2015年2月18日水曜日

410「祀り10」2015.2,17


 終わって中山さんから、自分も今日を終えて10日目の確認が成されること、それも含めて皆さんへ感想、ご意見をと投げかけられました。その内容をかいつまんで簡単に紹介します。

感想
「力を抜く事が難しかった。小さく歌うより自分は大きく歌う方が楽だと思った。」
「是までと違う。優しい感じ。歌っていて力が抜けて行く。音とひとつに成る感じ。」
「緊張して身体に力が入って音が出ない。喉を使っていたのでもっとリラックスして行くことが必要だ。」
「力を抜いて中山さんと一緒にと思ったが難しい。でもやるしかない。」
「中山さんの歌は優しく、柔らかに包み込むようだ。声を低く出すのが難しい。声の大きさでない。」
「歌えたこと気持ち良かった。息が途絶えてやっとのことだった。」
「歌えると思ったが、胸の中が揺さぶられて中山さんに付いて行くのが必死だった。」
「精妙で響いて、倍音が聞こえ、雅楽の様で人間の声でなく聞こえた。中山さんの様に真似ができなかったが努力が必要だ。」
「切れ味良く、柔らかく奥に入る。上半身に響く感じ。」
「各自低く歌っているが共鳴していた。」

 最後に中山さんからお話がありました。
「このあわ歌を伝え切れるか分からないが、どうしたら良いか。各所で一人ずつにこのあわ歌を歌い伝えるのは時間的な事等あり無理がある。しかし皆で一緒に歌うと大事な所が伝わりにくい。
 最初の音を引っ張ると強くなるし、声が続かないし、精妙にならない。声を出し切ると変な感じになる。次の音が上手く出ない。そして途中で調整が必要になる。
 歌の響きを向こうの方で要望しているが、そのところへ行くのに時間が無くなってきている。是までは、いろいろと歌い方を変えて段階を踏んできているが、あわ歌を歌い始めた頃からの方はそれを知っているので入りやすい。しかし長いから良いと言う事でなく、最近始めた方もそこに行ける。真剣に歌うには一人で歌うのが良い。」


 初めての事は何かにと色々な反応があります。しかし自ら求めて自らを変え、能力を高める努力なくして、環境激変の前に今までの方法、手段では通用しない状況にいよいよ遭遇するようです。あわ歌を歌う事の意味、目的も見えて来ました。
「あわ歌歌いて響きて平かに成し、安心作り上げる事なり。響きて響きて新たなるへ。」

 厳しくお伝え頂きましたが、全ては各自の自由意思の中に委ねられています。
 15時から1時間程各自お話をして交流して頂きました。その間、中山さんと各地であわ歌会を主宰されている主たる方々と、4月以降8月までの陸奥の巡りの事について打ち合わせさせて頂きました。各自の役割を分担して果たして行く中に道は開かれ、ネットワークが出来上がり、未知の道開きが出来る事を念願しております。

 中山さんを仙台駅にお送りして食事をしてお別れしました。中山さんは無事に儀式も終えることが出来、ご機嫌よくお帰り頂けたようです。次回は4月のあわ歌会と下北・津軽の巡りの旅です。
 中山さんが乗られる新幹線の車中からお言葉が舞い込んできました。
「大久保様
 おおきにお世話になりました。あなた様のその思い、しっかりと受け取りました。
 安心立国、この地に打ち立て、民心安寧、喜びを知る事となり、響は果て無し。
 続くははるけき。」19:10
「S様
 喜び久しき、共々麗し。やがて来る来る、嬉しき皆々、はるけき道なり。
 是より参る新たなるなり。そのことここにあるは、それらの事々承りて、
 道開き、さあさあどうぞとなさり。」19:15


「唱える言葉は是より変わりて、はるけき宮へ繋がり行く。そのこと大事ぞ、伝えは是より。写すはこの身の中にあり。さあさあ、参るは五月の末日。」19:43
「大三元。お解かりなさるや、この大きなるを。ただならぬぞ、この事は。やらねば済まぬ大事なるなり。やってその事生み出だす。写したるは真、果たし行く。」19:47


