2013年10月22日火曜日

248「原点4」2013,10,21

「野菜と肉を構成する微生物は同じで、全て空気が変化したもの。聖者は原点の空気を食べているが、間接的に野菜だけを食べているのかの違い。殺生してはダメというのは勘違い。人間を構成する空気と、豚や野菜を構成するものは同じで、突き詰めると人食いと同じで、何を食べても思い煩うなかれだ。結果主義で無く原因で生きること。
 自分を空気に戻すと食われることはあっても食う事はない。人間は空気で実在界、人間社会は仮想界。しかし今は生かしてくれている事に、恩に仇で返している。それを知ってすると大きな罪だが知らないことで済ましている。
 理解したものだけ出さないと肉体、身体はパンクする。分からないものは出せないし、持っていないものも出せない。今はレベルが低いし、意識が低い。意識が高い人は必ず出すし、言う。そうでないと、得るだけではパンクする。得て物を出すことで健全なままで上達する。原因を求めて歩むものは出す事が必要で、でないとパンクする。


 ものすごい事をしているという意識はない。しかし使命感はある。経験して来た以上はする必要がある。生かされている者の使命であり、理解する為に人間をしている。この世にあまり長くいる必要ない。ここは早く卒業する事だ。そして死んだ後が大事で、死は永遠で墓にはいない。
 古の書は作者不明の物が多い。聖書とて喩え話で書いているが、喩えは消えて行き変化するとの答えを言っているので、そこを修正して読む訓練をする。日本昔話をしっかり読み解くこと。そこには大事な内面的なことが書いてある。
 情報遺伝子をコピーして使う。覚えて使うものではない。意味を理解する教科書を聖書という。お経の意味が分かったら行動して具現化するが、分かっていないのでお布施をもらっている。ない人からもらえないが、感謝という形をもらうのが本当の坊さん。
 
 歯ブラシをするとエネルギーが入って虫歯を防げる。歯科医が倒産したら農業も倒産する。黒字と赤字のギャップがでるのでそれを隠ぺいするが上手くいかない。永続可能は中庸でバランスを取って行く必要がある。儲けても儲けなくても終わる。中性化への経済学が無いと継続出来ない。全体への利益配分をして行くことで永久運動となる。沢山儲けて沢山使う。意識を学ぶ為にお金がある。それを動かすことで人が付いてくる。
「地球、大地を残して原理を伝達する必要がある。」という意識で動いて行く。思いが行動を作り、結果がやってくる。意識が形を作りその過程がある。目的に向かっていくと過程がだまってやって来て動く。悪い想念が全ての効果を失わせて行く。信じる心が薬を上回るので、想念という意識が形を作っていく。
 解ろうと解るまいと行くところに必ず到達する。早いか遅いかだけ。腹減ったら直ぐに何でも食べる。黙って食べるし、ほっとけば必ず食べる。満腹の人に、あーだこーだと言っても入らない。それは知識という栄養がいっぱい入っている人だ。知識が邪魔をする。何を知っているのか?意識が向くかどうか。知識が多い人は必要なところに意識が向かない。ものを知るにはたった一つの方程式が必要。産む必要がある人は産んでいく。お金の正しい取り方、正しい使い方に問題があり、価値がある。
 
 洗濯はエネルギーを抜いて行く方向でする。自然はエネルギーを入れて行くことでするが洗濯の衣は通常、ナチュラルなものであれば成り立つ。住は新陳代謝を起こすものでないとダメ。今の時代に合わせながら中身はナチュラルに生きて行く。灰はエネルギー引き込むので灰の上澄みを飲むと元気になる。どうしたらエネルギー高く出来るかは実践して行くしかない。
 人の身体に触って治す事は出来ない。自分がゼロになって受信機となる。治りたい希望を持っている患者が治したいのが治らない、それを補うのがヒーリング。ただ手をあてて無心になると、無心の世界から患者へ向かう。直したいのは放出化だが自分が無であれば患者が吸引化して楽になる。これがヒーリングで、無に持って行く力。
 エネルギー充電器は圧が上がるだけ。自分が治したという意識でやると害が出る。無心になることが最大の圧を上げる事になる。直したいはエネルギーが抜ける。相手を活かした自分も生きる。お金は対価としてもらって良い。人間にヒーリングしないで地球にヒーリングするという意識の変換がヒーリング。
 人の心を読む。心は意識で素直に何を考えているか見出して行く。分かる事で意識が上って行く。何をやってもエネルギーを出し、無を出す。
 無、中庸、中性を維持することで「我は神なり」でヒーリングする。お金は通貨で通過して生きる。真理は進行形で動いたスピードに応じて出す事。インプットする。少人数だから講演会が出来る。エネルギー欲しい人はどんどん出す事。
 
