2013年12月31日火曜日

271「望念」2013,12,31

 今年も大晦日を迎えてしまいました。忘年会も終わり後は大掃除をして綺麗さっぱりと新年の朝日を迎えるだけです。そんな中に書き残しなきように凝縮して12月の主な事柄をお伝えします。
 12月14、15日はチャレンジPPKと仙台天命塾の共催で研修会、望念会「全てはひとつ、楽しく豊かに今を輝いて生きる」が開催されました。
 望念会は15年前に杉浦清始師が作った呼び名です。忘年会ではつまらないので望念会にとしたようです。最近は少し違和感を抱かれているようで望念は新年にするのがふさわしいとおっしゃいます。

「目的や目標は何の為にあるのか。生活を歩む為の目的や目標で有っては些か問題だ。それではただ生活し、歩む為の方向性だけのもので、そこに執着していると多くの混乱が生じる。その時々の認識、価値観で目的、目標が変わる。今の時代では年を望むのは新年会でするのが良い。
 年末にするのは、人間に一番必要な事、嫌な事やまずいこと、アンハッピーに一切タッチせずに楽しいことにすること。その為には魂の視座を上に置いて、自分の一番好きな事を暖めることをする。そうすることがこれから生きて行く礎になる。それは自分が好きに成れる出来事や要素を見出す事でもある。」

 こんな杉浦宇宙僧の切り出しで会が始まりました。参加者が主役で、互師互弟が基本です。皆さんが語る中に多くの光が見え、輝いていて、今年を楽しい豊かな1年へと変換して行けます。

「全ては断捨離の繰り返しで人生には過去も未来も無く、生きているのは今だけ。捨ててさっぱりしてまだあるものに喜びを見い出して生きる。感謝、歓喜で奉仕の心で生きて行きたい。
 更に、一人では出来ないことを多くの縁、繋がりの中で出来るマンパワーの凄さ、素晴らしさを思い知った。皆さんと共有し体験できたことが嬉しい。」

そんなお話の後で、御導師は傲慢に一人で生きて切り開いてきて、病気も自分で治した様に言っていたが、その事を奥様に指摘された。実は妻がいないと何も出来ない自分を思い知ったとも言います。

「目的、目標を強く抱いて長く続けると混乱を生じる。その時々の意識の価値観でしかないので目的、目標に対しては、淡く淡く捉えるのが大事だ。少し前までは、想いは叶うと言っていたが、あまり信じられなかった。しかし今は想いが実現する時代になった。望念はもう遅い。全部が思ったようなことが叶う時代で、自分のレベルで実現させていく時代だ。この会は全員が魔法使いになれる実践の会で、ここで学んだ先取り特権で想いを叶える世界を生きて行く。SOS理論、そう思えばそうなるを実践して行く。」

 御導師が葬式を行う事で死んだ人が死後硬直起こさずに柔らかくなることが起きる。
「安らかに亡くなってから天国、日光、寂光にどんな乗り物で行くのか。そこには意識の乗り物で行くが人間は生きたように死ぬことになる。その事実を観ていると不安が無くなる。生きたように死ぬために今を如何に生きるのか、その宇宙の叡智を伝えて行くのでそれを自分のものにすること。こうあるべきだと強く思わずに淡く淡く生きて行く。気づき、直感で生きて行くのが21世紀の生き方の鍵になる。」
「この世の出来事で嫌な人が目の前にいたら、自分の意識の中にあるものがそれをやってくれているという宇宙のメッセージ。それが無くなると好きな人だけになる。
魂が磨かれるとは、何でもないことに感動すること。大それたことでなく何でもない事に感動することが魂へ栄養を与えていること。事柄を楽しむのではなくイメージを楽しんだらよい。この世界の95%はダークマターで分からない部分が占めている。
自殺も伝染するが、それはエネルギー波動に巻き込まれることで起きる。渦中にはまらないことだ。この世の中は面白すぎる。喜怒哀楽激しいが、四苦八苦を四楽八楽に生きること。
 来年は「軽遊」の年です。いずれ来年の新念会でお話しますが軽く、楽しく、淡々として軽くすれば全て叶うのです。面白さを持っているものは軽いのです。信念など信じていることを軽くして、束縛、拘束され、委ねていることを軽くして行く事です。」

 杉浦宇宙僧と一緒にいるととても人間的で楽しく本質に気付かせて頂けます。目の前にいる方々に大きなエネルギーは放射されているのを感じます。今回の研修会も素晴らしい時間を皆さんと共有できました。


 引き続いて作並温泉での望念会です。近藤洋一代表も懇親会から参加です。会場から移動する時間が丁度光のページェントの点灯時間前でしたので、車で点灯の瞬間を皆さんで体験できました。点灯を待ち受ける大勢の方々がいますが、その瞬間に「うおー」の歓声が起きます。