 一つ終わって次へ続く大いなる仕組み、淡々と、タンタンタンと進みましょう。

409「祀り9」2015.2,17

 2月10日は良い天気に成りました。9時過ぎに中山さんをホテルの迎えて大和農場へ向かいました。大和の雪も差ほどでなく車も駐車でき、先ずは大和亭の暖房の用意です。無人の住居は特に冷えが厳しいです。10時過ぎに皆さんも到着しました。


 今日の儀式の進め方等について先ず私からお話しました。


 今日の日は2014年10月14日にあった以下のお言葉の示す内容で執り行うことがまずあります。(当ブログの401「祀り1」2015.2,7を参照下さい。)
「全てを篩いて、隅々篩いて、篩いは巡りて、隅々届く。
 進み行く成り、現れ巡る光は、それぞれ違うなり。
 拡大、収縮、自在、無限、天地、万遍なく響かせよ。
 果たして、緩めて、隅々篩いて、天、土、共に変えるだろう。
 2014年2月10日」

 今日の儀式は、いつもの白石に出向かずのこの場で行う事。2月1日から中山さんが1日10回のあわ歌を歌う行を成されていて、それも兼ねてこの場であわ歌を中山さんが10回歌われます。中山さんの前にお一人ずつ座られて共にあわ歌を歌って頂き、他の参列の方々は静かに聞き、歌われても極力小さな声で歌うこと。
 今回はあわ歌の歌い方が変わっているので初めての方は特に、中山さんの歌を良く聞いて、それをまねる様に出来るだけ低い声で長く響かせる様に、あわ歌を中山さんに合わせて歌う事。午前中に6回、昼食後4回歌う予定で進める等、お伝えしました。
 中山さんからもご挨拶があり、引き続きTさんからより詳しい今のあわ歌の歌い方の内容、注意点をお話し頂きましたが、真剣に儀式に望む心構えを求められました。
 本日参列の方々はそれなりの覚悟をお持ちの皆さんですが、儀式は10名の方に中山さんからあわ歌を直伝して頂くことであり、これは二度とない貴重な機会です。儀式の進め方の変化に戸惑いと緊張が走っていました。


 中山さんにはこの2月1日からのあわ歌1日10回、100日は以下の、2015年1月18日のお言葉より始められることに成っていました。
「揺るぎは無しなり。この身は響きて捨て去り行きて、新しきへ参るなり。
 その時大慈はこの天地守る人なり。三位一体整いて成就。
 歌いて響きて100日の後ぞ。頼みます1日10度。100日必ずは2月1日より。
 改めてお話し致します。
 この身を通して伝え来たりた多くの事々、皆々元成る定めあり、その事を伝え行くなり。
 この地では皆々様の思い現れ、起こり来る事々大きなる波と成り行き、宇宙の伝わり来たりて、波動は平らかにあらず。波は変わり行きて来たり。
 この波をそのまま戻せば大きなる事と成り行く。即ち多くの異なる波が皆伝わり行きて、この宇宙の多くの端は動きが変わりて収まらず、如何なる事と相成るや知れぬ。
 ここにて止めて、元へ戻し、平らかに穏やかに、ゆるゆると成さんと致すなり。是行うはこの地の人々の思いを元へと戻すことなり。
 その為、あわ歌歌いて響きて平かに成し、安心作り上げる事なり。
 響きて響きて新たなるへ。」11:30

 さらに以下のお言葉があります。
「是よりの日々、変わり行くこの身。
 日々歌い響くは、10日に1度、如何なる変わりがあるやを問いかけて、進み行かれませ。
 荒みたるこの地を変わり行く力、この身に現れるるを見よや。」
 2015年1月26日19:56


「遥かなり、歌の響き伝えて来たりて、この時迎え、あまりの事ゆえ、この身の乗り来たり。
 揺るがぬ音をここより発し、広き宇宙に万遍なく響かせて、寄せてくる波をここにて受け、変りたる響きと成り行けば、この地は大きく変わりて参る。
 大宇宙の響きと光り。寄せ来ること成り。10日毎に還り来て、大きく変える。」
 2015年1月28日15:59


