしはのみこ)ともいう。
 456年頃、王位に継承させたかったが、雄略天皇が反対した。狩りに誘い、「猪がいる」と偽って皇子を殺した伝承がある。さらに舎人の佐伯部も殺し、同じ穴に埋めたと。また、押歯(八重歯)からこの名前がついたそうで、ここの葉坂という地名は、磐坂皇子の磐坂→破坂→歯(葉)坂になったといわれている。

 この神社のご祭神オオゲツヒメは穀物の神様なので、大地母神が根底にあります。阿波国から神生みのイザナギ・イザナミを産んでいるのですが、高天原を追放されたスサノオが関係している。高天原を追放されたスサノオは、空腹を覚えてオオゲツヒメに食物を求め、オオゲツヒメはおもむろに様々な食物をスサノオに与えた。それを不審に思ったスサノオが食事の用意をするオオゲツヒメの様子を覗いてみると、オオゲツヒメは鼻や口、尻から食材を取り出し、それを調理していた。スサノオは、そんな汚い物を食べさせていたのかと怒り、オオゲツヒメを斬り殺してしまった。すると、オオゲツヒメの頭から蚕が生まれ、目から稲が生まれ、耳から粟が生まれ、鼻から小豆が生まれ、陰部から麦が生まれ、尻から大豆が生まれた。

 この拆石神社にオオゲツヒメを祀るのは、死から生の再生が込められている。飛鳥時代まで遡れるか不明ですが、この時代からの子孫たちが住んでいたような感じがするうえに、拆石神社は、都から逃れてきた一族の墓場のような気がします。
 なぜなら、オオゲツヒメを祀る意味が深い。言霊で考えると、磐坂とは、言霊では「天津磐境(あまついわさか)」という。
「アワ」で産まれたオオゲツヒメは、淡路島のオノコロ島という日本列島誕生の島になる。
穂(コトタマ)が別れて出来る狭い区分(島)となり、「ウ」の天からアワが生まれる。
ウは、産む(うむ)の「ウ」で代表されるように無から有を生み出し、アワは、私とあなたの主体と客体。
 それから現象がおこり、天津磐境は、ウ、アワ、ヲヱエオ、ニイリミキシチヒ(八韻)、ヰイの17音の天津=先天、磐境=五葉坂(五官で現す精神の現象)という難しい話・・・・・。
磐境=五葉坂から、磐境に葉という地名に変えたのは、言霊の意味もあるでしょう。
 ここは、死からの再生を祈祷する場所だったことがわかります。誰かの魂を望んで。
 この思想は、新羅の人たちが新たな再生を求めていた場所だったのでしょうか?又は、古くから住んでいたアイヌや縄文人の末裔だったでしょうか?祈りとは、墓場でもあります。

 ところで、別名表筒男神(うわつつおのかみ)中筒男神(なかつつおのかみ)底筒男神(そこつつおのかみ)の三神を祀る意図は?
 オリオン座の三ツ星だと思いますが、三神を祀る神社は大阪の住吉大社で、海神です。
・・・」
 以下省略。長い引用になりましたが、地母神の祭神の大宜都比売(オオゲツヒメ)神の解説、その神はアワで生まれている、アワウの解説、そして磐坂の地名と磐坂皇子の繋がり、等々、面白い世界です。


2017年4月24日月曜日

919「合気14」2017,4,24 拆石神社

 東北自動車道を村田インターチェンジで下りて、村田町を抜けて柴田町に向かいます。下り坂を下りていくと、こんもりした小山の幟端がたっています。目指す拆石神社(さくせき)です。どうやら今日は神社の例大祭のようです。以下が神社の紹介です。

「説明: 拆石神社(柴田町)拆石神社は御由緒によると「往昔、宮下宅と呼ぶ地の後山に在り、拆石神社鎮守明神といった。
 平城帝の大同2年6月14日此神後山の社地を去り飛揚倏忽、其の有る所の巨石を裂きて、これを中分し石中にやどる。石形並立して屏風のようであった。かく石厳を折いて入り給ひしを以て郷人これより拆石明神といった。
 又、平城帝の御代、坂上田村麻呂将軍統制の折りこの神社を勧請し、武運長久を祈願したともいい、又、古老いわく、日本武尊東征の折、磐坂皇子を祀ったとも伝えている。村名元磐坂(後・破坂・葉坂)と称したのもこれによるという。・・・(後略)」とあります。

