2014年9月29日月曜日

355「大和9月9日11」2014,9,28

 9月5日から9日までの4日間にわたるあわ歌の集い、巡り、儀式では一体何が示され、今後の進みに如何なる指針、諭し教え恵みがあったのか振り返ってみる事は大事ではないかと思います。10月10日の大和の白石での儀式ももう直ぐです。私たちの自覚、己を定めこの世界を生きて行く転換点、一つの終わりであり、始まりが間近に迫っています。中山博さんから頂いたお言葉を繋げ、組み換え、少し編集をしてみました。

 時は迫り来り。まずもって来りて歌うこの響きを皆々送る。大切に守りて来るは大きなることぞ。たちまち参るは、これより写す大きな光、皆々の想いを越えて、ここに新たなるを降ろす。

 その身は発して無きが為め、大きなるを発して、光とひとつと成られませ。大いなる光は皆へと届きておらるる。暫しの時を、その身をひたすら光と共に過ごし行き、光なる身へ進まれませ。その時参れば、大きなる身は中より現れ出で来て、多くの人導くなり。
 今より大事なる身なれば、直ちに発し行かれ、大きなる北の星へと繋ぎて参られよ。この時に、共々結びて、繋がりて共に北へ向かいてその身を預け、それぞれその大きなるを頂きて、それぞれ守りて大きなる身と成られ、新た成るを迎え参られませ。

 この岩より発する3本の光を、是より受ける岩を南の地にて探されませ。受ければ北の力、ここへと繋ぎ行く。これより生み出だす北の光は降り注ぐ、受けられませ。北よりの光、この地に直ちに、遍く降り注ぐは、結びて、繋ぎて3つが1つと成り行かれ、受けて発して頂きたし。
 この地があること大きなるを知りて、大いなるその身を開かれ、しっかりと共に、皆々ひとつと成り、その事思う皆々へ発して参られませ。

 拘り続けたる事なり。この地の人々、全て守りて新しきへと参ること。その為にこの歌の響きを発して、それぞれその身の内なる全てを振動させて無しと致し、新たなるへと変え行く光を入れて、全き新しき人、生み出だす事、計りて成し行きて参りたるが、是よりの日々にて行い行く事はこの身にとって耐えがたし。
 皆々様へ、尽きせぬ思いを断ち切りて、是より成し行くその事は、大きく変わる苦しみあるなり。従いて、新しきを計りたる大きく発する光は変わりて、瞬時に目覚めるなり。但し、受け取れるか否かは御用意次第なるなり。急ぎて参るがご容赦頂きたし。
 最後の大きな峠を見れば、水あり風あり、揺らぎ崩れ、皆々それぞれその身を守る。その時、大きな光と共に参るは是よりの道なり。沈みて参る多くの地、皆々、元成る地と還りて、うたかたのこの今を変え行く。広き海はなおなお大きく覆いて参る。堪えて乗り越え、嬉しきへ。その為、この今、思いを定め、揺らがぬご自分しっかりと作りて下され。

 是より大きく変わりて参るは、この地を元へと返し行き、大きな鎮まりたる森と成りて、知らせを受けて皆々に発し行く。さても大きなることなり。この国のこの地を、確かなる地と成し行くを、来る時より始めます。10か所廻りて、光を降ろし、大きなる柱となす。受け取るは10人、10か所、共に結びて新た成るを生み出だすなり。光と共に歩み行く人々は少なきが、光は大きく発し行く。何も持たず、その身の光が全てなり。自在に動きてこの地を活かし、共々なること嬉しきなり。
 分かりております。多くの者は新しきへを待ちておる。この地は最後に廻りて致すなり。皆々様にも大きなお力を。

 皆々それぞれこの地に係る今までの思いを乗せて発すれば、新しきへの壁と成り、進まず、留まる事と成る。只、只、只、只、只発して参らせ。
 うつけきその先。ふぬけたるその先。みごとなるなり。ただただの音、響き、光なり。
大きな、降り来たりておる光は、この地、皆様方々へ降りております。どうぞ皆々様受け取り、光なる身へ参られませ。移すなり新しき。
 大きく拡げる教え、如何にも大きく広きなり。遥かに拡がり、自在に動き、真を現すものなり。その広さ大きなるのひとつにあり。全ては遙かなる大きな宇宙とひとつを心得なさり、囚われ無くして参られよ。この光をご自分のものと成され、大いに発して共々嬉しきへ。

