2016年10月21日金曜日

733「まほろば10」2016,10,21

 午後の1番目は南陽市にある熊野大社で、日本三熊野の1つとされています。東北の伊勢と言われるだけあって参拝の方も沢山です。境内の大銀杏は見事です。立派な社殿で彫り物も素晴らしいものです。本殿裏にはうさぎが三羽隠し彫りされていて、三羽すべてを見つけたら、願い事が叶うそうです。


 以下が熊野大社の紹介です。
「当社では伊弉冉命を主神とし、素盞嗚尊・伊弉諾尊を配祀している。
 社伝での最も古い記述は、大同元年(806年)、平城天皇の勅命により紀伊国熊野権現の勧請を受けて再興されたとするもので、それより前の国分寺建立のときに創建されたものと推定されている。実際には平安時代末期の平維盛(1158年 - 1184年)により創建されたとする説もある。社伝によれば、後白河天皇が久寿2年(1155年)の即位のときに当社に天下泰平の祈祷を命じ、以降勅願所になったと伝える。歴代の領主である伊達氏・最上氏・上杉氏の崇敬を受け、社領の寄進や社殿の整備が行われた。神仏習合の時代には、熊野三山と同じ証誠寺の寺号を称することを許され、熊野修験の一大霊場として栄えた。明治5年(1872年)に郷社、大正6年(1917年)に県社に列した。」








 阿久津八幡神社は高畠町にあります。国道113号線に面してあり、道路からも三重塔が見えます。社殿は250年程前に建てられた茅葺のもので、見るからにその年月の多さを知れる貴重なものです。こちらは閑散としていて私たちだけでゆっくり古の信仰の世界を探訪しました。

 以下が紹介ですが、高畠町は古くから文化が栄えた地のようです。
「安久津八幡神社は、貞観2年(860年)、慈覚大師が豪族、安久津磐三郎の協力で阿弥陀堂を建てたのが始まりと言われ、後、平安後期に奥州平定のため、源義家が、戦勝を祈願して、鎌倉鶴岡八幡を勧請したと伝えているが、もとより定かではない。
 生い茂る樹木に囲まれ苔むす石畳参道の入口左手に、端麗な姿の三重塔、参道途中に舞楽殿、その奥に本殿がある。この三建造物は県の指定文化財となっている。
 三重塔は寛政9年(1797年)に再建されたもので、初建は、寛永2年(1625年)といわれている。方三間造で銅版葺き、置賜地方唯一の層塔である。
 舞楽殿は、室町末期のものといわれ、方一間宝形造、茅葺きである。毎年5月3日には、倭舞(やまとまい)、9月15日には延年の舞が気品高く、古式豊かに舞われる。
 本殿は、三間社流造、茅葺きである。
 境内には、鐘つき堂・流鏑馬的場跡などがあり、裏山一帯には、安久津古墳群(鳥居町支郡)十数基が点在している。そのほか奥の院の洞窟などがあり片葉の葦、爺婆石、弘法清水などの伝説も残っている。町歴史公園の東に位置し、神社西方の山は5千本ほどのつつじで彩られる。境内の東側には、郷土資料館がある。また、周辺を歴史公園として整備し、「うきたむ風土記の丘」の中核施設として県立考古資料館がある。」
 









 向かいには道の駅がありトイレ休憩です。地元の特産物が沢山です、買い物好きな皆さんは余念無くこれはと言うものを物色して楽しんでいます。巡りも終盤です。