2014年1月8日水曜日

272「迎春」2014,1,6

 新年明けましておめでとうございます。
 2014年もご縁の皆様のお蔭さまでありがたく、嬉しく、暖かく明けました。元旦朝に目覚め、果たして新年の朝陽は如何かと思い、雪の大和農場をゆっくり一人巡り、新しい世界が始まりました。
 ご来光は雲で頂けませんでしたが、沢のお不動様から登って来て鳥居越しに希望の光り、輝きを拝する事が出来ました。曇り空の中にじっと光りを求める中に瞬間的に明るさを頂けるそんな2014年と成るのでしょうか。




 大和亭を活用させて頂き丸1年が過ぎて大晦日は善き仲間たち、子供達も含め9名で過ごす年越しと成りました。少しずつ土地、家にも馴染んできています。年越しの段取りを済ませてから、いつもの台が森温泉に皆で行きました。1年の垢落としです。温泉も丁度の湯加減で温かく身体を緩め身も心も嬉しい限りです。
 大晦日の料理は比内鶏きりたんぽ鍋、おでん、たらば蟹、殻つきの新鮮ほたて、マグロたたき、くろまめ、きんぴらごぼう、柿なます、正月おせち重等々それぞれが持ち寄っての豪華な食膳です。各自適当に持ってきたのですが同じ料理はなく程良くバランスがとれています。



お酒、ビール、梅酒等々いつになく皆杯が進み、歌あり、踊りあり、体操あり、テレビも無い和気藹々の歓談は知らぬ間に2014年1月1日を迎えていました。改めて皆さんと新年のご挨拶をし、引き続き3時過ぎまで楽しく続きました。Kさん家族は2階の部屋で、Oご夫妻と我々若者?は1階で休みました。大和亭の宿泊は昨年5月に中山さん達と泊まって以来、2度目です。安心してゆっくり休めました。少しずつ諸々からお許しを頂いてきているようです。

 農場のある大和町吉田金取北若畑地区では恒例の元旦互礼会の寄り合いが9時から集会所で開催されるとのことです。7時半過ぎにはお不動様への参道の除雪作業が成されて、8時半ごろからぼちぼち参拝の方々が見えます。


私達も初めて参加して来ました。住民票を移している方々が正式な会員ですが私達は特例でオブザーバー的に参加させて頂きました。
我々以外7名の参加でしたが、区長さんから新春のご挨拶を頂き、自己紹介です。お神酒を頂いて2時間程歓談していろいろな情報収集、交換をさせて頂きましたが、新参者の私達にとってはとても有意義な集いでした。
 地区長さんは昭和28年入植で60年前です。その当時はこの地には3軒しか家はなく、国道147号線からの橋もなかったとか。私達の農場の奥の方が一番古くて6代目の専業農家です。しかし3丁半の田んぼは昨年はいもち病で全滅だったようです。現在の地区会員は17軒ですが、開墾でその内7軒が入植したとのことです。
 私達の大家さんのGさんの息子さんは会の司会進行を務めますが、Gさん一家は20数年前に転入していますが新参者とお話していました。名前と住居の場所を口頭で言われても上手く覚えられず、いずれゆっくり教えて頂きたいものです。
 参加の中で10年ほど前から2軒の方が住み始めています。お一人は家族は定住してご自分は東京で仕事をして週末だけ帰る生活を続けられています。もう一方は退職後住み始めて畑など楽しんでいますが猪、熊、鹿の被害にも遭われていていろいろご苦労されているようです。
 そろそろ散会と席を立った時にその方が私が中山で開業している事を知って実は私は歯学部に努めていたというではありませんか。どこかで会ったことがある方かなと思っていたのですが、その言葉で瞬間に分かりました。当時の基礎講座の生理学教室の助手をしていた方です。大學5年生の時の基礎実習で3か月程毎日通っていたのですから。驚きの再開、ご縁でした。
 最近転入したお二人ともこの地をとても気に入っているようです。