 繋ぎて、結びて、大きなる和を作る。
 開かれたる思いは全てを受け入れ、共々参るなり。多くの方々、この地球にありしが、思いはひとつ。共々、嬉しきと成り行くことなり。只々の響きに繋がり行きます。大いに発して、響きて下され。
 立ちてみなされこの時に、是より始まる多くの事々、見事にこの身は片づける。大きなる光と響きを持ち行き、この国、鎮めて遙かな地へ、ささ参らん、是よりぞ。この身は全て引き受けた。無しを越え行き、空(から)となり、全てを受け取る時至り。
 カラン コロン、タラン チリン、タラン トロン、トン。この音受ければ、始まりなり。
 光は帯へと変わります。これ大きなる負担成るが、この身のご用意、おさおさ、怠りなしぞ。すさ、皆々の大きなる元の扉開かれよ、この時に。その扉、皆は知らず。開けばうつり行くこの宇宙の真生まるるは、地の中、空の真。さあ、今や来る時なり。さすらうはこの地の欲夢。漂うは皆々、情欲も情もその身の中、生み出だすはその身成り。

 この時を迎え、再びの大きなるこの地を開き、皆々と新しきへ参る。ここに集いし9名の方々、古きを捨てて新しきへと成られます。いざいざや。天地繋ぎてここに柱を打ち立てる。響きは届く、その時ぞ。はるけき多くの光は、それぞれに参りました。是よりはこの光と共なり。手を携えて大きなる明日へ、それそれ向かいましょう。遥かなるは今、そこへ近寄りて多くの方々、皆々ひとつ。
 さても大きなるを、皆々様にて為さりて頂きありがとうございます。降る降る光と皆々様、ひとつと成りて、いざいざ是より参られませ。この地も再び、はるけき新しくへ共に参ります。大きな宇宙は全てを中へ抱え行く。皆々様もこの大自然、大宇宙とひとつと成りて、只々の嬉しき道をそれぞれしっかり踏みて参られませ。大きく広きと成り行かれるをただ、ひたすら望みます。
 さすれば是より篩いて参る。すさなる扉、開きたれば、大きなる光、瞬時に入り、皆々はっと、思う間もなし。変えられますや、否や。

 9月8日に中山さんに以下の絵と言葉がありました。意味不明な絵で如何に読み解くかと思っていました。
「是より現る新しうんたらしいた。それには遥かなうんたら送る。
 繋ぎて結びて型示す、面白き。」

 先日長野出張の折にかねて見たいと思っていた国宝の「縄文のビーナス」を見る機会に恵まれました。
 http://www.city.chino.lg.jp/www/contents/1000001480000/index.html
 http://bunarinn.lolipop.jp/bunarinn.lolipop/buna-1/idojiri/biinasu/biinasu.html



素晴らしい形状で未知との遭遇、縄文の世界の神秘、豊穣な母性性を感じる嬉しい出逢いでした。なんと縄文のビーナスの絵にしたものは中山さんの絵にそっくりで、驚きです。

全体のつくりは、主な骨格となる部分を組み立てて、それに幾つかの粘土塊を肉付けするように丁寧に作られていると言います。頭部、胴体、腕、脚を別々に作り接合し、繋ぎ合わせているのです。
 これは中山さんの絵と相似しているようでお言葉を理解する上でヒントになるように思えます。
 この縄文のビーナスは「遥かなうんたら」なのでしょう。「繋ぎて結びて型示す、面白き。」なのです。同様な事が「是より現る新しうんたらしいた。」として新たな人、人としての機能を果たせる存在を作り出すのでしょうか。そしてその前に大きな変化がもたらされるようです。繋ぎて、結びて、大きなる和を作る。