雪の中の露天風呂は格別でした。宴会も盛り上がり3次会迄です。




翌朝は雪の中、大和農場の視察です。しかし、農場の大和亭は50cmの大雪で中に入れません。





断念して名取農場に向かいました。30数キロ南下しますが名取はほとんど雪が有りません。

 名取農場での餅つきは恒例です。先発組が既に用意をしていてくれて餅つきが直ぐに出来ました。













そもそもが天命塾の産みの親はトータルヘルスデザインの近藤洋一元会長で、育ての親は杉浦清始宇宙僧です。そして天命塾の成長を見守って頂きながらご縁は15年を越えて続いています。
近藤代表はこれからは東北の時代だとよくおっしゃいます。そして今度、天命塾で育った若者、K君が京都の近藤代表の下で社会人の勉強をさせて頂ける機縁を結ばせて頂きました。嬉しいことです。今回は近藤代表の息子さんの近藤太郎さんも参加していて、お二人とも昨日からいろいろK君とも語らい、来春からの相談をしていました。二世の時代に引き継がれるご縁、絆でしょう。
 東北、仙台天命塾の遺伝子が関西の大和の地に向かう事は大きな象徴的意味合いを感じています。更に結びつき、宮城の大和の地との新たな繋がり、交流が起きて来るのではないかと楽しみです。

 2014年は果たして如何な年に成りますでしょうか。12月21日はイシスさんの感謝祭でした。その中でこれからどうなるのかお話がありました。少し紹介します。
「2014年は水災事故が増える。全国的に旅での事故、移動中の事故が増える。
 2008年11月27日から権力支配が破壊されて霊性の進化がスタートした。
 2011年3月10日から7年間、2018年5月16日までに、それぞれ各人の根底にあるベースから変わる必要があるものが激変する。その変化からは逃げられない。ベースが正しければ良いが、人によっては持っている問題や弱点を突っつかれることになる。結果的には良くなるが最初は苦しみを味わう。今、変わっている最中だ。
 プラス面としては今まで無かった最先端技術で世の中を良くするものがでてきて再生されていく。病気治療法で電気や磁気を使用したもの。IT、メディアの拡大で更に便利になる。マイナス面では電磁波の拡大で日本、中国等は大変な状況になる。ウイルス、細菌等や原因不明な病気が発生する。世界的に日本以外の国々で地震、竜巻などが増える。
 2012年12月4日から波動は隠された物が明らかになるので悪いことは出来ない。心の中でも隠せない。小細工や是までの戦略は通じない。波動が伝染して行くので良いものも悪い物も拡散する。係わる人、物は真剣に選ぶこと。波動が合わないところは避ける。最初は大変だが、やがて調整されて良くなる。
 言霊が重要で想い、言う、書く、聞く物に注意する。マイナスと気づいたら即変えること。変えて行くチャンスだ。
 2013年6月27日からその人にとっての居場所、家庭、食生活の立替が急ピッチで変わって行く。
 2014年7月16日から政治、株、投資が大激変する。大変だがやがて落ち着く。セクシャリティーはより自由になるし、開放されて自由になって行く。」
 こんな状況への対応法も教えて頂きましたがそれは割愛します。

 イシスさんは3,11の震災後に神の光線言霊を降ろされています。そして更に各年毎に神の光線X星の言霊リーディンも頂けます。2013年に引き続いて2014年のものも頂きました。
「もともと直感力は冴えている方ですが、特に2014年はカンと脈の流れが好調となります。いざという時のカンが冴え、思いきったチャレンジや行動が当たってくる時期です。自然現象として環境や人が劇的に変化し続けているここ数年ですが、係る人々の心や未来を映し出す鏡のような役割にもなっております。いつものように適度に力を抜いて、自然に向かっていくといいでしょう。“啓示(メッセージ)”がますます現実化してきます。来年の誕生日頃からは、いよいよ居場所がリアルに確立してくるでしょう。世代を越えて、何かを受け継ぐ、あるいはバトンタッチするーようです。運営に関することで、これからの人々にいい形で“指し示す”ということが出てきます。
 2014年は1,3,4,11月に強運があります。特に1月は思いがけない形で恵みが有りそうです。」
 2014年に向けた星団の言霊は以下です。
・仕事と人間関係に係る運をサポートする、大犬座ウルド「状況判断を過たない」が力になってくれるでしょう。来年の6月までのサポートとなります。
・財運、不動産運をサポートする為に、天秤座αアルキバ「段違いの腕前」が力になってくれるでしょう。言霊の引力でめきめきと運が上がるでしょう。来年の12月31日まで有効な言霊です。
・同志・味方運のサポートにカストラ(水瓶座)「グレイドを上げる」が力になってくれるでしょう。今までよりもグレイドを上げた同志、味方、協力者が集まる様に、願望成就を強力に後押ししてくれます。来年の12月31日まで有効な言霊です。
・全体運(総合運)をサポートするのはぺルセウス座βアルゴル「魔の如き意志と力」です。こちらは昨年からずっと変わらず見守り、助けてくれています。魔力で意志と力をカリスマ的に発揮し、周りを引き寄せて行く力があります。引き続き来年の11月末まで応援してくれます。
・健康運をサポートするのは鯨座局部銀河IC1613「不老不死」です。大久保様はもともと火星との相性が悪く、それが健康に凶と成りやすいのでこれは一生涯守ってくれる言霊となります。