 由緒の通り、中腹から岩が裂けているように巨石が積まれ、周囲は神聖な雰囲気が漂っています。古来から山岳信仰や巨石信仰など、このような場所は神聖視される事が多く、この場所も古くから信仰の対象になっていたのではないかと思います。 説明: 拆石神社(柴田町)古くから神仏習合していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が排除され社号を「拆石神社」に改めて明治6年(1873)に村社に列し、大正3年(1914)に供進指定神社に指定されています。拝殿は入母屋、銅板葺、平入、桁行3間、梁間2間、正面1間向拝付。本殿は一間社流造、銅板葺、平入。参道には、石垣が積まれその上に長床を建て、山門(楼門)のような形状をしている建物や、境内には釣鐘などが配置されている事から、神仏習合の名残が濃い神社と言えると思います。旧伊達領内では、古社やいわくがあるものなどは神社山門(長床)や鐘楼がある例が非常に多いと言えます。
 祭神:大宜都比売神。配祀:菊理媛神、火産霊神、表筒男神、中筒男神、底筒男神。



 山門のある階段を登ると直ぐ正面に社殿があります。右手に山に登る小道を進むと石室があります。更に左手に周り社殿奥の山に入りと、驚く巨石が積み上げられて、屏風の様に並んでいます。その長さは50mほどもありますでしょうか。どう見ても天然のものではなく、人為的な意図を持って作られた人工遺構です。




 石を裂いた拆石(さくせき)神社と名つけられたことが納得出来ます。かつては破山神社と言われたようで、古代祭祀を行なった神仏混淆のする神社でありそうです。
 特別なエネルギーを地のそこから出ているようです。地底からの気を発しています。中山さんもこの地の在り様に興味を示されて暫し、確認されていました。


 石の屏風に向かって整列してあわ歌を歌い、ゆるゆるゆる、ふむふむふむ、さんさんさん を3回響かせました。その時のお言葉です。
「篩て 篩て 篩て参る。
 うたかたのこの地を真と致す。
 この地の底の大きなる気と、遥かなる気を合わせ行く。
 ひいえ〜〜え〜〜〜〜お〜〜〜おあえ~~お~あ
 頼みたるなり。」15:30

 この地の底の大きなる気と、遥かなる気を合わせ行く。とありますので今後も大きなお役目を果たす地とのことです。



 山を下り神社をでるとお神輿の行列が神社に向かって来ます。何と言うタイミングなのでしょうか。我々のあわ歌奏上と呼応するようで、この地の神々もお祝い、目出度きことであったのでしょう。


2017年4月23日日曜日

918「合気13」2017,4,23 せいじん庵・(磐司岩)

 昼食は大崎市岩出山の本格手打そば処「せいじん庵」です。3月4日の木内鶴彦さんの蝦夷・アラハバキ・アテルイの旅 の時にもここでお蕎麦を頂きました。皆さんに好評でしたので今回も麺食いの皆様に堪能して頂くつもりで予定しました。
 お店は沢山のお客さんで賑わっています。予約の個室席で暫し蕎麦茶を頂き、歓談して待っていました。



 次の目的地は仙台市太白区秋保町にある二口渓谷・磐司岩です。4月1日に秋保ビジターセンターが3月末までの冬季閉鎖を終えて業務開始していますが、果たして磐司岩山道が通行可能か分かりません。難しいだろうと思いつつセンターに電話で問い合わせしました。そうしたら案の定、雪でまだまだ通行止めとの事です。地獄谷と同様に、磐司岩はいつかの機会に巡ることにしてキャンセルです。

 行ったつもりで二口渓谷と磐司岩の紹介です。
「二口峡谷:蔵王国定公園区域の名取川最上流部にあり、秋保大滝から二口峠までの約15kmにわたる渓谷には、姉滝・磐司岩・白糸の滝などの奇勝・景勝が点在。
 磐司岩:磐司とは山の守護神の事。県立自然公園二口渓谷内の名取川上流部の二口沢と大行沢の中間に屹立する、安山岩質凝灰角礫岩・火山角礫岩からなる柱状節理の大連壁で、谷底からの高さが約600m、幅は約3kmもある巨大な岩盤・磐司岩。大パノラマは、壮大な造形美が観るものを圧倒する。高さ150m 幅3キロ以上の巨大岸壁。国指定名勝でもあり、その壮大な自然の造形美は圧倒的な迫力を持つ。」



 写真のように磐司岩は圧倒される様な巨岩壁です。岩は南に面してそそり立っています。いつかの機会に中山さんを同行してあわ歌を響かせたいものです。

 いよいよお蕎麦が配膳されました。せいじん蕎麦はせいじん庵の名を冠したこのお店の看板商品で、手打ち蕎麦を5種の薬味で味わうこのお店の一押しのお勧めです。今回は野菜天ぷら付きで豪華に頂きました。かなりなボリュームですが美味しく、皆さん大満足です。



 蕎麦アレルギーのGさん様に、特別にうどんを手打ちで親方が作ってくださり、これまた感激のGさんでした。前回の木内さんの時にも参加していて、その時は急遽、天丼でお願いしたのですが、再来の客ということでの特別の配慮で、嬉しい御もてなしです。

