2016年5月24日火曜日

608「戸開き5」2016,5,23

 2日目8日の朝は快晴です。ホテルから八戸市街、さらに太平洋が一望できる素晴らしいロケーションです。6時前からホテル玄関前では車が40~50台が乗り付けて朝市が行われていて沢山の近隣の方々が買い物に集まっていました。私は野菜や加工品、海産物などを覗き見して朝風呂に向かいました。皆さんで7時からバイキングの朝食を頂き8時前には出発出来ました。
 最初の目的地は八戸市南郷区島守にある龍興山神社、その山の麓にある福一満虚空蔵菩薩堂です。以下のような紹介があります。
「日本三大虚空蔵菩薩の一つで丑年、寅年生まれの守り本尊。
 京都の法輪寺、福島の円蔵寺とともに日本三大虚空蔵とされている菩薩堂です。
 丑年と寅年の守り本尊とされ、地元では「こくぞうさん」の呼び名で信仰されています。入り口には、御影石でできた牛と虎が対になった大きな石像があり、なでるとご利益があると言われています。」
http://blogs.yahoo.co.jp/yn37/32000605.html








 総合情報館、朝もやの館の駐車場に車を止めて参拝しました。龍興山は目の前で、新緑に覆われ、ピラミッドのようにそそり立ち一際存在感があります。菩薩堂は狛犬ならぬ牛と寅の大きな御影石の石造が鎮座していて迎えてくれました。朝日が降り注ぐ中、タンポポが咲く草の上で心地良くあわ歌を響かせました。その時のお言葉です。

「燦燦と降り注ぐこの光を受けて、皆々生き生き、嬉しき、楽しきを只々過ごしたこの良き地が有りたり。
 幾多の争い、変化の後に、許されし皆々が作りたるがこの今なり。
 大いなる嬉しき地となりたるや、良く良く知りて、遥かなる真へ参る是よりを、しっかり定めて遥かな光と、豊かな水、澄み渡るこの気と共に参られませ、新しきへ〜。」8:51

 次の目的地は南部町に聳える名久井岳の山中にある恵光院 長谷観音堂です。四戸の地名は残っていませんので、かつてはこのあたりではと思える南部町の中で是はと言うところで決めさせて頂きました。恵光院には以下の紹介があります。
「宝珠山恵光院の創建は元中7年(1390)に開かれたのが始まりと伝わる古寺で、本尊である長谷十一面観音像を祀っている事から長谷寺とも呼ばれてきました。別の由緒によると建徳元年(1370)、長慶天皇の弟である明尊により開かれたとされ、境内背後の高台は長慶天皇が僧侶と偽り当地まで逃れ御所を構えた場所で、天皇も当地で崩御されたと伝えられています(南部煎餅は長慶天皇が長谷寺を訪れた際、家臣である赤松助左衛門が自分の鉄兜で焼き上げ献上したのが始まりとの説があります)。」
http://www.sukima.com/12_touhoku00_01/05keikou_.html






 観音堂の前、大銀杏の下であわ歌を響かせました。お堂には朝の光も燦燦と降り注いでいました。その時のお言葉です。
「来る日を大きなる素晴らしきとなさるは、皆々様の真をここに現し行く事なり。
 多くの永き時を経て、全く新しきへ向かうこの宇宙、この地球、それぞれの宇宙の大いなる  支援と共に参り行く。
 ここに現し行くは皆々様なり。
 しっかり受け止め、発し行き、多くの方々皆々共に参りましょうぞ。あ~」9:57


 三戸はかつて南部藩が盛岡に移るまでの中心地でした。三戸城の概要は以下に詳しく記載されていますので興味のある方はお読みください。
http://www.aotabi.com/ao/3/siro.html
 その三戸城跡には糠部神社があり、樹齢800年という杉の巨木、樹齢400年のサイカチや黄色い桜など珍しい木々があり、公園として整備されています。桜の名所でもあり、まだそこかしこに桜が咲き、つつじも鮮やかで、暖かい日差しに甘い色香をかもしています。








その桜の木の元であわ歌を響かせました。
「この身を借りて、数年にわたりて、共々為し行き来たりたり。
 ここに発し行くは始めなり。
 苦しき時を過ごし来て、遥かなる光の支援受け、新たなる道へと参ります。
 ここに申すは、皆々様の響きは、それぞれそのご自分の全てに伝わり、小さき全ては思いを受けて、それぞれの場を務め行く。
 大いなる光を只々この響きに乗せ行けば、全てを統べる身となりて、只々嬉しきへ参ります。
 この歌響くは大きなる真へ繋がりて参る事。
 いやいやいやう〜ありがたき。」10:40