 この事によると中山さんの2月1日からの1日10回のあわ歌の響きは10日毎に変わること、そしてその内容を中山さんもチェックされるとのことです。ですから今日2月10日は最初の区切りの日に成ります。
 緊張感漂う中に10時半よりあわ歌の響きが発せられました。新しい歌い方は難しいようです。しかしTさんの助言、指摘もあり真剣な場になりました。


 6回終わり、昼食です。お弁当と何故かサバだしラーメンです。1時間の休憩で直ぐに午後の開始です。残りの4回を響かせ終わりました。終わってのお言葉は以下です。

「ありがたきことなり。
 この時、この響き受け取られ、是よりの事伝えられたるは真に嬉しきなり。
 日毎に進み行くはこの宇宙の理なれば、皆々様もその中にありて、日毎にその身を新たなるへと向かわされて、平らかに淡々と進み行かれませ。
 その時この響きも日毎に進み行き、皆々様へと伝わりて、それぞれの身が変わりて進み行きます。変わり行く進みは早きとなりて参りました。思いを定めてこのあわ歌を響かせられる皆々様には、この事よくよく得心なされて共々に参られませ。
 大きなる道開かれて変わり行きます。この宇宙の多くの方々、皆々、しっかり支援されて参ります。只々この響き、一心に為さりて下され。お頼み申します。」14:47



408「祀り8」2015.2,16

 1月20日の朝には、昨晩の打ち合わせで私が示した巡りの内容について以下のお言葉がありました。
「外れておらず。是より知らせて参るなり。捜して参るその中で分かりて参る事と成る。続けて下され。
 本日申すこと
 斑鳩の里の古き時を思いて、揺らがぬ地を見い出し為されや。
 この事、ゆめゆめ知る者おらず。
 分かりかねる事成れど、知らせて参るなり。」8:27


 どうやら計画の大筋は良さそうです。引き続き探すことではっきり示されることの様です。古き時の斑鳩の里を思いて、とはどういう事でしょうか。斑鳩の里とは聖徳太子が斑鳩宮を立て飛鳥から移り住まれ、開かれた地と言われます。しかし私には安日彦と長脛彦が神武の来る前に、大和地を治めていた頃のことか、とも思えます。神武東征で殺された畿内王の長脛彦の兄の安日彦が津軽に逃れ、開いたのが津軽王国で、安倍氏の発祥と言われています。
 
 その日は私は大和農場での農作業日です。中山さん達をTさんが仙台から車で南相馬まで送迎することに成っていました。仙台で夕刻にお会いして食事をしながら以下の様なお言葉が次々と下されました。

「沙汰在りて伝え行くは、働きの大きなる地を守り行き、新しきへと導きは、
 カンロ カンロの嬉しきぞ。
 讃えて参ろう是よりの237日。(9月14日のこと)
 緩やかなるを知りて、皆々この時、伸びやかに真のご自分知り行けば、
 遥かなるへと続き行く。新たに成るはこの時迄。
 ご用意出来れば晴れ渡り大きなる嬉しきぞ。
 あな嬉しやな。皆々の思いを一つと成し行くは、
 是よりのこの宇宙の成り立ちを左右致すと知りたれば、その身は大きく変わり行く。
 篩いて残る大きなる身。
 だんだん だんと伝え行く、是よりの事々、皆々に伝わる行くは嬉しきぞ。
 それぞれの身がそれぞれで為し行く事ぞ。
 御業なり。するする生まれし事成るなり。
 (絵)是より参るこの身、技は遙かな時越えて参るは皆の大きなり。
 サンゲ サンゲの掛け声は是より参る知らせなり。大きく拡げる知らせなり。
 只々参るはそれぞれの全てを受けて無しへと参ろう。
 うんたら うらりろ はんたり はらり 是より起こるはこの宇宙と共に参る事々。
 発して下され、それぞれの響き、大きなる。
 さてここに記すは大前提。 
 揺るがぬ身を定められて響きと光りをその身に持ちて参るは新しき。見えざるぞ、知らざるぞ。皆々を写し行く。
 白き岩より伝え、写されたるは、この地の虚無。分かりて過ごして参られて、ここに現すはこの地の方々、暫しの時のこの仕組み成し行きて、見守りくだされ。
 さあ さあ参られませ。大きなる方々集いて成し行くは、大三元。心得て下され。きっと成します。
 (絵、天人地か?) 支えております皆々が、讃えて参ろう方々を。
 是より繋ぎて参られませ。皆々様のその身を揺るし、大きなる世界を開き行き、繋ぎて、結びて、大きなる広きへと参りましょうぞ。
 全ては一つのこの地なり。離れてありたそれぞれを結びて、一つと成し行きて、生み出だします、新しき。20:30
 (絵)
 果たせるや、この事。果たすや、是より。写したるを受けなされ。そのまま、只々参られよ。その時起こる大きな嬉しき知りたれば、永久の嬉しきなり。
 さんさんさんと降り来る光は、写したるなり。ゆうゆうゆうの思いぞ。はらから成るを皆々、共に持とうぞ。」