農場の沢にあるお不動さんの謂れについてお聞きしましたがそれほど古くはなく、どなたかが瀧の岩にお祀りしたようで詳しい事は解らないとのこと。私達の大家さんのGさんの方が良くご存じかもしれません。昔は木の鳥居で2度作り直し、現在の立派なものに立て直されています。この地の氏神様、鎮守の神様として大事にされています。
 この地区の学童はゼロで19歳の方が若手で、その下が3才くらいの幼少者とか。高齢化は進んでいます。しかし、大和町は人口が増加して中心部にはどんどん新興団地が造成されています。
 新参者の私たちにとっては新鮮な話題で、地区行事にも出来たらオブザーバーで参加したい旨お伝えしてお諮り頂くようにお願いしました。更には田んぼを使わせてもらえそうな休耕地、耕作放棄地等の情報もあったらお願いしてみました。

 大和町の謂れもお聞きしました。大和町は昭和30年に5町村が合併して成立しましたが、この地は吉田村で一番広い面積を占めています。大和はその5つの町村が大きな和を願ってつけられたと言います。「大同和合」の精神から「大和」の名が取られたと言います。
 大同和合は以下のような記載があります。

「現日本人の中核になった民族は大和民族と呼ばれている。この民族の主流は、古代イスラエルから流れ込んできた消えた十支族と、後を追ったユダヤ二支族が融合合体した民族である。神選民族と呼ばれるこの民族は、神の仕組みがセットしてある神国日本へ流れ込んで先住民と和合し、支配権を確立して日本を建国した。
 この民族を大和民族とするならば、それ以前の先住民や大和民族にしいたげられた被差別民族も、日本人の中にはもちろん存在している。大和民族に融和できなかった少数派が、同和グループを形成して自己主張を繰り広げているが、このグループも元は神の仕組みを担った民族だったと言える。
 神国日本に神の仕組みは二度降ろされている。一度目で失敗した仕組みが、二度目の今回では成功裏に進行している。一度目が民族別に仕組まれていたとすれば、二度目のものは全民族が混ざった形になっている。ある意味では大和と同和が合体して真の日本人となり、神の仕組みを担わされているとも言える。そのことを筆者は大同和合と呼んでいる。
 大和がイスラエル系だとすれば、同和のベースになっている先住民族は、源氏、平家を筆頭にして、前出雲・熊襲、ツングース、アイヌの五大民族の流れである。ムーやアトランティスがらみになっていると思われる平家や源氏は、前の仕組みの流れで大和に取り込まれたが、他の民族は五回目の仕組みを担ってせめぎ合った。今も激しく抵抗している民族の末裔が同和として集まっている。
 しかし仕組みはそうしたせめぎ合いをよそに、大同和合した日本人によって担われて、異次元で想像を絶するような成果を上げている。このことは言えば言うだけ筆者の妄想か虚言癖と受け取られる逆現象として現れているが、太陽系は地球物質人類だけで構成されているわけではない。
 地球人類に与えられた神の仕組みは、宇宙を巻き込む宇宙の仕組みへと拡大して、異次元を含む太陽系の全メンバーで取り組まれる形になってきている。秘められた仕組みの謎とも言えよう。」佐田靖治

 今回の元旦互礼会では私達も快く受け入れて頂けたようで、2014年はこの地に更に溶け込んでいける嬉しい、迎春の機会と成りました。ありがたいことです。
 私は互礼会で一升瓶の日本酒を勧められるままにコップで2杯頂いてしまいました。迎い酒でほろ酔い加減です。大和亭に戻ってお昼はKさんの御餅を美味しく頂きました。
 ほっこりして、ゆったり、のんびり、みんなで昼寝して、お茶をして、日暮の解散となりました。土地、家、人、食べ物等諸々ありがたい、天地人のバランスとれた心地良き時空間でした。
 大同和合を目指すこの地に縁ある方々が集い、繋がりの絆を深め、更なる展開への春を迎える、そんな予感を頂けた嬉しい正月元旦でした。