 淡々と今各自が必要と思える事を行い、己を定め正して柱を立てて、新しき世を迎える準備を進めて行くことでしょう。只々、ただの思いです。

2014年9月26日金曜日

354「大和9月9日10」2014,9,25

 8日の巡りを終えて仙台に帰る車中で12月の仙台での中山さんのあわ歌会の企画についてどのようにしたら良いのかお尋ねしました。そうしましたら以下のお言葉がありました。
「この時に、大きな納めを致しましょうぞ。
 皆々に知らせて、多くの事、語り伝え、新たなる年の、それぞれの進みと致す。
 全てを語り、皆々様の思いを聞きて参りたき。
 響きの新たなるも多く伝えたき。
 御骨折り頂きたし。」

 これを受けて早速に仙台での企画の概要が決まりました。中山さんのご縁で、全国のあわ歌を実践されている方々に集って頂き、中山さんからお話しを伺い、諸々の新たなるへの準備として頂く貴重な機会です。12月13~14日に多くの皆様の参集をお願いいたします。 詳細は以下です。
「2014年あわ歌の集い、望信念会」 http://genkiup.net/awa/26.12.13.pdf

 仙台に戻って中山さんと何名かの方々と反省と慰労の食事会をしました。何しろ3日間の巡りで約1400キロの日高見の地を車で走りました。私はいささか疲れもあり、翌日の儀式に備えて私は眠気に誘われて早々に失礼しました。
 しかし、元気な方々はそれからもう一軒行かれたようです。そのお店でも中山さんには以下のお言葉があったようです。

「すさ、みな、みなの大きなる元の扉開かれよ、この時に。
 その扉、皆は知らず。
 開けばうつり行くこの宇宙のまこと生まるるは、地の中、空のまこと。
 さあ、今や来る時なり。
 さすらうはこの地の欲夢。
 漂うは皆々、情欲も情もその身の中、生み出だすはその身成り。」

 何とも厳しい内容です。さすらうこの地の欲夢、漂うは皆々の情欲、情も己の中、まことの世がもう直ぐ扉が開く。しっかりと己を正す事です。
 
 9日も良い天気に恵まれました。皆さんはバスで仙台駅から出発ですが私たちは車で先に大和農場に向かいます。
 この日には5日の歌会で私が頂いた以下のお言葉がありました。
「是より参り来る響きと光り、益々大きく強きと成りて、その身に入り、新しきへ向かう。来る9日は十時と正午、それぞれ行うなり。新たなるをその身にしっかり伝えます。」
 十時に私が大和の白石で4名が十字になって歌う事で響きと光りを頂くことになっています。

 農場の白石に10時少し前に行き準備をして、その時に中山さんに以下のお言葉がありました。
「ありがたきなり。
 この時を迎え、再びの大きなるこの地を開き、皆々と新しきへ参る。
 ここに集いし9名の方々、古きを捨てて新しきへと成られます。
 いざいざや。天地繋ぎてここに柱を打ち立てる。
 響きは届く、その時ぞ。皆々方ご用意ご支援賜ります。」

 10時になりました 中山さんと私、Tさん、Oさんの四人であわ歌を響かせました。
 その時のお言葉です。
「あ~う~あ~。 
 はるけき多くの光は、それぞれに参りました。
 是よりはこの光と共なり。手を携えて大きなる明日へ、それそれ向かいましょう。
 遥かなるは今、そこへ近寄りて多くの方々、皆々ひとつ。
 いざや、いざ、いざ。(拍手)
 ありがとうございます。(拍手)あ~い。」



 10時半にはバスも到着しました。皆さん揃ったところで今日の儀式の進め方等に付いて説明しました。冒頭、中山さんから以下の様なお話をいただきました。
「10月10日へ向かっての儀式を今日する。今回の直前の3日間の日高見の巡りの旅でこれまで言わなかった事を言い出していて戸惑っている。これからは各自の意識をしっかりと定めないと大変だ。一人ずつが自覚を持って変わる時だ。自分がどうするか決めて置くようにと盛んに言っている。
 今日の儀式で9人を中心にするが、それぞれのしっかりと定めて歌ってほしい。今までの事は10月までするが、11月になると変わって行く。今日、正午からの儀式を自分の想いでやってほしい。」