 こんな言霊で2014年も楽しく善き仲間、縁者と生きて行きたいものです。時代の激変に楽々と波乗りして新たな岸へとたどり着ける、そんな確信を抱いて大晦日を迎えています。  
 両親始め、御先祖様、土地の神々様、守護霊様、多くのご縁、数々の恵み、御配材に感謝です。皆様も2014年を素晴らしい年として迎えられますことを念願しております。

2013年12月30日月曜日

270「雛形2」2013,12,29

 木内さん講演会は是までと違って明るい未来を感じさせるものでした。先にヒカルランドから木内さんと中丸薫さんの共著「らくらく5次元ライフのはじまりはじまり」が発刊されています。その内容に関係する質問もありましたが木内さんの出番がそろそろ近づいてきている予感があります。
 今回は木内さんが代表を務めるNGOグリーンガイヤの理事会、研修会が翌8日に仙台で開催されます。その関係で講演会後の懇親会は、テンメイとグリーンガイヤの関係者が集い、作並温泉での宿泊懇親会となりました。遠くは九州、大阪、東京、新潟、関東、東北各地から22名の参加でいつもより男性が多く、お酒のいける方々が沢山でかなりな酒量で、3次会まで大いに盛り上がりました。

 一夜明けて目覚めると雪が積もって一面、白銀の世界です。太陽の光がキラキラ輝いて美しい素晴らしいプレゼントです。




宿を後にして大和農場の視察に向かいました。作並の雪は仙台に近づくに従い消えて行きます。大和農場も雪は無く視察にはベストな気候でした。木内さんの考えに賛同する全国各地から集まった方々はこの大和の地を観て、諸々の条件が備わっていて村作りに恰好な地だとの印象を持たれたようです。
 大和亭、沢の不動尊、まほろば舎、白石、農場の見学ではこの地を活かして栽培に適した作付け、林の活用法した山菜栽培、堆肥場設備の建設、水の確保等々いろいろな提案を頂きました。ありがたいことです。木内さんの事業の今後の進捗と相まって、来年は更に農場、田んぼの確保等これからどのような進展が出来るのか、是まで以上に楽しみな展開がありそうです。急がず、身の丈に応じた範囲で、出来る事から楽しんで歩んでいくだけです。








 里山資本主義が今注目されています。私達の進む方向とリンクするところもありますので、その考え方を少し紹介します。
・里山資本主義とは? 里山はお金に換算できない価値が眠るところ
「里山には、代々の先祖が営々と育んできた、自然と共に生きるシステムがあります。そのルールを守っていると、いまの時代でも、水と食料と燃料、それに幾ばくかの現金収入がちゃんと手に入ります。新鮮な野菜に魚、おいしい水、火を囲む楽しい集まり、そして地域の強いきずな。
 都会であくせくサラリーマンをやっている人間よりも、里山暮らしの人間の方が、お金はないけど、はるかに豊かな生活を送っているということを、私は各地で実感しています。
 つまり里山にはいまでも、人間が生きていくのに必要な、大切な資本があるのです。これはお金に換算できない、大切な価値です。そうした里山の資源をいかしていくことを、「里山資本主義」という言葉を使って伝えようとしたのが、NHK広島局がつくる「里山資本主義シリーズ」でした。シリーズは最終回を迎えましたけど、「里山は見えない資本なんだ」「お金に換算できない大切なものなんだ」ということを、これからも言って歩こうと思っています。」
・里山の資源で地域が自立する
「里山には、お金に換算できない価値だけでなく、21世紀の日本経済にも大変重要な、金銭換算できる価値も眠っています。
 たとえば『革命はここから始まる』で紹介した、木のエネルギー。岡山県真庭市の建材メーカーが、工場で出る木くずで自家発電を始めたところ、年間1億の電気代がゼロになった。しかも余った電気を売電して、毎月400万円も定期収入が入るようになった。
 それまで産業廃棄物として、お金を払って引き取ってもらっていた木くずが、すごいお金に化けたんです。さらには、木くずから燃料ペレットも作って、それが地域の小学校や農家のハウス栽培に使われている。
これには単なるコストダウン以上の意味があります。それまで石油やガスの代金として、県外や国外に出ていっていたお金が、地域で回るようになった。しかも地元で作ったペレットですから、グローバル市場のエネルギー価格の乱高下にも巻き込まれずに済みます。はるばる中東から石油を運んでくるのではなく、目の前の木の資源を活かしてエネルギーの一部を自給することが、地域の自立と安定化につながっているんです。
 欧州のオーストリアは、森林資源の活用を日本よりもずっと先まで進めていて、これまでコンクリートで造っていた中高層建築建物を木造中心に切り替えるところにまで手をつけています。『若者は“放棄地”を目指す』で紹介したように、そのために消防関係などの法律も改正しました。木造建築が増えれば、当然、木材加工が増えて木くずも増え、木くずのエネルギー利用がどんどん増えます。木造建築は、断熱効果が高いので、冷暖房代も節約できます。集成材を使えば、火災にも強いのです。そうやってオーストリアは、環境に優しい循環を取り戻そうとしているんです。
7階建てのマンションを木で造るというと、日本人は驚いてしまう。自分たちが、五重の塔や奈良の大仏殿を造ったことを忘れて、いつの間にか大きな建物は木で造ってはいけないと思い込んでいるんです。
 そもそも世界の中で、日本ほど自然が豊かで、木を切っても簡単に再生できる場所はなかなかありません。これだけ木の資源に恵まれているのに、それを活かさずに建物をほとんど木で作らない。ほんの少し木造建築を見直していくだけで、日本の山の価値は大きな勢いで再生していくと思います。少しだけやり方を変えれば、経済的に無価値と思われていた里山が、宝の山になり得るんです。」
 里山資本主義は多くの視点と可能性をもたらして頂き大きな反響が起きています。私達も視点を変える必要があります。行政やマスコミによって教え込まれた今の時代の常識というマインドコントロールによって何の疑いも無く消費者として隷属化されています。私達は、そこから目覚めて本来の生きるとはどうあるべきなのか真剣に考える時期に来ています。お金の権力の呪縛から離れて、恵みの大地、自然の中で生態系を守り育て、如何に共生して生きて行くのか。その志に共鳴、共感する仲間、人材が最も必要な資本です。里山として大和農場は格好の地です。そこに人材、そして共に楽しい明るい未来を描く仲間が集う。かつて縄文のころのいのちのあり様、視点、精神性に目覚め、今の科学技術の素晴らしさも合わせて活用し営みが出来て行けるそんな小さな村作り、雛形造りがいよいよスタートできそうです。
 大和から名取農場に移動して、グリーンガイヤの理事会、研修会が成されました。テンメイでグリーンガイヤ委託事業として水耕栽培実験をしていますがその見学をして、農場を観て頂き、野菜の試食をして色々な意見をいただきました。





