2017年1月28日土曜日

833「奈良田・富士5」2017,1,28

 8日朝はスッキリ目覚めて、朝風呂、朝食を頂いて8時前には宿を出発出来ました。


今日の最初の目的地は早川町奈良田の「奈良法王神社」です。Kさんと中山さんは今年の春にこの地を訪れていました。この奈良田には法王と名がつくに値する歴史があります。
 奈良田と奈良法王神社の謂れは以下です。

「昔 々、今から1300年余り昔のこと奈良の都にお住まいの奈良王様が、ある夜夢を見ました。夢の中で、真っ白い髭をたくわえた翁がこう申します。「甲斐の国、白鳳の深山に諸病に効ある霊泉あり」この頃の奈良王様はご病気だったのです。奈良王様とは、第46代孝謙天皇のこと。
 奈良王様は、甲斐の国を目指して旅を続けました。古府中(現在の甲府市)に入ると、夢の中の風景を思い浮かべ「あの山を越えたところじゃ」と、櫛形山を指差しました。奈良王様の御一行は、御勅使(みだい)川に沿って険しい山道をのぼり、土ノ小屋峠を越えて、山奥の小さな村にたどり着きました。
 奈良王様は 「おお、ここじゃここじゃ。この地に相違ない。奈良の都は七条なるが、この地は七段、ここも真に奈良だ」と驚かれ、この地は奈良田と呼ばれるようになりました。奈良王様は早速、川向かいの八幡社に手を合わせ、夢の翁に礼を述べられました。
 こうして、奈良王様は奈良田の温泉で病を癒しましたが、全快した後もすっかりこの地をお気に召され、8年の春秋をお過ごしになったということです。奈良王様が都へお帰りになった後、村人達は奈良王様のお住まいを奈良王神社として奉り、その残された功績を奈良田の七不思議として後世に伝えました。
 現在はその ほとんどがダム(奈良田湖)の出現で湖底に沈んでしまい、長い歴史を閉じるかと思われましたが、七不思議の中の「洗濯池」と呼ばれた温泉は、今もなお村人達に親しまれ、いろいろな病に効くことから七つの名を持つ温泉として残っています。御手洗のぬく湯、しょみづ、みょうぞんの湯、長寿の湯、子宝の湯、おぼこの湯、くなの湯。これらをひとまとめにして、奈良王様の七不思議にちなんで、「七不思議の湯」と呼ばれるようになったということです。」
http://blog.livedoor.jp/gallery_ogon/archives/65391850.html

 しかし、このような伝説ですが、それに付いて歴史的に以下の様な指摘もあります。
「孝謙天皇は758年に吉野を出発し、この地に8年滞在したそうです。758年は藤原氏の仕組んだ「橘奈良麻呂の乱」によって側近をすべて奪われ、失意のうちに淳仁天皇に譲位して(させられて?)しまった年ですから都を離れて湯治に出てしまったとしても分かるのですが、6年後の764年には淳仁天皇を廃して重祚しているのですから、8年間も山梨に滞在していたはずはありません。
 この間に退位して上皇となっていた女帝は、道鏡に出会い、道鏡や吉備真備らと共に巻き返しを図っていたようですから、何年も都を空けるようなことはなかっただろうと思います。」

 それはそれとして、その真偽は分かりませんが、この奈良田の地はフォッサマグナの重要なポイント地点でもあり、この地が今大事なところだからこそKさんにメッセージが下ろされているのでしょう。
 早川沿いの道を上流に上って行くと何とも険しい渓谷でトンネルを幾つも通り、橋を越えていくと人造湖の奈良田湖に着きます。湖の水は干上がってかなり水位が低くなっています。奈良田の温泉旅館を過ぎて細い道を山手に登って行くと奈良法王神社があります。



 道路脇に鳥居があり、林の中にひっそりとした小さな神社がありました。Kさんに12月3日に奈良田のお言葉あった時に、描かれた杉の木の間にある神社はこの奈良田法王神社そのものでした。


 静かな境内であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「うみう うみう うみう (拍手)
 あああ〜〜あ〜〜(拍手)
 永きに渡りてこの地を守り、深き大きなるこの地の宝、ここに沈めたり。
 今ここに、揺らぎ始まりたれば、この大きなる宝、出づりて、皆々の争い起こすなり。
 新たへ皆々変わりて後の、宝と致す為、何卒この地、鎮まらんとのこと、願いまする。
 その事しっかり知りて頂きたし。(柏手)
 おーあーうーん
 方々、皆々お頼み申す。」9:24


 この地には大きなる宝が埋められてあるようです。揺らぎと共に現われると争いの元になるので鎮まるように願っている、とのことです。その宝とは何なのでしょうか?

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