 11時半には大和亭から白石に移動を開始しました。所定の位置に付いて11時45分あわ歌を皆さんで響かせました。
 白石を中心に9人で九曜紋を作ります。白石の中央に私が立ち大久保、周りに8人です。その北の方の後ろに中山さんです。




「いざ、いざ、参られませ。」
 のお言葉で12時儀式が始まりました。 
「あいうえお」を全員で3回唱え、次に「あいうえお」を九曜紋を成すそれぞれ8人が3回ずつ唱えますが、私は皆さんと一緒に全てを歌い続け27回歌います。
 8人の響きはそれぞれ異なりますが、私の響きは定まり、一定の音を通す事がしっかりできたようで、それぞれ響き合いながら、どんどんといや増す声を発する事が出来たようです。
 その時のお言葉は以下です。
「さても大きなるを、皆々様にて為さりて頂きありがとうございます。
 降る、降る光と皆々様、ひとつと成りて、いざいざ是より参られませ。
 この地も再び、はるけき新しきへ共に参ります。
 大きな宇宙は全てを中へ抱え行く。
 皆々様もこの大自然、大宇宙とひとつと成りて、只々の嬉しき道をそれぞれしっかり踏みて参りませ。
 大きく広きと成り行かれるを、ただひたすら望みます。」12:20






 無事に儀式が出来ました。光も燦々と降り注いでいたようです。私はただただの一念心で、己を定め発しさせて頂きました。今日の10時と12時の2度で新たな大きな響きと光りを我が身に頂けたような感じです。



 儀式が済んで後は直会です。皆さんと楽しく和気藹々で美味しく頂きました。





直会の後に中山さんから簡単にこれまでの事、そして12月の集いの事がお話しされ、私からも補足させて頂きました。その後に参加の皆さん一人一人に中山さんから今必要なお言葉を頂けました。




 最後に私も以下のお言葉を頂きました。
「あ い。柱と成し行き、この地に打ち立て、見事に現し、再びの嬉しきを現し為さりませ。」15時40分


 お言葉は直ぐに続く10月10日の儀式への準備の始まりでもあります。そしてその前の10月4,5日の日高見遠野縄文の旅での各所での、あわ歌による響きと光りによる繋ぎ結びて開く巡りでもあります。
 この日に儀式の後に以下の言葉がありました。
「さすれば是より篩いて参る。すさなる扉、開きたれば、大きなる光、瞬時に入り、皆々はっと、思う間もなし。変えられますや、否や」


 いよいよ、すさなる扉が開き、篩われて瞬時にその変化に遭うことになりそうです。果たして己を変えられるか、否や、と将に最後通牒がもたらせた感じです。厳しき世がいよいよ到来するのでしょうか。

2014年9月24日水曜日

353「大和9月9日9」2014,9,22

 太白山から午後の部は少し物語が変ります。6日の盛岡市の三ツ石神社の繋がりの南の地、福島の3か所を巡る予定です。
 もう一度6日の三ツ石神社でのお言葉を記してみます。
「是より申すその事は、大きなる動きに係りたるなり。
 この岩より発する3本の光を、是より受ける岩を南の地にて探されませ。
 受ければ北の力、ここへと繋ぎ行く。お頼み申す。」

 北の地の岩より発する3本の光を受ける南の地の岩を探す事が求められています。そこが特定できて繋がる事は大きな動きに係る事だという事です。
 果たしてその地かどうか、先ず最初に目指す目的地は福島県二本松市にある三ツ石神社です。
 向かう車中で中山さんに以下の3つのお言葉がありました。
「立ちてみなされこの時に。
 是より始まる多くの事々、見事にこの身は片づける。
 大きなる光と響きを持ち行き、この国、鎮めて遙かな地へ。
 ささ参らん、是よりぞ。」

「この身は全て引き受けた。
 無しを越え行き、空(から)となり、全てを受け取る時至り。
 カラン コロン、タラン チリン、タラン トロン、トン。
 この音受ければ、始まりなり。
 タン タン タンと参られませ。」