 何とも延々と次から次とお言葉が続きました。更に同席していた私達にもお言葉がありました。先ず今日の運転手を務めたTさんへのお言葉です。
「更にその身を輝きと成し行くは、共々参る多くの方々、
 分かりて集いて参られたれば、全てが写りて、統り行き、
 ここでの事々終わりて始む。
 参りましょうぞ、更なるへ。」


 次に大和農場の地についてです。
「大和まほろば、嬉しき成るなり。
 永き時経てここに参りたるは、おんどり、おんたり、さらさんて。
 皆々様の貴き思い受けて、この時、生き生きと参ります。共々に。」
「その時、廻りて、現わして、(絵)
 この地の大きを知らせたれば、集い来る来る新しき。」


 私もお言葉を頂きました。
「生み出だされますあなた様。繋ぎたるは大きなる宇宙なり。
 どこまで参るやは思い次第。楽しみなれど、多くの事々現れ出でるを受け取りて、
 成し行き、流すは多くの事。
 楽しみ行かれて参りませ。うんたらり。」


 O農場長には以下のお言葉でした。
「頼みますよあなた様に。この地の是より新たなるを生み出だす。
 その地の御用意、是よりの数々の事繋がりて、結びて参り、現るる。
 大きな嬉しきその時に。」

 平泉温泉には2年半ぶり位です。かつてはこの辺を巡る旅の最後はいつもここの温泉で癒して帰っていました。平日夕方でお客も少なく、ゆったりのんびり温まり、休憩所で暫し歓談して寛ぎました。
 身体の喜びを感じながら、一路、仙台へ向かいました。 高速道路に入って直ぐに、中山さんの今日最後のあわ歌10回目が歌われました。その後のお言葉です。

「改め行きて、このあわ歌の響きの進みて、大きなるこの地の繋がり深きとなれば、
 天地結ぶ柱は生みゐ出されます。
 これよりなり。参りましょう。」18:55


 このようなあわ歌の進化と共に、天と地とを繋ぐ柱が出来る様です。その為の人の役割は重要です。気づき、認識、自覚して後は実践です。
 帰りの運転も順調に進み、仙台8時前に着いて後は夕食を頂きました。お蕎麦屋さんで今日の労を振り返り、流れに任せる中に示される頂きを受けて、進むべき方向を再確認して散会しました。明日10日はいよいよ本番の大和農場での儀式です。
 お店のお勘定をすると何と現れた数字が「9990」です。

私にとってのベストラッキーナンバーです。今日の巡りは450キロ程、諸々、天のお認めを頂いた印しで、そのご褒美を頂けた感じです。全てが丁度良い、満たされた加減でゆっくりと休みました。

2015年2月15日日曜日

407「祀り7」2015.2,15

 県道から神社へ向かう山の道は雪で途中までしか入れません。後は少し雪の中を歩いて辿りつきました。
 立石神社の本殿の後ろにご神体の巨石が鎮座しています。ご神体の巨石は高さ17メートル、周囲11メートルと言います。中山さんには車で立石神社向かって進んで近づいて行く時に、とてつもない巨大なそそり立つ岩山が目の前に現れたそうです。それは相当前の時代の様相の様です。このあたりは陸地が出来る時の造山活動が盛んな所だったのでしょう。



