2015年10月16日金曜日

490「楽生2015,10,14

 楽しく生きる、そして楽に生きる。楽生面授はその秘訣を伝授頂ける、稀なる世界です。宇宙僧となられた杉浦清始御導師のお話を伺う中に数々の気付き、変換が生じる不思議な時空があります。
 9月27日に久しぶりにチャレンジPPKの例会で両代表の近藤洋一ことジミーさんと杉浦御導師の御尊顔を拝して、楽しい学びをしてきました。内容を紹介します。

 まず会の趣旨を近藤代表からお話いただきました。
「死は縁起でもないというのが常識だが、PPKでは死は悪いものではなく、ゴールへの楽しみに進む人生として捉え、四苦八苦から歓喜人生へと生きようがPPKの目的だ。
 そのきっかけは杉浦導師に死に際に印籠を頂くと死後硬直が起きないということだった。その学びの中心がこの杉浦導師の楽生面授で、本番は生前葬、新生祭です。」

 杉浦宇宙僧のお話です
「世の中の波動が変わった。如何にイキイキ楽しく生きるためには、今までの意識、感覚を変える必要がある。今の現実があるのが先でなく、その現実が何で出てきているか?まず 各自の思い、意識があり、それが原因で出てきている。自分の意識が先にあって生じている世界だ。今日も皆さんが集ったのは偶然ではなく、細胞1つ1つ脚を運んで来た。全ては意識、人の思いである。
 そのことを今日は纏めて書いてきたので紹介します。
「この世の出来事はすべて幻」
 世の中の出来事はすべて「幻影」「我が心の内」の景色です。
 いかなる人、あらゆる出来事もとらえ方、いわゆる認識なのです。
 認識ゆえ、自らの認識しかありません。
 ゆえにこれも幻。
 どこにも確かなものはありません。
 ただ、そう思い込んでいる自らの心があるだけです。

 話を聞いても頭で分かるけど、と言うのが大方だ。ある方は癌が発病していたが、そのことは言葉で分かっていても分からない。12月31日は元気で過ごし、正月元旦にお雑煮を食べて11時に亡くなった。その方は家族も含めて私と縁していたので、その後伺い、死後硬直無く旅立つことが出来た。
 全ては意識だ。頭でそうだと分かったら、その通りの行き方で出来ると思って生きること。しかし頭で分析しようとすると分からない。本人は神なのに、本気で思っていないから、実感と乖離がある。知識だけでは壁がある感じだ。あっ、そうだ。と思うだけ。
 
 私は29歳で出家してこれまで数百人の亡くなった方を送り出した。だから自分にとっては常識で、死ぬことはたいしたこと無い、と実感して生きてきたので、そう思えるようになった。だからそう演技して生きてきた。分からないけど、経を唱えてやって来た。お題目を唱え、波動で聞くと、死んだら脳は機能しないが魂が、細胞が聞いて理解している。意味を捉えてそうなる。死んだ人の身体が柔らかくなる。摩訶不思議なことだ。
 生前葬とは生きている間に向こうの世界を体験することで、体験すると変わる。何故変わるか分からないが、私がやるとそうなる。まやかしの宗教と思われたくないが、自分が経験し、実感して会得してほしい。

 自分が思った通りの人生を生きる。物質も身体もそうなる。身体も臓器、部品を変えたら良いと思い変換した。そう思って目が悪くなった時に自分の水晶体を変えた。悪性リンパ腫の時も自分は死なないと思い込んだだけ。これから93歳まで生きようと思っている。そして妻より先に死ぬ。戒名を決めてこう生きようと決めている。楽しみは、美味しいものを食べて、野球のソフトバンクを観て、生きているのが楽しみ。何か分からないけど、分からないものが働いている。感謝して、健康でいのちを授かったことに感謝。ただただ、うれしく、明るく、楽しく過ごして下さい。
 分けの分からないところに働きかけることで反応してくれる。是までは、目に見えたものに心を動かされ過ぎた。見えないものに感謝する。それらは山への崇拝から、自然への祈りから始まった。
 ひらめき、直感で生きたら良い。理屈、理性、頭で考えずに直感で生きる。しかし教養、理性などが支障をきたす、との思い込みがある。人間が生きるとはどういうことか、を探求していく。そして残して行く。
元気に生きていくのには水が影響している。
 
 想いが現実を作っている。これから何が出来てくるか意識で思ったら、それしか出てこない、と思い込んだら良い。生もないことを思わずに生きる。全ては想いの中で、プラス、マイナスは無い。はっきりそう思い込んだら良い。一人でなく出来る限り宇宙空間に言明すると良い。宇宙エネルギーが聞いてくれている。2015年からそれがはっきりしてきた。だから、意図して言明して生きること。

 参加者の方に25年前に杉浦導師にご縁したFさんが居られ、その方の興味深いお話しをお聞きできました。
「25年前に八丈島に杉浦導師が居られる時に55歳の母を連れて行った。糖尿病で、網膜はく離で目が見えなかった。北九州の小倉から車椅子で飛行機に乗って行き、1週間ほど滞在して帰りは目が見えるようになり歩いて帰ってきた。たまたま今日の集いを知って杉浦導師にお逢いしたくて来た。
 昔、杉浦導師に兄のご縁で家に来てくださり、母が何か感じたようで八丈島に伺った。不思議なことに目が見えるようになり、身体も歩けるようになり、帰りの飛行機で来たときの飛行機のスチュワーデスが同じ方でその変化を見て驚いて声を掛けてくれた。
 杉浦御導師と会って過ごすうちに良くなったのだが、帰って暫くして又悪化してもう既に亡くなったが、生活の場や自分の考えの癖が出てきてそのように再発したように思う。」  
 杉浦導師はそのことをすっかり忘れていて、話を伺う内に思い出してきて、いろいろな出会い、不思議な思いの世界を懐かしくお話し下さいました。
 
 その他の方々のお話を簡潔にまとめると以下です。
「自分に都合の良い思いが現実を引き寄せる。有利な比較をして感謝する。楽しい、嬉しい、ありがたいと思う。」

「テーマの全体と部分がある。理念で各個をとやかく言わないほうが良いかと思う。」

「立ち位置で景色が変わる。理屈でなく身体で感じたい。川田さんが境界線をなくせという。垂直、水平を俯瞰して、気で全部繋がる。」

「純粋なので悩みを感じているが、結局、人生は当たりくじを決めて、阿弥陀くじを引くことだと思う。反省をしないでいける。何でも体験、経験したらよい。最後はあたりくじになる。必要なことしか起きない。何でも楽しんだら良い。」

 最後に杉浦御導師がまとめられました。
「今生で見極められずに死んでいく事もある。男女の実りは最高なもの。オルガニズムで行ける。それを、その最後を究明しないで死んでいく。次の世の中にそれが望みとして残しておく。輪廻転生は忘れているが思い出すことが出来る。次は目標を編み出していく。全ては自分の意識の中。過去、未来はどうにでもなる。」
 何とも奥深い、人の求める想いの世界です。
 今回は25年ぶりにその時の不思議を目の当たりにした方が家族を同道して杉浦宇宙僧にお逢いし、何かの気付きを願って参加されました。その想いは次に広がり、新たな展開に至るようです。全ては意図した存在の役目です。
 杉浦宇宙僧との新年の信念会は28年1月24日です皆さんの参加をお待ちしています。
http://genkiup.net/seminar/seminar272.pdf