2017年1月2日月曜日

807「陸奥中心13」2017,1,2

 今回の巡りも最後の目的地、遠野市小友町にある巌龍神社に向かいます。その車中、巌龍神社の参拝後にミーティングを開催することに決めました。
 先ほど早池峰神社であったお言葉の5ヶ所の巨石の場所を精査、吟味すること。更に皆さんで今回の巡りの反省を含めて皆さんのミッションを確認しシェアリングを行なうことです。お店を新花巻駅近くのお店を16時過ぎに予約して準備万端整えて車を進めました。

 巌龍神社の不動岩は長野川と鷹鳥屋川の合流点に鎮座する高さ約54mの巨岩で、一際目を引く見事なものです。
 改めてこの不動岩に付いての表記を紹介します。
「巌龍神社の創建は明らかではないが、その昔不動岩の隣にある常楽寺の開祖・無門和尚が、不動明王を勧請して巌龍山大聖寺と称し、不動岩を本尊として崇めたとされる。無門和尚は、遠野市附馬牛(つくもうし)の東禅寺を開基した無尽和尚の弟子であったといわれている。東禅寺の開基が建武年間(1334~36)頃と推定されるから、巌龍神社の創建は室町時代に入ってからのことと思われる。
 かつては不動岩の根に清水の湧き出る池があり、ここから汲み上げた「神水」で水垢離をしていたが、今は湧水が出なくなり水垢離は省略されている。
 また『聞き書き遠野物語』には、「不動岩で、山伏・源龍院が旧暦9月28、29日に行う祭りがあった。不動岩には龍が昇るような形をした割れ目があり、その割れ目を山伏が読経しながら頂上まで登った。これは、明らかに修験で重視する胎内くぐりの儀式化であり、修験道的な再生の儀礼であった。」と記されている。
 川の合流地点に屹立するこの岩壁は、まぎれもなく神の降臨を仰いだ磐座であり、古くから祈りを捧げる場であった。後に羽黒修験などの山伏が棲みついて行場をつくり、不動明王を祀る祭祀場となる。不動様は、滝や泉など水のあるところに祀られていることが多い。また、龍も水や雨をつかさどる神として古来より信仰の対象となっている。
 不動岩の岩面にある縦縞の亀裂が、天に昇る龍のイメージにつながったのだろう、いつしか不動様と龍神様が習合し、このあたり一帯の水脈をつかさどる龍神の棲みかとなって巌龍神社の創建へと展開していったと思われる。」
http://home.s01.itscom.net/sahara/stone/s_tohoku/iwa_ganryu/ganryu.htm

 ここではあわ歌を歌わずに「あいうえお」だけを発しました。その時のお言葉です。
「聳えて立ちたるこの大き印。
 程なく参るその時迎え、大きくこの身を広げ行き、受けて発して、大いなる元へと帰られませ。」15:05


 目出度く巡りを終えることが出来ました。全てはありがたき導きです。車は花巻市のミーティング会場の喫茶店に向かいました。
 喫茶店では皆さんでプリン大福とコーヒーを頂きました。

その中で、未だご自分のミッションに気づいていない方に、その道標となるお言葉を中山さんから頂けることに成りました。数名の方が頂き、納得の方もいれば、未だピントこないという方もいて、それぞれの学びの課程を歩んで居られます。
 
 その中でSさんは具体的なミッションを頂きましたので紹介します。
「進みゆく道、ここに現し、共に参るを望みます。
 来る年の3月3日、日が昇り行く海に向かいたる地に、三度参りて、その身を繋ぐ。
 その地は、ガタガタ、ヒルミておられるが、発して励まされませ。」

 私とIさんは2月の巡りの5ヶ所の巨石の解析作業です。私は地図を眺め、Iさんはパソコンで今迄の巡りの箇所をプロットして調べ、ラインを引いて確認作業です。


次第に早池峰神社のお言葉から、その5ヶ所の巨石の地が見えてきました。
「伝えはここより真っ直ぐ3つ。
 その三番より西に1つ。
 それより北東に1つ。
 定めて頂きたし。大いなるこれよりの力なり。」

 早池峰山から直線で結べる3箇所。
 早池峰山→巌龍神社(不動巌)→物見山(モナドノックス)→立石神社(立石)
 立石神社から西へ 龍神穴瀧(瀧の巨石)
 龍神穴瀧から北東へ 丹内神社(アラハバキ大岩)
 この5ヶ所でほぼ早池峰山を頂点とする二等辺三角形が出来ます。中山さんのこのポイントで良いでしょうということになりました。後は当初から予定されていた2月11,12日に巡りことになります。建国記念日に新たな建国を成すことに成りそうです。