 冬で森の木々の葉は落ちて、神社裏の山の斜面が良く見えます。そこにはそこかしこに巨石があります。真北を差して三角錐のように巨石が重なり伸びています。以前、夏に訪れた時に木々が生い茂り、裏手の巨石には気が付かずにいました。
 ここで中山さんがお尋ねになったところ、次のお言葉がありました。
「そこに降り来た光は(柏手)
 天下だる響きに乗り来た光なり。(柏手)
 大いなると見たり。
 この地のここは、大きなる岩に囲まれたる山、この地の大きなる岩の壁、
 永き時を経て崩れしもの。
 これよりもこの地に在るを良しとしたり。(柏手)
 あい分かりたり。北よりの力受け、響きと共にあられませ。ありがとう。(柏手)
 うおーん」16:12

 ここは中山さんのご覧になった様に大きな岩の壁があり、長い年月で巨大な岩山が崩れて来ているのでしょう。
 夕暮れが迫ってきましたのでもう1か所のところはキャンセルしてここで巡りは終了にしました。身体も冷えたので温泉に入ってほっこり、温まって仙台に帰る事に成りました。
 そう決めて車を走り出したら中山さんに次の言葉がありました。

「外三郡誌に在る岩をご存知ですか?」

 外三郡誌とは「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」の事です。これは「古史古伝の一つで、古代における日本の東北地方の知られざる歴史が書かれているとされていた、いわゆる和田家文書を代表する文献。ただし、学会では偽作説が確実視されている。」と言われるものです。その内容はウイキぺディアによると以下です。
「古代の津軽地方には大和朝廷から弾圧された民族の文明が栄えていた、という内容である。また、アラハバキを「荒覇吐」としたうえで遮光器土偶の絵を載せ、アラハバキのビジュアルイメージは遮光器土偶である、という印象を広めたのも、本書が「震源」である。    
 同書によれば、十三湊は、安東氏政権(安東国)が蝦夷地(津軽・北海道・樺太など)に存在していた時の事実上の首都と捉えられ、満洲や中国・朝鮮・欧州・アラビア・東南アジアとの貿易で栄え、欧州人向けのカトリック教会があり、中国人・インド人・アラビア人・欧州人などが多数の異人館を営んでいたとされる。しかし、1340年(南朝:興国元年、北朝:暦応3年)または1341年(南朝:興国2年、北朝:暦応4年)の大津波によって十三湊は壊滅的な被害を受け、安東氏政権は崩壊したという。」

 いずれにしてもそこに登場する岩を知っているかとのご下問です。立石の巨石を巡ったことが引き金になっているのでしょうか。このことは4月に予定されている「下北・津軽の巡り」の訪問先に関するものです。
 直ぐに思い浮かぶ岩は五所川原市にある「石塔山大山祇神社」(せきとうさんおおやまずみ)です。しかしここには中山さんは既に訪れています。いろいろ話しているうちに津軽半島の十三湖近くの靄山(もややま)ではないかと言う事に成りました。
 その直後の次のお言葉がありました。

「たよりた、たよりた、皆々へ。
 集まり来たれ、便り来た。
 拙き皆々集まりて、響かせ聞かれよ、この便り。
 はるけき道へと参り行く。大きな便りぞ。
 皆々へ写すは元元、元なる便りだ。
 便り来た。この北に在る皆々へ嬉しき便り参り来た。
 集いて響けこの時に。」16:38


 この言葉は我々が訪れる地はその岩は靄山山頂に間違いなく、その靄山で皆々が集い、待っていると言う事の様です。なんというお示し、仕組みでしょうか。
 今回4月から8月に向けて東北の北、青森から主に日本海側、秋田県、山形県の山や巨石などのポイントを巡り、そこにネットワークを作り上げることが計画されています。
 漠然とした中に計画するにあたり、是までも以下の様なお言葉がありました。

 先ず2015年1月3日に長野での諏訪での儀式に参加してその時に、4月の陸奥の巡りについて打ち合わせ、相談させて頂きました。その時のお言葉です。
「是よりの大きなる動きは、この国の成り立ちに係る大きなる地なり。
 その事知らせる場に立ちて、響かせれば、元の元へと参る道開かれ行くなり。
 北の地にあるは古き岩、古き時にこの地固まりた始めを辿り、
 その地にある大きなる教え知りて下されたし。
 待ち望みて久しきなるなり。」

