2016年11月28日月曜日

771「陸奥三陸13」2016,11,28

 黒崎仙境に向かってあわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「心あれば唱えて参られ。
 古き元なるこの音ぞ。(柏手6回)
 さん さん さん いや うえ うるう むう さん さん う〜」12:06





 黒崎仙境に付いては以下の記載があります。
「黒崎神社は嘉祥年間(848~851)の創建と伝えられ、祭神は神功皇后である。古来より広田半島に住む漁民の信仰を集め、かつては沖を通る船は必ず帆を下げて航海の安全と大漁を祈願したという。こうした「礼帆」の習俗は、沿岸部で漁労航海神を祀った神社には全国的に見られ、かなり普遍的なものと言える。しかしそのいっぽうで黒崎神社の古い信仰には、海中にある神秘的な洞窟へのそれもあったらしい。当社の本宮(創建当時の黒崎神社があった場所)近くには海に面して亀裂のような断崖があり、その根元には雌沼雄沼という岩穴があって、次のような伝説が伝わっている。
「黒崎仙峡は、陸中海岸国立公園の中で最も雄大な海蝕景観を誇っている。
 この黒崎仙峡の岬の天狗の投げ石の下に一つの岩穴がある。この岩穴はいつもは海の中にあって見えないが、旧暦の3月3日だけは潮が引いて、よくその穴を見ることができる。この日にはまたこの穴から神楽のような音楽が聞こえてくるという噂を聞きつけて多くの村人たちが見物に来るようになった。
 ある年のこと、この神楽のことを聞いた殿様が、なんとかして岩穴の秘密を知りたいと思い、調べに行くものはいないかと「お触れ」を出した。
 このとき、与八と佐十という兄弟が名乗り出た。彼らは常日ごろ、仲が悪くお互いに意地を張り合っていた。
 2人は準備をして岩穴探検にとりかかった。潮との長時間の戦いの後、狭い水路の所で、2人は船を捨てて海に飛び込んだ。
 岩穴の前は深い淵になっており、潮の流れが激しくうず巻いていた。何度も押し流されたが、泳ぎ達者の2人はとうとうここを泳ぎ切った。
 静かなよどみに出たとき、頭上から不思議ななんとも妙なる楽の音が聞こえてきた。与八と佐十はふと正面の岩壁の上を見上げた。突然2人の顔色が変った。岩の上に長い髪を腰まで伸ばして白衣の女が横たわっていたのである。音楽もやみ、ただならぬ妖気がただよってきた。
 恐怖におののく2人は無我夢中で逃げ帰った。殿様の前で岩穴の秘密を話し終えると、2人はそのまま手を取り合って死んでいった。」-「気仙の伝説 陸中海岸の伝説より」

 更にこの信仰の背景を考察していますが、他の神社も出ますがそのまま紹介します。
「これもまた伊古奈姫命神社と同じく、「海洋から来臨する神霊の籠もる洞窟」という基層信仰に、「外部からの来訪」という項を介して、後世になって平家の落ち武者伝説が上載されてできた伝承ではなかったか。
 伊古奈姫命神社は社名通り女神を祀っているが、蛇ケ崎神社も豊玉姫命を祀っており、黒崎神社の祭神である神功皇后も女神の一種と考えられる。こうしてみると海中洞窟への信仰が見られる神社には女神が祀られている傾向が感じられる。これは洞窟地形が母胎を連想させることと無関係ではないだろう。古代人にとって岬の突端は、海洋から神が来臨する聖なる場所であった。かつてはこのような場所にある洞窟に女神がいて、来訪した神と神婚し、威力ある新しい神霊が誕生するというような信仰があったのではないか。」
 
 更に「祭神の神功皇后について思いつきを一言。」として以下の記載もありました。
「神功皇后は神社の祭神として珍しいものではないが、周知の通り、普通は八幡神として応神天皇とセットで祀られていることが多い。神功皇后が単独で祀られている場合もあるが、そういう神社は神功皇后伝説が多く残された地域に鎮座しているもので、当社のように皇后の渡航ルートから大きく外れた地域で単独に祀っている例は珍しいのではないか。ところで、『太平洋が池のよう』で紹介した子友町の八幡神社は、当社から北に3km程度しか離れていないが、この神社は八幡神社であるにも関わらず応神天皇しか祀られていない。あるいは当社と八幡神社には信仰面でつながりがあり、両社は母子神としてセットだった、ということはなかろうか。」 

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