 心身満たされて、次の目的地、柴田町の拆石神社に向かいます。燦燦と輝く太陽の日差しの温もりで車中では睡魔に襲われる皆さんです。私は必死に眠気をこらえて運転です。

2017年4月22日土曜日

917「合気12」2017,4,22 鬼首

 自鏡山から宮城県栗原市栗駒は直ぐで、一山越えると栗駒です。次に目指すのは大崎市鳴子の鬼首温泉の吹上地獄谷です。日頃通ることがない山道を進み、鳴子中山平温泉から国道47号線に入り、暫く108号線を湯沢方面に進みます。鳴子ダムを左手に見て更に進み、吹上温泉に到着です。予想通り、地獄谷はまだまだ積雪で進入できません。引き返して吹上温泉の間欠泉を見学することにしました。
 この地は鬼首カルデラといわれるところです。以下の様な記載があります。

「鬼首カルデラ(おにこうべ)は、宮城県大崎市、栗原市、秋田県湯沢市、山形県最上町にまたがる直径およそ13kmのカルデラである。カルデラ壁の標高はおよそ1000~1200m。荒雄岳(カルデラ内の基盤岩が隆起した山)は984.2m(最高地点はツクシ森の989m)で中央火口丘は高日向山溶岩ドーム。
 吹上沢および片山地獄を中心に地熱活動が認められる。片山地獄には地熱を利用した鬼首地熱発電所がある。周辺には温泉も多く、鬼首温泉、宮沢温泉、吹上温泉、轟温泉、神滝温泉などが有名。なお、鬼首の雌釜(めがま)および雄釜(おがま)間歇温泉は国の特別天然記念物に指定されているが、現在は涸れてしまっている。」


 このカルデラの地形図も龍体のような感じもします。
 
 入場料を支払って間欠泉見学です。
「鬼首かんけつ泉には、約10分間隔で15m程噴出する間欠泉「弁天」と、20~30分間隔で2~3m噴出する間欠泉「雲竜」があります。
当園内の間欠泉噴騰メカニズムは、鉄鋼の研究で有名な故本多光太郎博士と故野邑雄吉博士により研究されました。
 研究の結果、「地下にある空洞に地下水が溜まり、これに火山の熱源が過熱して噴騰する①、垂直の穴に地下水が流れ込み、その下の火山熱で噴騰する②のケースがある」と認められました。このうち①が弁天、②が雲竜と考えられます。現在も、東北大学大学院理学研究科の西村太志教授が代表として、当園内の間欠泉噴騰メカニズムについての研究が行われています。」


 看板にこのメカニズムを図で説明してあり分かり易いです。弁天の吹き上げ口の前に囲いがしてあります。そこに皆さん並んであわ歌唱和は無く、「ゆるゆるゆる、ふむふむふむ、さんさんさん」を3回響かせました。


そうすると丁度間欠泉が吹き上げるではありませんか。ベストタイミングです。




その時のお言葉です。

「たたら を踏み来たその時、
 火と水、合わせて、大きなる夢を見たり。 
 是よりも火と水 交わり、真を現す。」11:55

 たたらとありますが、たたら製鉄の事です。
「日本において古代から近世にかけて発展した製鉄法で、炉に空気を送り込むのに使われる鞴(ふいご)が「たたら」と呼ばれていたために付けられた名称。砂鉄や鉄鉱石を木炭を用いて比較的低温で還元し、純度の高い鉄を生産できることを特徴とする。」
 この地でも鉄が取れて製鉄が成されていたのでしょうか。火と水を合わせてここの間欠泉、温泉も噴出しています。火と水で「かみ」、神です。新たなものを産み出す力がこの火水にはあります。そこに真を現すと在ります。これからの動きの一つです。

 園内の滝、温泉施設など散策して楽しみました。

  鬼首の山々はまだまだ雪景色です。この鬼首には、「坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際に、蝦夷の首領の大武丸を斬ったとき、その首がこの地に落ちたので鬼首と呼んだ」という地名伝説があります。角川日本地名大辞典には以下の様に記されています。
「温泉が地内所々に湧出し、古来、硫黄・石英・石雲母・金・銀・銅の鉱産や漆の生産に富み、馬産地としても知られていた。地名の由来については、坂上田村麻呂が蝦夷経営の際、蝦夷首領大武丸を斬ったとき、その首がこの地に落ちたので鬼首と呼んだという伝説がある。しかし鬼首は本来鬼切部(おにきりべ)と呼ばれていたもののなまりと思われる。鬼切部は平安後期奥六郡の安倍頼時と陸奥太守藤原登任の大戦があった古戦場。その安倍館と称するものが鬼切辺館あるいは鬼城と呼ばれ、古塁跡を残している。」