 宇宙を汚すのは自分の調和しない心で、ギャップのある心。無の心でする。ギャップを作る時は動かす時で、結合は物質を作る時。無形無想はエネルギーの融合。瞑想は融合で神、無と無がくっついて溶け込んでくる。奥念を深めるともっと深い融合になる。奥念とはどうしてそうなのかと突き詰めていくことで、全ては神に至る。表面意識と奥念性は違う。これを自問自答する。
 人間を追究するとどんな人も神へ到達する。全て神が作ったもの。有るものから無いもの、無いものの上は無限に無いもので限りが無い。形ある有限存在は全てゼロへ、霊へ、霊界へ入る。知識を持っているものは無へ行く。
 原点の会話をすること、そこから先があり、終わりがない。有限性から霊界へ入る事が先決で、有限から無限に入る。無限に入る人は無限の仕組みを知っているから入れる。自問自答が始まる。成る程と分かった時は言葉が無く、涙しかない。楽しかったはまだ失敗で、大成功は涙しかない。悲しい涙と湧き上がってくる涙は違う。
 
 奥念性で憶念性ではない。質量は量、目方を見るが質料は種やミネラルなどを表す。発酵も質料で考え、いろいろな種を交ぜて使う。
 真剣に取り組んでも難しい。1つのことを分かったらその見方で他も見る。視点を変えると違う事が解る。固定化は地獄で変換して行く視点が天国。
 興味ある世界でして行くことで継続出来る。好きだから奥念性を求められる。嫌いなものは身が入らない。どんなものも言葉で表現できない。エネルギーが欲しいい人は覚者に問い正していくことをする。出した物しか入らない。
 勉強は何に対してするのか?無をする。極めると無心で、意識を無とする。これが最大のエネルギーの拡大で宇宙に繋がり、自分の意識が宇宙に転換する。自分で体験する。無を勉強し、無心に徹することで宇宙と融合する。その時私は何物だったのか?自分の身体が消えて行く。意識を動かせば人間になる。意識を動かさなければ霊体、原点、エネルギー体で、意識が無いので動かさないと霊体となる。それが瞑想状態。自分が意識して身体が消えないのは未熟で経験していくこと。訓練して行くことを瞑想、ヒーリングという。
 意識を動かさなければ霊体で瞑想を通してエネルギーを拡大して行く。しかし出来る人は少ない。でも諦めてはダメ。酒飲んでやっては難しい。眠ってからやったら良い。瞑想するとすっきりする。その時、意識を寝かせないようにする。肉体を寝かせても、寝ると幽界へ行ってしまう。
 
 霊界へ行くと目の前に地球が動いている。意識が拡大すると福島、仙台の浄化になる。自分の空の意識を持って無心でする。人間の意識を無くすること。「我は人間」、という潜在意識が強いと行けない。「我は神なり」、の暗示を無意識にインプットする。
 無に慣れた時は気持ちが良く醍醐味を味わえる。セックスのような一部の快感でなく全身の快感だ。
 一人一人が努力して行くことがとても重要だ。それはやらざるおえない世界で、これを通らずに天にかえれない。これが即、実在界で天の道を歩むことでしか到達出来ない。
 ゼロのスタートをきり、知って進行形が悟りで、そこで止まっては終わりなので、貫いて行く。無限、宇宙即我を実感する。
 空はあてがっても減らないことを知っているのが霊界。この世であてがえない人は霊界へ行けない。理解した分だけあてがっていくこと。実感したものが全てで、それが霊界の道。
 地獄から天へかえす。失敗は成功の元で理解したことを伝えている意識体は守護神に守られる。自分が霊体で、出して行く意識が肉体を守ることになる。霊界とくっついていくことが自らの守護だ。」
 
 講演会の後半はお話に熱が入って来て修了時間を20分近く超過して終わりました。お話を聞いている私達の意識の集中と、更には昨日からの熱心な聴衆の反応と今朝の農場の視察での我々の取り組みの真剣さが飯島さんの本質に感応して益々同調して来ていたようです。嬉しいことです。
 飯島さんはある覚悟を持って直近の事業に全力投球されるようです。ですからこれから講演会も予定に入れていないようです。そんな中に濃厚なお話を伺えた私達はとても幸運です。そしてこれから貴重な機会を活かせるように善き仲間たちと実践を通して楽しく、原因の世界、天への道を歩み、得たものを出して活かして行きたいものです。
 お蔭様で帰り際に、次回来年の春3月末に再度仙台にお越しいただけることになりました。ありがたきことです。