 最期に木内さんからも以下のようなお話を頂きました。
「今は転換点だ。全てに亘って打つ手が無くなっている。産業、環境その他も振り回されて、悪循環に入って来ている。そして将来のビジョンが見えて来ていない。原発に戻ろうとしているが小泉元首相が言うように後処理が出来ていない現状では無謀だ。
 福島原発はシールド出来ていない中で色々な研究が成されている。他国の要望から被爆等のデータ取りに使われている。政府、マスコミも確認しているがそこには利害がある。
放射能、PM2,5等の汚染がされていく中で生きて行く、助かる方向性の研究をして行くことが大事だ。他の預言も今の状況に合って来ている。地球は消滅するのではなく、最悪でも多くの生物が死んでいく。
 現状への対応として、病気や食べ物をどうするか。それらに対する免疫、抗体を獲得して身につけて行く。しかし、多くの人達は盲目で現状に流されていく。考えて対応できる能力を培うことが必要だ。これからより必要な事を発信して行く方向性をもって、来年から更に活動して行く。
 太陽光発電への問い合わせが出てきている。既存のソーラーパネルでの問題がはっきりして来ていて、その違いを明確にしていく。今のソーラーパネルに水滴が付くと最大40%発電量が上がるが、これはレンズ効果によるものだ。太陽光を利用することで低温で紫外線分解でPCB処理が可能で毒ガス、サリンの処理も可能だ。
 地球の浄化をして、安全な食べ物、食べる事の処方箋を作り、更には癒される場所を作って行く。都会での生活は相当な問題がある。環境的な事だけでなく全てが時間に追われて精神的にも無理が来ている。田舎を知らないしこれからは都会と田舎の交流が必要で色々な交換もしていく必要がある。
 新しいアイディアは遊びの中で気づいて行くので、時刻に縛られない生活が大事だ。携帯電話を持たない、縛られない生活で、ゆっくりのんびりの社会に向けて、地球人としてのモラルを持って、自然のリズムに合わせた身体を作って行くことで、心が健全になって行く。少し引いた生き方で世の中に期待しないのが良い。
 今、伝説、伝承、神話が現実化して行く中で、その流れに染まって行くのが良いのでは無いかと思う。焦って行くと止められる。貯め込まずに出しながら生きる生き方が良い。

 水耕栽培も落差があると水が腐らない。生きている水で液肥を作ると大丈夫。都会で水耕栽培をする。空気を清浄にできて食べられるもの栽培できる。
 振動で発電させることが出来る。食べ物が腐ることでエネルギーが出る。体内で食べ物を食べて発電している。太陽光も紫外線だけ集めて発電する。
 シンプルにして各部門で研究をして未来型の会社作りをして行くが、その実現を期待して良いのではないか。その資金のお金が出来るまでもう直ぐで、間近かに来ている。これから伝説が現実になり、過去になされている契約が実施されていくのではと思う。」

