2014年8月1日金曜日

332「真向法30周年1」2014,7,31

 7月27日は私の父の命日で、33回忌になります。月日の経つのは早いものです。明治生まれの父は74才で冥府に旅立ちましたが、丁度30年間育てて頂きました。実質一緒に暮らしたのは高校を卒業するまでの18年ですが、身近に過ごした子供には、畏怖すべき、大きな存在で、尊敬する親でした。
 その日には私の兄弟達全員が実家に集まり内輪だけでお墓参りしたようです。私は行けませんでしたので、娘に代わりに行ってもらいました。義兄も大学を退官して30年ぶりの墓参りだったようで、私も久しく会っていませんが皆さん元気だったようで、故人を偲んで昼食会は種差海岸のお店で賑やかな会だったようです。

 7月27日は私が会長を務める宮城真向法体操会の創立30周年の記念式典でした。
 公益社団法人真向法協会会長、佐藤良彦先生にご縁したのが昭和57年(1982年)でした。当時佐藤先生は副理事長で私の問い合わせの電話に出て下さり、何故か直ぐに仙台に来て頂けることになり、中山歯科に仲間の歯科医師やスタッフ10数名で真向法の指導をして頂きました。その数か月前に、歯科の研修会で真向法を教えて頂き、自習していたのですが、改めてしっかり基礎から指導頂けて、私はこれは自分の腰痛対策、健康に最適と思い、更に自習に努めて行きました。その時、医院に佐藤先生を車にお乗せ頂き同行下さったのが藤間流師匠のKさんでしたが、緑色のスポーツカーで医院に乗り付けた光景は今でも浮かびます。
 お蔭様で、真向法を始めてからは、それまでほぼ毎日のように通院していた、マッサージ、指圧、整体、カイロプラクテックの手技療法を受けることなく、どんどん快調になって行きました。東京出張の時は渋谷南平台の真向法本部を訪れて指導をして頂いていました。
 そうこうするうちに1年半程で真向法体操が完全に出来るようになり、先生からもお認めを頂き、その体験記を書くことを依頼受けました。そして佐藤先生が著した「真向法」朝日ソノラマ刊が1984年4月に発刊され、そこに私の手記も掲載されました。
 暫くすると、驚いたことに私の書いた手記に問い合わせの手紙を何通か頂きました。その内容の多くは、自分も真向法体操をやりたいので教えてほしいと言うものでした。その事を佐藤先生に報告しましたところ、仙台で私が指導して下さい、と言うではありませんか。真向法を始めてまだ2年足らずです。指導者としての指導も受けずに、その自覚、技量も無いままに、「お世話役でしたらお手伝いしますよ」、と受けたのが会の始まりになりました。
 84年後半から佐藤先生と相談しながら、先生の縁故の方々とお会いし協力を御願いしたりしてどうにか準備が整い、1985年5月26日に真向法体操普及会仙台支部として発会することになりました。

 真向法の本を読んで私にお手紙を下さったHさんも発足会に参加して下さりました。その時の集合写真が残っていますが、私はまだ33歳です。何とも若々しいと言うか、若造です。参加して下さった皆さんは全て人生の先輩ばかりで、よくも指導できたものと思います。当時では日本一若い真向法の支部長でかれこれ暫くそれが続いていました。
 40名弱の方々が写真に納まっていますが、現在も引き続きご縁を頂いているのは、その中では、Hさんと佐藤先生だけです。それ以外では発足の会には欠席でしたが、藤間流のK師匠だけです。
 佐藤先生は当時から頭髪が薄くその姿は、現在もほとんど変わりなく、元気です。先生は今年81才ですが、真向法の創始者の長井津(わたる)先生が真向法を唱導して普及活動を始めたのが昭和8年ですが、その年に宮城県大和町に生れています。ですから真向法の申し子の様な方です。私たちも最近、大和町にご縁を頂いていますが、何かの繋がりがありそうです。
 佐藤先生の義兄Fさんは安岡正篤のご縁で真向法と出逢い、真向法の実践で大病を克服しています。ですから真向法の効果を確信し信奉していて、教職にありましたが真向法の素晴らしさを広めていました。当時、佐藤先生はサラリーマンをしていたのですが、その義兄の強い紹介で長井津先生の門下生として20才代初めに入門します。そして真向法の真髄を伝授頂いて、真向法一途に早や60年です。
 実は、佐藤先生は希望、夢がありました。ご自分の出身地、宮城県仙台市に真向法の支部を設立して、地元で普及できることを念願しておられました。誰か相応しい人がいないかと求めていたようです。結果的に、良く状況が分からないままに、上手い具合に私が引き受けることになりました。これら全ては佐藤先生の善導であり、支部設立と活動の継続はご指導頂いた先生への一つの恩返しになったようです。

 宮城で産声を上げた真向法でしたが、会員数は伸び悩みで、毎月の修練会参加者は10名程で少ない時は2名の時もありました。しかし少しずつではありますが愛好者、協力者が現れてくれました。佐藤会長の義兄のF先生が教職を辞してからは真向法教室を開設して普及に協力し尽くして下さいました。そんな中に現在の宮城真向法体操会の副会長のIさんとYさんが参加して下さり徐々に会員も増えてきました。ありがたいことです。

