2014年12月3日水曜日

327「ひたむき2」2014,12,1

 11月15日は東北地区真向法研修会でした。今回で10回目を迎えますが、第1回目も仙台で開催しています。2011年3月の震災の年は開催できませんでしたが、毎年各地持ち回りで会を重ねて来ています。東京の公益社団法人真向法協会が主催して各地の真向会がお世話をするのですが、仙台では5回目でしょうか。
 今回は11月に真向法全国研修大会も開催されたこともあり参加者も少なく40名程の会になりました。しかし、内容は濃い、充実した実り多い研修会になりました。
 開会では歓迎の言葉を宮城真向法体操会の会長をしている私が述べさせていただきました。長井津(わたる)先生が真向法を唱導して82年、しっかりと根付いて来ていますが、時代の変化の中で変えてはいけない事と、変えなければならないことがあるとお話しました。東北地区研修も10年目、節目の時で今後の運営もいろいろ課題が出て来ています。各地の活動の思いの総意で更なる発展、進化を出来たらとこれからも協力をお願いしました。


 主催者の真向法協会会長の佐藤良彦先生から挨拶を頂き、引き続き会長から講話を頂きました。


 演題は「ひたむき」です。
 真向法の真向は訓読みをすると“ひたむき“と読む、と安岡正篤先生が教えてくださいました。と冒頭にお話になりました。
(安岡正篤先生は陽明学者で平成の年号の発案者として有名ですが、真向法の良き理解者で愛好家でした。詳しくは以下のウイキぺディアを参照ください。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%B2%A1%E6%AD%A3%E7%AF%A4

 私は「ひたむき」と読むという事を聞いて新鮮な驚きでした。普通は「ひたむき」は、「直向き」と書きますが、真向にその意味があるという事には、そうなんだと強く納得し、また改めて真向法の奥深さを感じた次第です。以下、佐藤会長の講話を紹介します。

「1、真向法のあゆみ
<創始者長井津(明治22年~昭和38年)。病中仏典の礼拝にヒントを得、昭和8年5月より「礼拝体操」として普及を開始する。>
 佐藤会長のお話を続けます。
「1962年7月7日に真向法に丁稚奉公の様な形で入門しましたが、長井先生の教えが最近ようやくわかり始めてきました。入門当初には世の中には健康法はほとんどありませんでした。当時は浪越さんの指圧と真向法だけで、まだヨガも一般化されていず、沖正弘さんだけでした。中村天風さんもヨガをされていたけど、主には天風会だけでした。
 私が沖先生の書物を学んでその内容を長井先生に話したら、他を勉強してはダメと言われました。なんでなんだろうと思いましたが言葉に従いました。
 肝心要の腰で足腰は年を取ると弱ってきて劣化します。長井先生のおっしゃることは、本来のあるべきもの、足腰がまだ出来ていないのに、他のものは止めろということでした。

 最近は腰と言わずに股関節と言うようですが、腰はパーツとして解剖学には有りません。腰で打て、などと言われますが、へそ下の丹田が大事なところで、日本では臍下丹田と言われていますがやはり解剖学にはそのパーツはありません。
 このようにあるけど無いのが日本の奥ゆかしいところです。受け皿にボールを乗せてみると、ボールには中心がありますがその形がありません。そのボールを乗せたものを腰と見立てると、その中心が臍下丹田です。姿勢が悪いとボールが潰されます。その腰に見立てたボールは融通無碍の動きができます。真向法は臍下丹田を常に本来あるべき状態に保つことを目指しています。そこが出来ると何でも出来ます。
  真向法の第三体操で前屈して、お腹、胸、顔が床に着きますがその時に下腹部が膨らんでいます。つまりこの時には逆腹式呼吸になっているので倒れられるのです。いずれにしても真向法が全ての基本になります。真向法が熟達すると完全呼吸法になり、息を吐いた時にお腹が充実してきます。それが長井先生の真向法であり、身体に一番良い呼吸法になります。