「さて、次なるへ参ります。
 光は帯へと変わります。
 これ大きなる負担成るが、この身のご用意、おさおさ、怠りなしぞ。
 参りましょう。」14:35

 3つのお言葉をまず冒頭の言葉を繋げ、更に一体として組み替えて読むと以下のようになります。
「立ちてみなされこの時に、この身は全て引き受け、さて、次なるへ参ります。
 大きなる光と響きを持ち行き、是からの大変化を見事に片づけ、無しを越えて空となり、全てを受け取り、この国、鎮めて遙かな地へ行く。
 次の変化は、光りの帯になり大きな負担に成るが、この身の用意、おさおさ怠りなしぞ。 始まりの合図はカラン コロン、タラン チリン、タラン トロン、トン。
 その時に、タン タン タンと参られませ。」

 目的地に着く寸前に以下の様な絵を描かれました。果たして何なんだろう?です。


 そうこうするうちに三つ石神社に着きました。鳥居の手前の道路脇にその三ツ石が鎮座しています。盛岡の三ツ石に比べたらかなり小さく、帯状になって3本並んでいる感じです。 それを見て、先ほどの絵とそっくりです。太陽を燦々と浴びる三ツ石です。





  そこであわ歌を響かせました。その時のお言葉です。

「大いなるこの光を、皆々様受けられませ。
 揺るぎ無き、大きなる思いを受け止めました。
 光なり。」
 いろいろな光が降り注がれています。どうやら探し出す事を求められていた三つ石はここで良さそうです。しかし更にすぐ近くにも次なる目的地の吉祥寺の三つ石があります。今回は全てが3つで組み立てられています。残りの2か所が関連して機能するかです。


 道路脇に吉祥寺があります。その入り口に巨石が2つそそり立っています。吉祥寺の山はいろいろな巨石がありますが、目指すのは道路を挟んで向かい側のこんもりした小山、鳥石山の三ツ石です。こちら側からは木で見えませんので大きく迂回して田んぼの向こう側からその全容が見れます。
 詳しくは以下の「古代「オリオン信仰」巨大三つ石か」のサイトをご覧ください。 
 http://hamada7.exblog.jp/





 向かい側から中山さんは座り込んでじっと眺めて思いを巡らせています。ここであわ歌を響かせました。その時のお言葉です。

「立ちてみなされ。大きなる光を。(拍手)は~う~む~う~。(拍手)
 届きて参るや。(拍手)あ~(拍手)
 立ちて大きく発し成されよ。生み出だす。(拍手)あ~の~む~(拍手)
(あいうえお3回)
 お~あ~。
 是より北の光は降り注ぐ。受けられませ。
 23日の後に、嬉しき便りを送られよ。」
 どうやらこの3つ石で良さそうです。しかしまだ動きません。23日後に改めて嬉しき便りを下さいと促しています。
 23日後は10月1日です。その日まで参拝できる機会を作り、何度かこの地であわ歌を響かせることが必要です。山形のNさんとSさんがそのお役目を果たして下さることになりました。

 郡山市の鹿島大神宮は最後の目的です。吉祥寺から10分ほどです。
 http://ameblo.jp/idjericho/entry-10730994928.html
 この地はかなり前に訪れていますが、とても大事な地であり中山さんから出来たら毎月参り、あわ歌を響かせてほしいと言われているところです。それを受けて、郡山市出身で現在山形に住んでいるNさんを中心にご縁の皆様がその後足繁く参拝していてくださいます。



 本殿の奥にはペグマタイトの巨石が鎮座しています。この神域がこの岩脈の様で国指定天然記念物になっています。その巨石の前であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。

「お頼み申す。
 北よりの光を、この地に直ちに、遍く降り注ぐは、結びて、繋ぎて3つが1つと成り行かれ、受けて発して頂きたし。
 来る月には、繋がりて受けられませ。(拍手)あ~い。」

 お言葉ではっきりしました。今日巡った、三ツ石神社、吉祥寺三ツ石とこの鹿島大神宮の巨石の三か所を結び、繋ぎ、一つとなして、北からの光を受けて発する地とすることです。その日は10月です。
 しっかりと道筋が見えてきました。今回の3日間にわたる東の日高見の北にある星を繋ぐ旅は目的を達成できたようです。嬉しきことです。