 木内さんは翌日も大和農場で1日にのんびり休息して頂き、只々ゆっくりお過ごしいただきました。お昼にはキリタンポ鍋を食べてこれからの明るい未来を語り合い、雛形造りの渦が拡がって行く楽しい時間でした。


 2014年はいよいよ伝説、伝承、神話が現実化して行く楽しみな展開になりそうです。しっかりその流れに、縁する善き仲間、皆様と乗って行きたいものです。

2013年12月26日木曜日

269「雛形1」2013,12,26

 12月7日は木内鶴彦さんの講演会でした。少しお話の内容を紹介します。


 これからは比較的、楽観的な見方が出来るのではと思うのでそんな情報を流していきたい。自分の目線で世の中が拡がっていて自分の思惑で動いて行く。天変地異や地軸がずれるとか言われているがそのようには起きないのではと思う。
 意識の世界にひずみを作ってこの3次元世界を作った。この次元ではいろいろな苦労を楽しむことが生きて行く目的で、高次元から低次元へと肉体を持って現象化している。生態系もゼロからスタートしていて、そこには意識が介在している。
 
 細胞そのものが記憶媒体でDNAが情報伝達機能を担っている。色々な細胞の歴史を背負って今に至った。地球の環境を作り、守るのが人間の役割で、バランスを作ることが目的。今の時代は環境を育みバランスよくなされているのか、壊しているのか。このバランスを取れないとやがて地球環境が終わる事になる。山は循環性の働きを示すもので、その働きを司る存在が神であり、人間はこの環境での新参者だ。
 人間はわざわざ高次元から低次元に来ている存在で、肉体から離れたら即、高次元に戻ることになる。この地球の生態系が理解できていることが意識の尺度となる。
 地球のエネルギーの流れは太陽を中心とした中で循環している。一番影響しているのは太陽の光でその動きが止まると我々は存在出来ない。太陽系以外へ行ってエネルギー流が変わって果たして生きられるのか。意識では直ぐに外へ行けるが肉体では出て行って生きられないのではないかと思う。

 人間が生態系のバランスを作る中で使ってはダメなものがある。二酸化炭素の炭素が海や、植物、動物に行き石油や石炭になり、この大気の循環が出来ているが人間が手を出して掘り起こしてはいけないものがある。しかしその決まりを破ったがそれはお金の為だ。
 投資家、会社がいらない物を作り出して産業にしてエネルギーが流れて行った。原発は夜は止められないので夜の電力需要を喚起する為にライトアップキャンペーンをした。しかしこれからは地球環境のバランスを取るという目的を実現できる社会構造を創っていく。

 人間を競争させて人を排除して勝ち残ろうとする社会では、敗けて取り残される不安を蔓延させる。しかしこれからは21世紀型の発想をして行き、農業、エネルギーなど使用できる範疇の中で賄える、競争のない共存できる社会を作っていく。
 かつて先人は磐座、岩盤を人工的に作っていた。砂岩に石灰水を交ぜて水を蒸発させるとかたまって岩になる。花崗岩、御影石など鏡石は太陽光を反射させて使うものだ。炭も電気を通しやすいものと通しにくい物がある。空気の流れが良いと川辺にはマイナスイオン発生する。植物が水を吸い上げてマイナスイオンを発生して窒素を吸引する。苔が密に出来るところは植生が良く、場が良いので神社等では苔が生えるところが多い。

 生死をさまよって過去、未来を観てきた。それは神がかっているのではなく、その事を科学的に検証して行くことが大事だ。今、人間は直感力が劣化していて、お金という麻薬に侵されている。生態系も変化していて限界点に達して来ている。
 震災、戦争はいつ起きてもおかしくないし、中国では暴動が起きる。今は人の命よりお金が大事で、人間が作った縮図になっている。中国は領有権を主張して国をまとめようとしている。中国の戦闘機は重くて戦闘能力が無い。オスプレイはヘリコプターより有効だ。武器産業、戦争、死の商人がはびこっている。しかし次に打つ手はなく、やがてそれらは崩壊する。
 
 日本はかつて農業国だったが戦争に敗けて食糧自給ができなくなった。農業を大事にして転ばぬ先の杖で行動しておけば良かった。生きるために働いているが、これからは美味しいものを食べて、健康な村を作り、各自が出来る事をして、そこで生業と成ることを目指していく。
 
 縄文人はアメリカへ海を渡ったが星を目印にして航海をした。アメリカで人骨や縄文模様の土器が見つかっている。今は大変な時代になったが、地震が来たらその時どうするか。予知して逃げるか。どのように避難して、その危機管理をどうするか。
 まず、最初に助かるか、助かったら次にどう逃げるか。更に痛みに対して体内モルヒネの分泌を促すことで生き残れる確率が上がる。今は精神的に遅れているので、それを高めて生き残る術を身に着けることが必要だ。いのちの危機管理能力を身に着ける。