2、健康長寿を目指す
 老齢者が増えています。現在100歳以上の方が6万人いますが、その内元気な方は数%でしかありません。今では老人は厄介者になって来ています。街のそこかしこで喧嘩や大声で怒鳴っている姿を目にします。先人も、「世を過(あやま)たすものは老人の蟠踞(ばんきょ)」と言いました。健康長寿は良いことでお目出度いのですが、しかし「こんな長寿に誰がした」(ひろさちや著、青春出版社)という本が売れています。
(本の内容は以下の様です。「人生100年」は、本当にいいことか?--QOLより延命治療を選ばざるを得ない医療の現実。「治るはず」と、現実を受け入れられない患者と家族。経験を若い世代に伝えず、権利の主張ばかり覚えたシニア世代。誇るべき長寿とは違う形で超高齢化を加速するこの国のありように、宗教思想家が鉄槌を下しつつ、本当に幸福な人生の締めくくり方を提案する。)
 他を頼り、問題があると他のせいにしてしまう。長井先生の臍下丹田を作り、気を充実させる呼吸法は自分でするしかありません。老人はもっとしっかりしないとダメです。みんな誰かがやってくれると他者を頼むばかりではどうしようもない。至る所で、怒っている老人の姿を若い人は見ています。若い人達が働きやすい環境を作ろうと言いながら、高齢者は思い違いがあるのではないかと思います。
 電車では年よりは座らせるな、立て!電車が動いている中で立つことでバランスを取る事が身に付きます。ひいては自己の確立となり、世の中がぶれても自分はぶれない様になります。車中で立つことで筋肉、骨格が対応していて大脳を活性化させて効果があります。将に心身一如です。
 また、歩くこともとても良いです。歩くという字は上にとめおくということです。老人はもっと頑張りましょう。

3、円熟社会は相互扶助
 <真向法の恩恵を人々に伝え、互いに健体康心を創造する>
 円熟社会は相互扶助の時代です。「兆」の字はうらなう、あるいはきざしと言います。兆しとは、これからどこへ行くのか感じることであり、それを占うことです。その時に壁があります。その壁は二つに分かれて、一つは、どうなるか分からないので逃げること。もう一つは、良くなると思い将来に向かって挑む、挑戦するものです。挑むのは楽しいし夢がありますが、逃げるのは簡単ですが良くなる訳がありません。
 逃げる人はやがて人偏に兆で「かるい」となり、挑み続け、夢を求めた人はやがて神偏に兆で「みたま」になるといいます。
 老いだからこそ今から挑戦する。今さらでなく、今から挑戦することです。逃げて逃げて逃げまくると、かるくなります。挑み続けること、真向法で実践して行くことで「みたま」になります。
 真向法10段の免許状には「入神」の言葉が入ります。90才を越えて元気に真向法を実践されている方々が得られる免許です。
 歳は取りたくないと言いますが、目が見えなくても心眼で読めます。眼光裏面を見ると言います。舌、味覚も落ちてきますが、夫婦、友人の味わいもだんだん分かってきます。愛とは言葉がいらない空気のようなものです。友情も本当に困っている時に手を差し伸べてくれるものです。耳が聞こえないものも良いです。声なき声を聴く。
 真向法を継続して善き実践者として挑み続けて下さい。」

 このお話で「兆」の字の変化も大変興味深く聞かせて頂きました。日本語の意味の深さに感心しました。後で佐藤会長にお聞きしたところ、この字のことは安岡正篤先生から教えられたとのことです。今回はひたむきに挑んで行く姿をお教えいただいた貴重な研修会でした。




 佐藤会長の講話の後は、本部の佐藤指導部長から「ひとり補導体操」を懇切丁寧に指導頂きました。とても参考になりました。夜は懇親会も盛会で、多芸な皆さんがステージで才を披露して下さり楽しいものでした。私も久々にお酒を少々頂きご機嫌よろしく、カラオケもご指名を頂き、久しぶりに歌わせて頂きました。二次会は例によって私はダウンで休ませて頂き明日に備えました。


 2日目はおはよう真向法、朝食の後、私が1時間程、宮城で指導している内容を紹介させて頂きましたが、スキップは大うけでした。東北地区真向法研修会は9時半で終了しました。
 


 引き続き10時から16時までは東北地区では初めての真向法指導者養成講習の第1講が開講され20名の指導者の皆さんが受講されました。解剖学から真向法の生い立ちと多方面にお教えいただきました。



 ひたむきに真向法の真髄を伝授頂いた2日間でした。同行同修の皆さんと更なる挑戦を続けて行きたいものです。