2014年9月13日土曜日

346「大和9月9日2」2014,9,12

 アラハバキについてはこれまでも各所で触れてきましたが、今回の「北にある星を繋ぐ旅」に関連して今一度調べてみました。
 アラハバキについて主には、以下があげられますが諸説あり定かでありません。
・縄文神の一種という説
・蝦夷の神で「まつろわぬ民」であった日本東部の民・蝦夷(えみし、えびす、えぞ)がヤマト王権・朝廷により東北地方へと追いやられながらも守り続けた伝承とする説
・蛇神説で、吉野裕子氏の、かつての日本の、蛇を祖霊とする信仰の上に五行説が取り入れられたとする説
・中山太郎氏は「アラハバキ神は、天孫族がわが国に渡来する以前に、先住民族によって祭られた神、則ち、地主神(じすしん)である。」
・高橋良典氏とその率いる日本探検協会は、近年、三内丸山遺跡の発見で日本中を沸かせた青森県で、"東日流(とんかる)"とよばれた神々の地、縄文時代晩期の亀ケ岡(神ケ丘)から出土した土偶(遮光器土偶)を、全体を隠し文字と見て、古代日本の神代文字"アヒルクサ"文字で読みといて「アラハバキ」であるとしている。
・民俗学者の谷川健一氏は、アラハバキ神は外来の邪霊を撃退するために置かれた門神であり、もともとは塞(さえ)の神であったという。
 塞の神は村はずれに祀られ、疫病や戦など、招かざる客の侵入を「サエギル」役目をもつが、それ以外にも、陽石や陰陽石に見立てられ、単独神から夫婦神へと変質し、稲作豊饒の祈願する農神としての役割を担う例もある。

 近江雅和氏の著書「記紀解体」「隠された古代」「消された星信仰」を参考にして以下の記載があります。
「これらの書物の論議を総合すると結論的には、アラビア半島のヤマン(イエーメン)から、絶対神を信奉する民族が、陸上ルートと海上ルートの2つを通り、縄文時代末期から弥生時代初期に日本に辿り着き、その信奉する神が、各種の変貌を起こして、種々の「アラハバキ神」となったとされている。その根拠として、榎本出雲氏の「ヤマン」語と日本の古語の言語学的対応関係を解明したもので、なかなか説得力のある説になっている。                                 
 つまり、日本の神社で最高の地位を占める、伊勢神宮の内宮に関して、天照大御神を祭る前からの地主神が「アラハバキ神」ではないかという。
 伊勢の内宮横に祭られている荒祭宮は、古来アマテラスの荒魂だということになっているが、内宮と同格の扱いを受けて他の別宮とは断然格式が異なっている。
 皇大神宮が伊勢に遷座する以前は、この地はイセツ彦や磯部氏の本拠地であって、つぎのような特徴があった。
1)荒祭宮の位置は、内宮が式年遷宮する最初の殿地で有り、内宮本殿のような形をとっている。
2)皇大神が鎮座のとき、度会氏の祖先の大幡主が、最初に荒祭宮の地に大宮をつくったという伝承がある。
3)荒祭宮の神域内から、臼玉などの祭祀遺物が出土した。
 よって、荒祭宮の祭神こそ、古い内宮の地主神であった。

 外宮祭神を豊受大神としたのは、外宮を遷座した度会氏の祖「阿波良波」だという。アーラヴァカの音に近い「阿波良波」の名は「アラハバキ」に他ならない。
 度会神道から、吉田神道がうまれ、それは唯一神道、元本宗元神道ともいわれ、最高神として、「大元神」が据えられている。そして、その教理は、「外宮の主祭神は豊受大神であるが、天御中主、国常立、ミケツ神の諸神はいずれもトヨウケ大神の別名であり、天御中主と国常立は「大元尊神」と同一神である。」とした。
                                        
 神道五部書のひとつ「倭姫世記」によると、「ミケツノ神、ウカノミタマは大自在天の子で、アメノミナカヌシである」としている。大自在天は凡名でマケイシュヴァラといい、世界の主宰神で特にシヴァ神のことを指しており、密教においては大日如来の応現ともしている。つまり、アメノミナカヌシはシヴァ神の子だというのである。
 大元は始源の意味であり、外宮の神はまず始めに生まれた神である。則ち、大元の神で万物に先駆けて生まれた神こそ最高神であるということを打ち出したのであった。
 近江氏は「大元尊神」の実態は「アラハバキ神」のことに外ならず、ホアカリ系が渡来以前からの最高神としていたものをカムフラージュしたものといわれる。
 
 伊勢神宮にはもう一つ「太一」信仰がある。太一を表に出したのは伊雑宮(いぞうのみや)(原出雲系のイサワトミを祭る神社)である。「太一」は皇大神宮の外部のみに表れていることと、伊雑宮が関係していることは磯部氏の信奉するところである。
 従来の諸説では「アマテラス=太一」であったが、度会神道すなわち太一であり、大元とすると納得する。太一は中国の陰陽五行思想から名付けられた名前で、最高の神、その居所は北極中枢だとされ、北極星の神霊化であり、宇宙の大元である。
                                        