 これから果たして最悪の時代になるのか。いずれにしても循環型社会を作る実験をして行く。仕事をして生業が成り立つ村を作る。そこでは自給した食べ物を食べて健康になれる。しかし全員を助けることは出来ない。日本人には生き延びるDNA,遺伝子があり、ある瞬間にそれを思い出してスイッチが入る。今はその能力を忘れているだけ。
 エネルギー問題に関しては使ってはダメなものをしっかり認識して使っていく。しかし、一人ではどうしようもない。地球の浄化を私達がするが、そこでの苦労が生きる喜びであり、そこで知恵を出していく。やってみて、どうして行くのが良いのか、工夫しながら新しい社会構造の構築を目指して行く。

 お金のいらない社会をお金の社会で作るのは難しい。まずは多くの洗脳から脱却できるかだ。節税していき、如何にして村が出来るか。それは強制でなく自発的な意志、選択で進めて行く。社会主義や共産主義、宗教にすがることなく作って行く。
 多くの人の役割を認め、能力を引き出し合い、それぞれの人種をお互いに認めて行く。能力には差があるが一品持ち寄りでそれぞれの役割を分担をする。共に助け合って共生して行く。競わず、見返りを求めず、地球的規模で仲間作りをして行く。今の社会に流されずに社会実験をして、提案し、説明して行く。そして新しい産業に繋げて行く。人は他の人に言われて変わらない。自分が実践し体験して、人が集まり、文殊の知恵として生き、色々な発明で明るい未来を創っていく。この地球で生きる喜びは苦労だけど明るさがある。

 1500年前に仏教が伝来したがその前はキリスト教的なものが動いていた。イサヤはゴルゴダで処刑されず、弟が身代わりになり、キリストとして長崎県島原の小浜温泉に上陸し諫早に、そして剣山に行ってそこで亡くなっている。織田信長も本能寺の変で明智光秀に殺されたことになっているが二人とも死んでいないようだ。本能寺の変の前に子供達をローマに送っていた。策略をして若狭から對馬へ渡りローマへ行っていたかも知れない。信長たちが海を見ている映像、ヨーロッパの教会に居る姿が見える。
 空海は唐に渡り新約聖書を持ち帰り、最澄は旧約聖書を持ち帰っていた。テレパシーは想いだけで通じ合えるので色々な情報が得られる。

 エネルギーは細胞で発電されている。DNAリボンは電気が通る、通らないの並び方で2進法で細胞が決まり、細胞の大きさで細胞波が決まる。細胞の数が同じで大きさが違うと微細振動が違う。そこでは同調波、うなり音が起きる。波長が変わらずに波形が大きいと活性していて、波形が小さいと死へ向かう。薬を使うのは化学反応を起こしていて、それによって同調を起こすと波形が大きく活性化する。それは音叉でも起きるが、手当ては音叉と近づけたことと同じ原理で起きている。

 地球の活性化の供給源は太陽で、太陽に近づくと活性し、太陽の活性が進むと地球も活性が進む。重力波の振動が地球の距離で同調して、太陽が活発になると地球内部も活発となる。そのエネルギーの放出が火山噴火、地震活動となる。火星は楕円軌道で遠ざかる時にエネルギー放出していて、その時に地球は影響を受けている。また木星の質量の影響を受けてひずみが起きる。

 物質は振動していて、それを活用した病気の治し方がある。それが波動医学だ。身体の中で経絡に毒が溜まる。放電作用が無く電位差が無いと毒が溜まり、アースして放電すると身体が楽になる。ハリ、灸、マッサージでその効果が起きる。最初からアースすれば良い。一斉に急激にすると疲れるので徐々に放電させる。放電作用を常にすると霊が溜まらない。病気を治す時に超音波でする。細胞波を使うが、各自に固有の情報、周波数がある。人間の意識によって身体の病気は治る。なぜなら意識が作ったのがこの次元だから。
 水に情報を与えるとその情報も水は持ちます。讃美歌を教会で響かせたり、お経や祝詞で入る。自分で意図を持つことで、紙に清浄化、正常化と書いて水の容器に貼っておくとその水で治せる。現実化したことや、治ったりした不思議な事を調べて行くのが科学で、それを証明して行くこと。

 これからはある程度楽しく出来る範囲、規模でやって行く。最良は循環型社会の構築だが、最悪は疑い、奪い合い、殺し合い、滅ぶに滅べない地獄の世界だ。しかし今は良い方向へ動いている。良い想いで拡げられていける。全ては自分がどちらを選択したいかにかかっている。

2013年12月22日日曜日

268「大和7」2013.12.21

 
 
瀬尾律姫神社であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「大きなる海の動きは、共々に成りて、是よりも参り来る。
暫しの時、過ぎ行けば、この地、この海、動き行き、大きな変化と成りまする。
皆々様方、思いを変えて、遥かなる明日へ向かうが大事。
今までは去りて無しなり。
光届けたるが、ここには在らず。海へと送らん。(拍手)あ~(拍手)」
 この海動き、大きな変化と成る。光を届けたがここには在らずです。
 