「許されよ、大きな過ち。更なる進みは、今この時なり。
 はっきり申す。
 移す光にて動かぬ事。物、人、地全て。」

「離れております多くの方々、皆々起し、是よりの光を受けて、回されませ。
 外れてあるは 
 鼻の先。
 崖の上。
 陽だまりの丘。
 下りたる先。
 波激しき崖。」

 

 更に2015年1月19日にも4月からの陸奥の巡りについて以下のお言葉がありました。この日は中山さんが翌日20日に、福島の南相馬のあわ歌会に向かう為に、前日夜に仙台に宿泊されることに成り、お会いしました。そこでも陸奥の巡りの事も相談させて頂いていました。
「だんだん だりこ だんだらり。
 船こぎ渡りたその昔、ふるふる ふらりろ 篩いはこの地生みて早めて、
 その事の大きなるを知りたれば移して参る。
 行く道を定めたその地に降り行きて、大きなる輝きの地と致すなり。
 全ては思いを定めて下され。必ず成して参ろうぞ。光の大力付きて行く。」

 どうやら行く道を定めることで、その地に降り来て大きな輝きの地に成りそうです。
 更に次のお言葉もありました。
「お頼み申します。
 来る五月の三日より、五日の間に起こる事、この地が新たに成り行く始めを定め行く。
 この時、大事は彼の石ぞ。
 懇ろに祭り上げ、十分なる光と成り行かれますように、構えてご用意願います。」
 

 このお言葉は5月3日から5日間、5月7日まで大和農場の白石を大事に、懇ろに祭り上げる事が求められています。これを受けて私達も自ずとその期間は大和で過ごすことに成りそうです。中山さんも日程を調整して下さり、5月6日には大和にお越し頂けることに成りました。
 20日も南相馬からの帰りに仙台に立ち寄られましたのでお会いしていろいろお話しさせて頂きました。


406「祀り6」2015.2,14

 2月9日を迎え仙台は程々に良い天気でした。8時半に出発して一路、岩手県遠野市を目指します。岩手県とモンゴルの相似象に気付いた後は、今回の巡りも関係がありそうです。
今日は車中では中山さんがあわ歌を10回歌う予定でいます。あわ歌3回を2度で丁度遠野に着く加減です。午後に3回、最後に仙台に帰る時に1回の計画で進みました。

 始めの3回が終わってのお言葉です。
「訪ねる先は、古き大きなる地にありて、見まごうばかりのその姿、光を限りなく注ぎゆき、大きく発する事となる。
 大地の中心、岩は三つに分かれて、その身の多くは地に埋もれ、頭の一部は現れて、悠々流れる風の中。
 南に大きく山広がりて、北の地を大きく西よりの川あり。
 日は高きとなり、その岩の上にかかりたる果てしなき大地が目覚め行き、多くの方々立ち上がり、悠々大地を満たし行き、西の広きを守り行く。」10:19


 この言葉の内容はモンゴルの地のことの様です。お言葉にある大地の中心にある岩、南に大きく山が拡がり、北を西より川が流れる処です。Kさんの購入した旅行ガイドブックやパソコンでいろいろ調べてみるとぴったり、何と、その条件に該当するところがありました。驚きです。それは「タイハル岩」です。写真を見ると将にここだ確信します。中山さんに下される情報の大元は如何なる存在なのか、インターネットと同じような情報通信の仕組みなのでしょう。いずれにしても中山さんのアドレスは常に大元とアクセスされている状態で、こちらの状況に応じて次々と必要な言葉や絵などが送られてくる感じです。

タイハル岩
車中では何やら次の言葉がありました。意味不明です。
「ターン ヅルイ ハーン   ウラリ  ターダー  ターン  ヅオイ タムカラ 」

 後で翻訳して頂いたら以下の内容でした。
「ターン ヅルイ ハーン ( 独立して 集いて バランス保ち)
  ウラリ (うみいだし)
  ターダー  ターン  ヅオイ (それぞれが拡散、凝縮をくりかえし)
 タムカラ (空(から)となる)」