 この中国の思想は道教に反映し、古代インドの密教と習合して「大元帥明王」になった。したがって伊勢の太一信仰は、陰陽五行思想だけによるのではなく、太一という隠れ蓑を着た最高神である「アラハバキ神」のことであった。
 古代インドにあったアラハバキはさらに遡れば南アラビヤに根源がある。南アラビヤからインドに移動してきたアーラヴィと呼ばれる一団がその信仰をもっていた。だが、アーリア族の侵攻で一土族信仰となり、次いでインド仏教の雑密成立にともない、ヒンズー教その他の諸神とともに仏教の守護神と習合して大元帥明王という呼び名に変身した。
 その変化を知った度会氏は、古代アラハバキを大元神という最高神に仕立てて、大和朝廷に抵抗を続けたのであった、と。
 以上のことから、「アラハバキ神」=荒人神、大元神、太一と呼ばれるようになったことがわかる。そして、これらの神は伊勢だけでなく、列島各地に広がっていることがわかるのである。          
「アラハバキ」をアラビア語で解釈するとアラは神、バキーは永遠不滅の、という意味で「ヤマン族の神、不滅の神」ということになる。さらに、考えを発展させ、「アラハバキ神」が以下に示す7通りの神に、展開していったことが、言語学的解明によって示されている。
 アラハバキ神の変容例
①預言者、占い師、神官、巫女、巫男
②採鉱冶金系のあらはき神(荒吐神)
③旅行神としての荒脛巾神    クナトノ神、わらじ、道祖神
④セックス神          男根、こけし、おしら様、セオリツ姫       
⑤海人系の荒吐         えびす、宗像、宇佐、安曇、物部         
⑥墓「あらはか」        土師、埴輪
⑦門客神、マロウド       櫛石窓、豊石窓、スサノオ 」

 以上を見ると、アラハバキは太一であり、最高の神、その居所は北極中枢、北極星の神霊化であり、宇宙の大元である。更に仏教の守護神と習合して大元帥明王という呼び名に変身したようで、アラハバキは神の始まりの神とも言われているようです。
 北極星の信仰の大元がここに在ります。北辰妙見と成る以前のことの様に思えます。今回の巡りで北辰妙見の大元を動かすにはやはりアラハバキ神は欠かせません。思うに、自然崇拝の中で巨石や瀧、山等に習合されて信仰されて来たのでしょう。そして、更に時の支配者の都合でそこに破壊、上乗せがなされ新たに教化されてきていると思われます。

 磐神社から次に向かうのは花巻市東和町にある弘法大師霊場「冠山蝙蝠岩(かんむりやまこうもりいわ)」です。
http://home.s01.itscom.net/sahara/stone/s_tohoku/iwa_kobou/kobou.htm
http://ww81.tiki.ne.jp/~tamotsu-h/kobosan.html


 朝の光を浴びて木々の緑が輝いています。巨石がごろごろあるこの霊場は苔むして時代を感じます。この地も何度も訪れていますが、その時の目的、意図に応じて遭遇する内容が変わります。
 拝殿奥の巨石で出来た石室であわ歌を響かせました。
 その時のお言葉です。
「来りて歌うこの響き、皆々送る、大いなるその身を開かれよ。時迫り来たり。まずもってこの響きを。
(あわ歌)
「だんだんだん、とろりろ、はらはらはんと(拍手)
 と~んとんとん、たんたんたん、ゆるゆるゆらり、ゆらゆらり。
 帰り行きます、皆々方、大きな宮へ参り行く。
 とんとんたらりこ、参りましょう。は~は~」
 どうやら応じてくれたようです。



 丹内山神社は10分弱の処にあります。どうやらお祭りの日の様で、紅白の幕がしつらえられ、舞台の設定等で沢山の人が働いています。目指すは本殿奥の小高い丘に鎮座する巨石、アラハバキ大神です。ここはまだ人気がありません。この巨石には以下のように記されています。
「千三百年以前から当神社の霊域の御神体として古から大切に祀られている。地域の信仰の地として栄えた当社は、坂上田村麿、藤原一族、物部氏、安俵小原氏、南部藩主等の崇敬が厚く領域の中心的祈願所であった。安産、受験、就職、家内安全、 交通安全、商売繁盛の他、壁面に触れぬよう潜り抜けると大願成就がなされ、又触れた場合でも合格が叶えられると伝えられている巨岩である"」



 高橋克彦氏の「火怨  北の燿星アテルイ(講談社文庫)」でここが登場します。火怨では物部氏が東和に拠点を置き、アラハバキ大神の巨石を物部の繁栄の神として信仰します。
物部が蝦夷の資金援助を行い、蝦夷の指導者である阿弖流為(アテルイ)らは東和で兵の鍛錬を行います。若き阿弖流為はアラハバキ大神の巨石前で、数年後に坂上田村麻呂と対峙する場面を予見しすることになります。








 巨石には岩を割る様に巨木が立っています。岩の裏側であわ歌を響かせました。
 その時のお言葉です。
「大切に守りて来るは大きなることぞ、その事思う皆々へ発して参られませ。是より光を送ります。」
(あわ歌)
「歌の響きは受け取りたり。
 申す。永き時をここに在りたり。大いに傷みて、この身の力、衰えて続けるは難しきぞ。この時に申す事はこの地があること大きなるを知りて、しっかりと共に、皆々ひとつと成りませ。
 う~う~う~。来る時をひたすら待つなり。皆々様の思いにて、その時、招来願う。」
 悲痛な声が聞こえます。しかしどうにか前に動きことを了解してくれたようです。


 歌い終わって帰り始めたところ、マイクでアナウンスがありお祭りが始まりました。丁度11時です。私たちはその前に祀る事が出来ました。そのように計られていたようです。

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