 1985年に支部設立してからの活動のポイントを簡単に紹介すると以下の様です。
 1986年に始めての段級審査会があり、私は2級を拝受しました。
 1994年には10周年記念を開催し、記念誌「修練」発行。その際、私は教師から錬士の允許状を頂きました。
 1997年に仙台真向法協会に改称しました。
 1999年には15周年記念でしたが、その年に真向法全国研修大会を仙台真向法協会が主管として松島で盛大に開催出来ました。
 2002年に私が本部理事に就任しました。
 2003年からは東北地区真向法研修大会を仙台が主管として開始して、それ以降は各県持ち回りで毎年開催しています。
 2004年20周年記念式典を開催し、記念誌を発行しました。
 2008年に宮城真向法体操会に改称し、2009年に25周年式典を開催しています。
 2011年3月11日に、3,11東日本大震災が発生しました。甚大な被害の中、会員の方で1名亡くなられ、家屋の流失や損壊など多くの方が被害を受けられました。修練会の会場が使用できなくなり修練会の開催も出来ない状況でした。事務局の交代、退会者の続出等ある意味での苦難の時期でした。本部からは多大な支援金を頂き、被災者の会員の皆さんに配布させて頂きました。
 2012年の山形での全国研修大会には40名程の参加です。指導者の育成、教室開設等役員の皆さんの積極的な活動で会員100名を達成できました。

 この様な30年の歩みですが、必ず年に1度は佐藤先生が仙台にお越しいただき、指導と段級審査会、懇親会を開催してきました。これまで何人の方とご縁し、お別れしてきたことでしょうか。佐藤先生は「真向法を止めた方の末路は良くない」とおっしゃいますが果たして如何でしょうか。
 私には真向法は健康法の基本に思えます。簡潔で合理、時間かからず場所いらず、日々の自修で健康を得られる、将に先人の叡智が凝縮している、奥の深い世界です。

 佐藤先生は2007年に第5代会長に就任しています。創始者の長井津先生は交通事故で急逝して、息子の長井洞先生、更に奥様の長井浜子先生が会長をなされていましたが、1998年から第4代牧野直隆会長がその後を引き継いでいました。私が入会したころは長井浜子会長でした。
 牧野会長は長く高校野球連盟の会長を務めていましたが、高野連会長を辞す2002年までの4年間は真向法会長と兼務して下さっていました。牧野先生は真向法10段で、その実技は見事でした。私は2001年から協会本部の理事を仰せつかっていましたので、牧野会長の会務運営を2年間サポートさせて頂きましたが、会長の存在感はまた見事で、真向法の新しい体制作りに強いリーダーシップを発揮して下さいました。2006年、95才になって病に伏せられて、1か月で逝去されていますが、見事なPPK(ぴかぴか輝いて生きる、ぴんぴんころり)を実践して見せて下さいました。


 牧野先生は真向法の実践者の健康長寿の善き見本です。他には元東京都知事の鈴木俊一先生がおられます。1991年、鈴木先生は80歳の時に東京都知事4選に出馬しましがが、高齢批判を受け自民党本部の支援が見送られる中、苦戦していました。日比谷公会堂での公開演説会場でその高齢批判に答えて、完璧な真向法を披露して拍手喝さいを浴び、その柔軟さで若さをアピールして見事に当選を果たしました。その時は全国的に健康法としての真向法が注目を浴びて、仙台でも鈴木知事のパフォーマンスを観て興味を持って参加した方が沢山いました。鈴木先生も真向法の愛好者で10段でした。99歳で見事に天寿を全うされました。

 これまでは社団法人真向法協会として活動してきたのですが、国の法人の見直しによる法改正で真向法も公益社団を選択することでここ数年準備を重ねて来ていて、2012年度に公益法人として再スタートを遂げています。より公益性の高い法人として会の運営も含めて公正に執行されています。
 昨年、2013年は、長井津先生が昭和8年(1933年)に真向法の普及を始めて80年を迎えました。それを記念して真向法唱導80周年記念式典を開催しました。
 80周年祝賀会は、真向法協会の公益法人認定も祝して盛大な開催でした。ホテルニューオータニに1300名が参加して、主賓挨拶は元総理大臣の細川護熙氏でした。細川氏は熊本県知事時代からの真向法の愛好家で、真向法5段です。私も参列しましたが素晴らしい祝賀会でした。
 佐藤先生が会長として統括し、名実ともに佐藤会長は真向法の長としてまとめ上げ成功裏に終える事が出来ました。長井津先生も果たしてこのように後継者が真向法を普及して行く姿を描けていたのか、冥府から如何様にご覧になっているのかと思うと、感慨深いものがありました。
 長井津先生は1963年に亡くなられていますので、2013年は没後50年にあたります。佐藤先生の長井津先生、洞先生への感謝と御礼、そしてそれを引き継ぐ世代への善き道標になったのではないかと思います。佐藤会長の真向一途の精神、長井先生から受け継いだ真向法の魂が成したことのようにも思います。
 私も真向法を通じてこれまで培い育てて頂いた上に、佐藤会長を支える理事として、宮城県のお世話役として、長年かかわらせて頂きました。清々しい、晴れ晴れとした祝賀の席に臨席させて頂き、善きご縁を頂いたことに心から感謝の念が湧きあがりました。
 一人の創始者の志、魂が継承され、社会に必要とされて発展して行く善き世界です。