 そして後日、9月20日の坂戸市でのあわ歌会でSさんに下りたお言葉に10月1日の為し方が記されていました。そのお言葉は以下です。
「届ける光を受け取るは、六名、三角作られて、共々歌いて、三度なし、その後揃いて、いや増す響き。 あ、う、わ、三度。」
 私にも参加のお誘いを頂きましたが、他の要件が既にあり残念ですがその場に立つことが出来ません。しっかり3つが一つになり、北からの光がその地で新たに発することが出来る事をお祈りしています。

 実は8日の朝に車中で中山さんに以下の絵とお言葉がありました。言葉は以下ですが絵も含めて解読できません。


「是より現る新しうんたらしいた。それには遥かなうんたら送る。
 繋ぎて結びて型示す、面白き。」8:30
 でもきっと今日1日に巡った中にこの事が型示しされているような気がします。三位一体の面白き世界でしょうか。

 今回の巡りは無事に終える事が出来ました。帰りの高速道路のインターに向かう真西の道からは丁度夕陽が正面に見えます。沈み行く太陽が強烈な光を発しています。改めて今回の巡り、天と地と人の3つを1つとして、成し行ったことへの応えを頂いたような感動を頂きました。


 全ては明日9月9日の大和での儀式、そして10月10日の儀式へと続いて行きます。

2014年9月20日土曜日

352「大和9月9日8」2014,9,20

 次の目的地は仙台市若林区の陸奥国分寺跡にある白山神社です。
 陸奥国分寺は、天平13年(741)、聖武天皇の発願により全国に建立された国分寺の一つで、最北に位置しています。白山神社は国分寺薬師堂の東側に隣接しています。天平13年、陸奥国分寺が創建されたとき、その鎮守として建てられてのが開基といわれています。文治5年、源頼朝が藤原泰衡を攻めた際、陸奥国分寺ともに兵火にかかり、全て焼失してしまいました。天正年間(1573~1593)に国分盛重が社殿を造営し、伊達氏も崇敬厚く神領を寄進しました。
 祭神は伊弉諾尊、伊弉冉尊、菊理媛尊です。各地の白山神社は菊理媛神を祀り、石川県(加賀国)の白山比咩神社を総本社としますがここで祭られるようになったいきさつは不明です。江戸時代には、本来志波彦神社だったのが、元の名が忘れられていつの間にか変わったともいいいます。

 そんな中で以下の記述がありました。
「私は陸奥国分寺建立以前、その場所には志波彦神社、そして尼寺の場所には志波姫神社が鎮座していた可能性が高いのではないかと考えております。
 陸奥国分寺・尼寺があるこのエリアは、往昔仙台平野の中心的“都市”が成立していたと思われますが、「遠見塚(とおみづか)古墳」の被葬者はその古代都市(集落)のリーダーであったと推測されます。もしかしたらこのリーダーは、弥生期に入って後このあたりの荒れた湿地をうまく利用できるような、なにかテクニカルな一面(農業技術や製鉄技術など)を持ち合わせていたのかもしれません。仮に“よそ者”であっても、そんな“よそ者”であれば地元では神のように尊敬され歓迎されたことでしょう。やがて土着した“よそ者”が、地元の有力者の娘あたりと結ばれたことも考えられると思います。志波彦・志波姫の一対祭祀はそれを記念すべく始まったものではないのでしょうか。
 遠見塚古墳からは、人間の身長の数倍もある棺が二基発掘されております。おそらく夫婦と考えるのが穏当でしょう。もしかしたら、この二基の主(あるじ)こそがよそ者リーダーと地元の娘、言い換えれば“志波彦と志波姫”だったのではないでしょうか。
 何はともあれ、一対としての祭祀というものはおおむね同じような起源を持つのではないかと想像します。それをおおまかに二分するならば、「平和的な融合の記念」である場合と、「征服した勝者による敗者信仰の融合(吸収合併)」である場合、つまり怨霊信仰が根強い我国の性癖として、敗者側の信仰を第一義に置き換えたために勝敗両者の一対となった場合とがあるのではないでしょうか。
 いずれ、それらの全てをこじつけるつもりは今のところございません。ただ、遠見塚古墳の被葬者と、志波彦・志波姫の夫婦を関連づけて考えることは、さほどに不自然な話でもないように思っております。
 もし国分氏が祀り続けてきたものが、実は国分寺ではなく、その志波神だとしたら・・・。
 いずれにしても、“宮城野”などと呼ばれた広義のこの地(後の国分荘)は、遠見塚古墳造営後1000年以上の長きに渡って一大聖地であり続けたことは間違いないものと思われます。
 もしかしたら、この地の志波勢力の神殿として存在していたものが、陸奥国分寺建立にともないその地を譲ったのではないでしょうか。当初は陸奥国分寺の守護神として境内に残っていたのかもしれませんが、やがていつの時代かに白山神社として塗り変えられたのではないのでしょうか。」