 
神社から程近いところに早馬(はやま)神社があります。少し山手に登りますが海抜12mの神社にも15mの津波が押し寄せて本殿が2m程浸かったようで、その目印が成されていました。神社の周りの家屋は全て消えていて土台のみが残っています。
 この神社の御祭神 倉稲魂命で由緒等は以下です。
「今から約790年前の建保五年(1217年)、鎌倉若宮(鶴岡八幡宮)の別当(宮司)であった梶原専光坊僧正景實(かげざね、梶原平三景時公の兄)は、正治元年(1119年)の源頼朝公の死亡、 これを追うかのような梶原景時公一族の没落、又、和田、畠山氏が滅んで行くのを見て世を憂い鎌倉を離れ、蝦夷千島を目指して下り、その途中の当町石浜にたどりつきそこを切り開き住んだ。
 家の脇に社を建て、源頼朝公(鎌倉幕初代将軍)、梶原景時公(源頼朝公第一の家来)、梶原景季公(景時公の子)の御影を安置し一族の冥福を祈り、菩提を弔う為梶原神社を崇め祀った。
 後、一族の梶原三郎兵衛尉景茂の子である第二代大和守景永は、景實僧正の後を慕ってこの地に至り景實の猶子(養子)となった。景永は唐桑の為に神職となり、早馬大権現別当として早馬山頂に神社(奥宮)を建立した。」
「梶原景時は頼朝の信任厚く、都の貴族からは一ノ郎党、鎌倉ノ本体ノ武士と称されていた。一方で、源義経と対立し頼朝に讒言して死に追いやった大悪人と古くから評せられている。鎌倉幕府では権勢を振るったが頼朝の死後に追放され、一族とともに滅ぼされた(梶原景時の変)。」
 
 ここでのお言葉は以下です。
「届きたる波は全てを引き払いて、元へと返さんと致したり。
この地にありて多くの御魂を祀りたるは、それぞれの思惑成り。ここへ巡り来るは、守りを固めて逃げ込んだなり。山抱き入り、入り江小さきは隠れて守る為なり。
度々この地は海に洗われるを承知の事なり。」
 梶原氏がここに逃げてきた経緯が分かります。

 

 業除(ごうのけ)神社は隣の入り江の集落の上手にありました。道路わきの小さな社ですが津波の被害はなかったようです。ここでのお言葉です。 
「己を滅して、思いを除きて、只の身と成りたれば、移り行くは、いずれへ参るも固きと成るなり。その時、この地は生まれ出で来る地と成りて、今に繋がりたる事なるが、ここに在るのみぞ。」
 己を滅して、思いを除きて、只の身と成ること無ければ業を除ける事が出来ないようです。

 唐桑半島から海岸沿いに北上して岩手県陸前高田市に入りました。高田の松原は江戸時代からの植林で防潮林として7万本の松林は素晴らしいものでした。是までは何度も津波を防ぐ役割を果たしていました、しかし先の3,11の津波では全滅してしまい、唯一1本が残りました。その奇跡の一本松が寂しげに立っています。市街地は何も無くなり、復興工事が進められています。


 目的地の冰上(ひかみ)神社は海岸からかなり離れた氷上山の中腹、住宅地の中にあります。途中、陸前高田市のプレハブの仮設市庁舎が有りましたが難儀している感じが伝わります。
 冰上神社の御祭神は天照大神、素盞嗚神、稲田姫命の三神です。以下の記載があります。
「氷上山上に、西宮・理訓許段神社、中宮・登奈孝志神社、東宮・衣太手神社の3社が鎮座しており、当社は里宮にあたる。古来は、山麓に3社が別に存在していたらしいが、中世、修験道の山岳信仰により、山頂に集められたといわれる。」
 「氷上神社由緒」には、以下のように記述されています。
「古記で知る。氷上山は御山と稱へ山名を稱へず。気仙郡に官を置くに當り始めて気仙山と名づく。後氷上山と改む。暁光七彩の雲間より旭日昇天を拝しての尊稱か、郷民の太陽信仰の名稱か。又往古より山頂野火多く三社附近で自然に消滅す。火伏の神徳を垂れ給ふものとして日神 火の神 音相通ずるものとして氷上と呼稱せらると。」
 古くからこの地の信仰を集めた聖地だったようで、とにかく、祭神3柱とも、本来は土地神・地方神であったのではないかといわれています。
 
 ここであわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「あ~。讃えましょうぞ、皆々を。
大きく纏めて光と成し行くこの道、続けるおつもりか。
働きは発しておられぬが、如何になさる。古きを続けるや。生まれ来る新しきを如何に見るや。(拍手)
今、送り行く光は如何に。(拍手)
沙汰あられば動き行くなり。沙汰あらぬななり。(拍手)
自らの思いい出されよ。是よりの新しきなり。大きなる海の怒りはそれぞれの古きを流し、それぞれが依って立つことなり。心得ませ。(拍手)
づいづいと参られたるは解りたり。光へ参らん。この地の三体それぞれ参る。(拍手)
大いなるかな、見事。」
 嬉しいことにこの地の三神が動き参る事を決めて下さったようです。ありがたきことです。

 神社を後にしてあわ歌の歌い方のお話をしている時に車中でお言葉がありました。
「整えましょう、整えましょう。あなた様の音を整えましょう。
 整えましょう。あなた様の響きを整えましょう。
 整えましょう、あなた様の想いを。
 整いたれば光と一つ。参りましょう、新しきへ。」
 歌と響きと思いを整えて光と一つに成って新しきへ向かう道が示されています。


 隣市の大船渡市も津波保被害が甚大です。しかし、セメント工場は難を免れたようで稼働しています。大船渡湾の北にある尾崎岬に尾崎神社が鎮座しています。尾崎神社については以下の記載があります。
「式内社の陸奥國氣仙郡・理訓許段(りくこた)神社ではないか、といわれており、この海辺の神社は山頂の本殿に対する遥拝殿です。社伝によれば、延暦2年(783)の創建で、現在の御祭神は稻倉魂神、配祀は海住神です。その後、藤原三代や伊達氏の崇敬が厚く、気仙郡総鎮守となりました。」
「尾崎神社の古名は「理訓許段(りくこた)神社」。この名前はアイヌ語による読解が可能で、「rik・un・kotan」(高い所・にある・集落)の意味だとしたうえで、次のように述べている。
「(昭和初期の社会学者、田村浩の導き出した結論によれば)
(1)尾崎神社の初めの祭神はリクコタン神であったこと、(2)リクコタン神は千余年以前、この地方における夷族の神であったこと、(3)このイナウは夷族の神への供えとしてのこされたものであったこと、(4)この地方は古代アイヌの聚落(しゅうらく)であってこれをコタンと称した-など田村のこの見解に私は同意する。とおい時代に蝦夷=アイヌの使用した短弓やイナウが今日まで伝えられていることは奇跡と呼ばれるにふさわしい」(『白鳥伝説下巻』 )
 神社の前の海には復元された千石船「気仙丸」が浮かんでいました。
 あわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「あ~、この山、この海、この身と一つ。痛みも嬉しきも、皆々頂き共に参る。ここにありて。(拍手)
 讃えて参らん、その身の事を。
讃えて参らん、その思い。
光と共に参り行き、光を送れ、この山、海へ。」 
   



 
尾崎岬を北に進み大船渡市三陸町越喜来(おきらい)の三陸大王杉へ急ぎます。越喜来は珍し地名ですが鬼にまつわる以下の様なお話しがあります。
 エゾの鬼と言われる大鬼がいて、都の方から逃げてきてこの地は鬼が隠れるのには恰好なところで鬼が喜んで来たという事で鬼喜来(おきらい)と言われた。
 更には鬼が沢山住んでいて坂上田村麻呂が攻め込んできて鬼を討ち、始末して、バラバラにして海に流して、それらが流ついた先に頭崎、脛崎、牙が崎等の名が付けられたとか。
 いずれにしてもまつろわぬ民、蝦夷や鬼と言われる存在がいた処なのでしょう。
 越喜来も津波の被害は甚大で大船渡市で一番の被害があったとか。
 三陸大王杉に到着した時は陽が暮れて薄暗い中、八幡神社の参道を登りました。樹齢7000年と言われ、縄文時代からあったと言われています。幹周は約14mで樹高さ23mです。中山さんは木から凄いエネルギーが来ると言います。この大王杉の下で鬼たちも生きていたのでしょう。
 あわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「あ~あ~あ~あ~あ~。(拍手)
 伝えて申す。
 うるう。こもる。ふみう。ぬきて。たどる。ひらく。
 海の大き道を見たり。是よりその道この世が辿る。(拍手)
 あ~。(拍手)」
 果たして如何なる意味でしょうか。


 時間は17時で既に暗闇の世界です。今日初めての食事を直ぐ近くの三陸町の道の駅で頂きました。いつもながらの強行軍ですが次に繋がる意味があったのではと思います。
 

  今回の旅も訪れてその地で響かせること、足を運ぶことで新たな光を届け、新しきへと進むエネルギーを呼び起こし、渦作る事になったのではと思います。
  中山さんと同行する中で多くの気づきと頂きがありますが、天地繋ぐ人の役割をこれからも進めて行ける、ひな形が少しずつ見えてきているそんな思いを抱いて仙台に戻ってきました。いつも変わらぬ中山さんの導きには感謝です。  
 大和の地での2014年3月3日の儀式では二つの宮を大きなる和となし、新たな始まりの渦を作ることになる事を期待して仙台駅でお別れしました。今年1年、ありがとうございました。