 いずれにしてもどんな意味かはっきりしません。モンゴルに関係することなのでしょう。彼の地では人々がそのような部族、国の勃興、消滅、拡散を繰り返し、営みの中に今は空になっている歴史を語っているのかもしれません。
 引き続き、中山さんは3回あわ歌を歌い終わり、6回目の後に頂いたお言葉です。
「ある時に渡り行きたる身なり。
 広き大地は繁る大地、水澄みて、清き川、とうとうと流れ、
 つれてはいきいき、皆々いきいきそれぞれ楽しみ、大きくのびのび、
 只々その日を、我思うままにありた。
 大きなる地ぞ。この地只今、見るはその影も無きなり。
 水枯れ、地荒れ、心荒み行くは真に惜しまるる。
 再び皆々立ち上がりて、元へと還す、大きなる思いあり。
 この地へ新たなるをお頼み申す。皆々方々共に参る。」11:48


 やはりここでもモンゴルの事が語られています。いよいよモンゴルへの旅の準備が必要なようです。
 そうこうするうちに目的地の遠野市宮守町にある「呼ばれ石」に着きました。氷点下6度です。雪舞う中、国道脇にある巨石の前に立ち、さながらあわ歌ペンギン合唱団のように、呼ばれ石に向かってあわ歌を響かせました。


 その時のお言葉です。
「只今より申すは醍醐(第五?)の広き空、この地へと繋ぎ行く光の元なり。
 大きな時を費やしてここに在り。
 遥かな響きをこの身に入り、伝え行くなり。
 必ず記録し伝えませ。写すはこの地を守り行くためぞ。
 この身より出で行く光、皆々共に受け、更なる進みへ。
 ツーム ユール フラルリ ヒカリ
 ユラルリ タイム ウミ ハナツミ」12:23


 最後のカタカナの意味は後で判読したところ、以下の様です。
 ツームユル フラルリ ヒカリ (集いて、湧きて 光巡り)
 ユラルリ タイム ウミ (溶けあい 生み広がりて)
  ハナツミ (花となり、実となる。)


 とにかく冷えました。急いで近くの道の駅に直行です。すっきりして暖かい昼食を頂き、生き返りました。ゼザートにプリンやソフトクリーム、たい焼き等を美味しく頂き、満腹です。
 午後の目的地へ元気に出発です。食後の幸福感の中で中山さんはあわ歌を3回響かせました。夢心地の響きでしたがしっかり終えることが出来ました。今日9回目のあわ歌を終えてのお言葉です。

「この身はこの地に在りて、元なるへと戻るを皆々様へとお知らせ致し、この星の新しきを伝えるなり。
 如何なるやは、この地の言葉にて伝えるは難しき。
 只々表し知らせて、皆々様の思いを変え行く事なり。
 変え行く時はこの身の響きと共なれば、大いに励みて参る事となります。
 古き大きな響きへ参り行く道なり。
 あーおーうーあーおーおーあーうー」14:40


 目的地は一関市千厩町磐清水にある重箱石です。国道沿いに巨石が重なりさながら、名前の通りの重箱の様です。


「1.8m四方の大石(花崗岩)が3重に重なり、約3m余りの高さがあり、弁慶が重ねた石と伝えられている」と記載があります。
 重箱石の脇を少しあがると山の斜面に巨石が何個もあり、青麻社が祀られて在りました。そこで中山さんがお尋ねされた時に以下のお言葉がありました。


「三億七千来りて在るぞ。下りた柱は幾億なるが、ここに残りて見届け来たり。
 働き生みいだすは天なる響きぞ。伝えて参れよその響き。」15:22


 この地に天下った御霊の数でしょうか。働きを生み出だす天の響きをしっかりと伝えて行くようにとのことです。車は氷が張りついていて如何に冷えているのか分かります。
 次は同じ町内で直ぐ近くにある、夫婦岩を見ましたが、ここは何も無しと言う事で次へ向かいました。
 車が走り出して程なく次のお言葉がありました。

「あった あった あったりた。呼んで 呼んで 呼ばれたよ。
 ヒンズー遥か離れたよ。みつだは未だ 未だ此処に居る。
 早く早く見せて聞かせよ。待ちますよ。」15:38


 意味が良く分かりません。モンゴルで私達のあわの歌の響きのお伝えを待っているのでしょうか。車は次の目的地一関市藤沢町にある立石神社に向かいます。