 国分寺は祭りなのか、手作り市で大賑わいです。駐車場もいっぱいの様ですが、いつも止める薬師堂脇にいくと、担当の方が駐車場を閉鎖しています。お祭り市でなく白山神社参拝と告げると駐車をさせてもらいました。我々の為に確保していてくれたようです。




 薬師堂前を通り過ぎて白山神社に行くとそこは閑散としています。
 本殿をみてTさんが「あっこれだ」と声を発しました。皆が何のことかと尋ねると、さい銭箱に記された神紋が丸円が3個あります。朝に中山さんが記された絵の内容は歪んで重なったものでしたが、それを正すとこうなるのか、と言う感じです。



 どうやら志波彦大神に所縁の浮島神社、志波彦神社とこの白山神社を一時に巡り、あわ歌の響きと光で整える必要があったようです。
 
 拝殿前であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「やれやれ、この時参りた。誠に嬉しき、ありがたき。
 共々結びて、繋がりて、それぞれ守りて是より迎えて参る。う~う~(拍手)
 共に北へ向かい、それぞれその大きなるを頂きて、参られませ。」

 喜びのお言葉です。共々結び、繋がりてこれからを迎えるとあります。今日の午前の巡りは選定も含めて良かったようで、目出度し目出度しでした。



 次の目的地は仙台市内の各所からピラミッドのように綺麗に見える太白山です。太白山には以下の記載があります。
「太白星(金星)が落ちてできた山という伝承から由来していて、太白山といわれる山です。しかし昔は独活(うど)ヶ森・おどが森・生出森と呼ばれていた。
 頂上には大同二年(八〇七年)に京都から貴船神社を観請したといわれ、地主の神として崇められてきた。文治二年(一一八九年)源頼朝が鶴岡八幡より、八幡神社を勧請した。 戦前までは戦の神として、胃病の神として数多くの人々が秋保軌道を利用して参拝したものという。
太白山には、巨人が住んでいた話など伝説が多く、また砦、寺等が山中にあったと伝えられる。」
 太白山については以下のサイトが詳しく記されていますので興味のある方はご覧ください。
「知られざる太白山」

 京都の鞍馬山が金星から降り来る表の地ならば、この太白山は裏でここから離れて行くところと以前いただいたことがあります。金星ならぬ黄泉への出入り口です。311の大震災の後に中山さんと訪れていますので2度目です。山全体が自然観察林として整備されています。林道で登山口までそこから軽登山です。




  太白山生出森八幡神社の鳥居をくぐり10分弱で神社に着きますが本殿は地震の被害にあい立ち入り禁止です。下の舞台であわ歌を響かせました。そこでのお言葉です。


「さても大きなることなり。
 この国のこの地を、確かなる地と成し行くを、来る時より始めます。
 10か所廻りて、光を降ろし、大きなる柱となす。この地は最後に廻りて致すなり。
 皆々様にも大きなお力を。」
 これから起きる事はさても大きなことの様です。全国10か所を11月から来年8月にかけて巡ります。この仙台の地は最後に、8月に回るという事です。


下山して駐車場でお弁当を頂きました。屋外で燦々と光を浴びて美味しさ格別です。差し入れの山形のプラムも美味しく頂きました。