2017年1月5日木曜日

810「陸奥中心16」2017,1,5

(809から続く) 
 古来から日本には、中国から輸入?(影響)した陰陽五行というのがある。それを一つの学問として、当時の朝廷は国造り、都造りをしてきたのである。その都造りの前に、立地条件を考えるというのは、現代建築にも通じるのである。そこで重要な風水上のポイントとなるのは、龍脈。そしてその、龍脈の流れの始まりとなる高い山を太祖山という。そしてその太祖山から、気のエネルギーが龍穴へと向かっていくのである。

 龍穴とは、龍脈の収束地であり龍のエネルギーが集まり、そのパワーが発散するところ。そして龍は水神であるから、かならず水が必要となる。つまり龍穴には必ず龍が水を飲む水源があるという。更にその龍穴の環境には砂と呼ばれる、龍穴を守るようにして囲む山々や丘が必要…。つまりこれは、湖伝説を伴う遠野盆地そのものと重なってしまう。
 風水では、人の体に「経路」という気の流れが存在するように、山にも水にも脈、つまり気の流れがあると。大地の気は風によって散らされてしまうが水によって集められる。大地のエネルギーは風に吹き込まれるのをきらい、水のあるところを良しとすると云う。水源をいくつも有する遠野盆地は、まさにエネルギーの発生源なのである。
 遠野郷は、太祖山としての早池峰山を中心とする三山が鎮座し、鶏頭山と呼ばれ水源を有する薬師岳もまた、早池峰信仰を広まる為に役立ったものと思われる。「鶏が鳴く」というのは「吾妻(東)」にかかる枕詞である。「鶏が鳴く吾妻」とは「太陽が昇る東国」の意でもある。盛岡側からは東峰と称された早池峰は、鶏頭山と呼ばれた薬師岳と並んでいた。  
 これはまさに、古代太陽信仰の源である霊山だったのである。太陽と水の恵みによって人間が生きているのであれば、太陽信仰と水神信仰の合致はまさに生命の源。当時の人間が生きていく為には、必要不可欠な信仰と成り得るのだ。
 
「秀真政伝記(ホツマツタヱ)」という記紀の以前に存在したという書に、男神である天照大神の后神として、瀬織津比咩の名前が登場している。それがいつのまにか、瀬織津比咩は消え天照大神は女神となっているのは、どうしてなのか?もしかして、プラトンの「饗宴」に登場するようなアンドロギュヌスのような完全体としての神を作り上げた為か?
 もしくはダイアナ←→ヘカテという、光と闇、静と動、愛と憎しみという二面性の性格を持った女神のように、天照大神を主人格とした女神に変化させ為に、瀬織津比咩が表舞台から消えたのかもしれない。
 ここでの二面性は、まざまざとした生を体現させる太陽を司る天照大神と、人の悲しみ怨みなどを黄泉の国へと運ぶという死を匂わせる裏舞台に潜むシステムの滝と水を、そして桜を司る瀬織津比咩との合致である。だからこそ、早池峰神社では瀬織津比咩と共に天照大神が祀られ、太陽の神格化である早池峰山と、水と滝の、そして桜の神格化である薬師岳の合致により強力な支配力を発揮させる為であったのだろう。
 
 そしてもう一つ、早池峰神社に祀られている観音様は何?それは、十一面観音である。白鳳時代から密教の流入は、従来の観音信仰を大きく変えた。そこに現れた「変化観音」は、不可思議な神威霊力を振るう最強の仏神として、国家鎮護の法要に欠かせない存在となっていった。また瀬織津比咩も、最強の神としてエミシの国に祀られた経緯がある。要は、最強の神と観音のタッグコンビである。
「東大寺のお水取り」で執り行われる法要「十一面悔過法要」というのがある。悔過とは生きる上で過去に犯してきた様々な過ちを、本尊とする観音の前で懺悔するという事だが、要は天下国家の罪と穢れを滅ぼし浄化する観音だ。つまり、瀬織津比咩の穢れ祓いと同格の観音なのだ。そして瀬織津比咩と違うのは、形としてハッキリ残る十一面観音を祀る事ができるというメリットだ。偶像を祀る事によって存在を明らかにし、その観音を信仰する事により”救済”という甘い言葉を振りかざし、その地の穢れを祓って浄化するという意識の現われが、瀬織津比咩と十一面観音だったのかもしれない。

 東北全体での丑寅の方角に位置する岩手の遠野に、蝦夷の力の源であると信じたであろう朝廷側が、何も策を施さずにいる筈もないであろう。瀬織津比咩が天照大神の荒神であるとは書いたが、荒神とは激しい霊威を発揮して人間社会に災いもたらすなど、畏れ敬うべき神である。そして水神でもあった、当時の強力無比な瀬織津姫を辺境の蝦夷地まで運び、蝦夷のパワーの源である山龍・水龍・龍穴を押さえる為に霊山であった早池峰山の麓に、早池峰神社として鎮座させ、さらに早池峰山を中心に広がる水龍(水脈)を朝廷側にとっての穢れ祓いをする為に、滝神として瀬織津比咩を祀ったのではと考える。

 本来であるなら、広大な山脈を有する岩手山を中心とした奥羽山脈も候補となるのだが、北上山系であるコンパクトにまとめられた遠野郷には、有力な蝦夷である閉伊族もおり、馬産地であり、金も採れ、鉄の産地でもあった。つまり、蝦夷の力の源であり、朝廷側にとってはやっかいな龍穴が、遠野郷であったのだろうと思う。
 その瀬織津姫が早池峰山を中心に信仰され、その瀬織津比咩を祀っている社の数が岩手では23社。青森1社。秋田1社。宮城1社。山形2社という数を見てみても、改めて岩手にこれほど集中しているというのは、驚きである。それは、朝廷側から見た場合、鬼門である丑寅の方角である東北の中で、更なる丑寅が岩手の地であるからだと思う。
 つまり鬼門中の鬼門が岩手なのだ。だからこそ、朝廷は長年恐れおののいていた鬼門を押さえるための呪法を施したのではないかと推測するのである。蝦夷を倒した坂上田村麻呂が毘沙門天として、蝦夷の呪いを押さえ魂をを平定させる。そしてその蝦夷の地と蝦夷の魂を鎮魂し浄化させるという瀬織津比咩を配し、いやそこに、天照大神である太陽神としての合致も含めて、二重、三重の呪法が、この岩手の地に施されたと考えてしまう…。」