2016年10月28日金曜日

740「青天の霹靂6」2016,10,28

 月が替わり10月1日土曜日朝6時10分頃にホテルで神人さんと合流して仙台駅に向かいました。良い天気です。仙台駅に6時半集合してバスで出発です。
しかし1名まだです。どうしたのかなと思っていると電話が丁度入り、何と寝坊して今起きたとの事です。山形の方で後で、仙台に出て、新幹線で八戸へ、そこからバスを乗り継いで追いかけると、十和田湖の昼食には合流出来るということになりました。先ずは16名で陸奥、十和田湖を目指して北上します。

 今年の6月4~5日に青森津軽を神人さんと巡りましたが、今回は青森南部を中心に巡るコースです。詳細は以下の案内をご覧下さい。
http://genkiup.net/seminar/seminar284.pdf
 
 全ては順調に、時間通りに十和田湖に着きました。十和田神社は前回、6月にも参拝しています。今回は奥宮の青龍神社、とイワクラを案内しました。




 神人さんは青森出身で十和田湖は何度と無く訪問しているのですが、この奥宮には訪れたことが無いといいます。子供の頃にお父さんと来て、この奥には危ないので行くなと言っていたのでこれまで行かなかったそうです。えっ、と言う感じです。
 参加者の中で前回の巡りにも参加しているOさんは竹内古文書の第1人者で故高坂和導さんのご縁の方です。日本の各所も含め、世界中を巡っている方ですが、十和田神社は何度も参拝しているのですが、奥宮はやはり初めてといいます。
 十和田神社を参拝して奥宮への参道、階段を登って行きます。青龍神社を参拝して、直ぐ脇にあるイワクラです。岩に登り上がり、神人さんはにわかに語り始めました。相手はこの十和田湖を治めている霊存在のようです。離れていたので私には声が聞こえないのですが数分間のやり取りがあったようです。
 どうやら、神人さんはその霊存在に教え諭し、ある意味では叱りの言葉を発したようです。それに呼応して沢山のこの地に繋がる霊存在を呼び起こし、集まって来たようです。何とも異次元の世界のことで、不明なことですが、良き流れを生み出して下されば幸いなことです。
 更に奥にある「占い場」へは現在は立ち入り禁止です。







 十和田神社に付いては以下の紹介があります。
「十和田神社は中山崎の付け根・休屋の奥に位置します。流造の様式をたたえる本殿と、どっしりとしたしつらえの拝殿。細部までこだわりが見て取れる彫刻など、重厚な建築美に荘厳さを感じる佇まい。
 祭神として日本武尊が祀られていますが、明治の神仏分離までは東北地方に色濃く残る水神信仰の象徴であったと言われています。その証拠に、江戸時代には十和田山青龍大権現が祀られており、現在も奥の院に祀られています。静謐とした雰囲気の中、今も竜神の息づかいを感じるかのような神秘に満ちた場所です。
 青龍権現とも、熊野権現とも呼ばれていた十和田神社。その縁起には2通りの説があるとされています。
 一つは大同2年(807年)、征夷大将軍・坂上田村麻呂創建とされる説。東征のおり湖が荒れて渡れず、祠を建てて祈願しイカダを組んで渡ったという。
 もう一つは、南祖坊(南蔵坊、南草坊ともいう)によるもの。熊野で修行した南祖坊が、鉄の草鞋と錫杖を神から授かり、「百足の草鞋が破れた所に住むべし」と夢のお告げを得て、諸国をめぐり、十和田湖畔で百足の草鞋が尽きたといいます。当時、十和田湖には八郎太郎というマタギが、湖の岩魚や水を喰らううちに八頭の大蛇となり、湖を支配していたそう。そこで、南祖坊は、その霊験により九頭の龍に変化し二十尋(約36m)の身体を、十曲(とわだ)に曲げ、八郎太郎を退治たという伝説が残っています。南祖坊を青龍権現として崇め祀った名残りが今もあり、境内の熊野神社には彼の履いていたという鉄の草鞋が奉納されています。」