2013年9月26日木曜日

237「封印4」2013,9,25


 旅も3日目の朝を迎えました。ホテルは海のすぐそばで、朝日が東の海から上がるのが見えるビューポイントですが生憎の曇りで海面から上がるのは見えませんでしたがご来光を頂けました。


今日も予定通り7時半に宿を出発しました。目指す目的地は高知市内にある土佐神社です。
 
 そんな中に今朝、食事前に中山さんに部屋で以下のお言葉がありました。
「この度、この地を訪れて大きなる失望を感じたり。湧き上がる声無く、皆々沈みてそのままを安んじておるは誠に悲しきなり。訪ね行き、響きて光を発し行き、大いなる新しき伝える事はなかなかなり。是よりこの地に起こる数々の事に翻弄されゆくを見るは忍びがたきなり。いや増す光は大きく暴きて動かしましょう。
努めて参る、光の宮を何処にいたすか、後二日、回りて探すこととなる。」
 なんともこの地での反応が無いことに失望しています。後二日で光の宮を探すとのこと。その為の今回の旅ですので成就することを願って今日もスタートしました。



土佐神社は土佐一宮です。祭神、由緒に付いては以下の様です。
「祭神は味鋤高彦根神・一言主神の2柱で古くは単に「土佐大神」と称していた。社伝では、祭神は古くは高鴨神と呼ばれており、元は大和の葛城山に坐していた。その後雄略天皇の怒りに触れて土佐に流され、はじめは幡多郡の賀茂社、そののち土佐神社へ移ったとされる。この際、鳴無神社(須崎市浦ノ内) から宮を定めるためにつぶて石を投げたとされ、これが現在の土佐神社内に伝わるつぶて石の由来としている。」
 高鴨神に付いては旅から帰って改めて由緒を読んでわかりましたが、最終日に驚きの働きを為すことになりますが中山さん始め誰もこの時は何もわかりません。
 この土佐神社は木内鶴彦さんともご縁があります。というのは彼が22歳の時に初めての30分間の死亡体験の時に過去に戻って色々ないたずら?をして、生き返った時に自分がその時代に居た事を証明する為に種々な事をしたと言います。その一つがこの土佐神社の社殿建設の時に本殿の柱に「つ」の字を書いたということで、神殿の前の方から2本目の柱のところです。そして生還されてから神社の柱の「つ」の字を確認できています。
 本殿左の林の中にあるつぶて石の処であわ歌を響かせました。その時のお言葉です。
「只今参上つかまりて、この歌、響き光を届けたるは、この地大きなる元へと還り、広く天地繋がり行くを望みたる為。如何に為し行くかは、その身の古き元をただしたきなり。(拍手)
伝えをいたす。この身と繋がり、この地にて変わりを成すはこの場にありて、永き時待ち望みし方あり、繋ぎて参られよ。(拍手)
嬉しきなり。いやう〜いやう〜いやう〜。」
 お言葉で、変わりを成す為にこの場にあって永い時待ち望んでいた方がいるので繋いで行くように、とあります。果たしてその方はどこなのでしょうか。にわかに朝方の厳しいお言葉が急変し、前途に明るさが見えてきました。やはり古くから祀られたこの土佐神社に参る事が必要だったようです。




 バスは高知市内に入り、名所のはりまや橋、高知城天守閣を車窓から眺めて次なる目的地、加尾の庭に向かいます。

 加尾の庭は予約専門のレストランです。そもそもは高知で著名な経済人として活躍された方の自宅でした。NHK大河ドラマの龍馬伝でこの家は、龍馬の初恋の人、平尾加尾が住んでいたことが分かりました。龍馬が脱藩する時に水杯を交わしたのがこの直ぐ近くの和霊神社です。龍馬と所縁の地です。 加尾の庭 http://www.kaononiwa.jp/



 この会社の社長のOさんと私はご縁を頂き、以前レストランになる前に訪れていました。この土地はOさんのお父様の先代社長が買い求めていてOさんが継承していますが、彼は長年、運輸業界のトップとして高知県の経済界で活躍されている中心人物です。船井幸雄さんとのご縁から精神世界にも造詣が深く、あるご縁で7年前に日本で唯一の1,6トン巨大な水晶を購入されました。その水晶の名前がアースキーパークリスタルPちゃんです。そのPちゃんを自宅に搬入して瞑想や種々の活動に活用して来ていました。
 10時半過ぎに私達が到着するとOさんがお見えになり案内をして下さいました。門を入ると右手に大きな平屋建てのレストランがあり、正面は池とその背景に山の木々がとても良くマッチして心地よい日本庭園です。まずは山の中腹にある六角堂を見学させて頂きました。







 六角堂は水晶、ブラックトルマリン、ローズクォーツなどたくさんの石をバランスよく配合し、水晶の形と同じように配置しています。六角堂に入ることによって水晶の中に入ることと同じ状態を作ります。そこで石たちの波動を受け、マイナスのエネルギーを浄化し、心と体のヒーリング効果を意図して作成されています。建設にあたって以下のように記されています。
「「六角堂」は、何千年周期の中で、必要な時に 必要な人たちが、必要な場所に集うために建設されました。設計にあたり、古くからこの土地で先代たちが守ってきたのもに準じて設計をいたしました。四角形の建物よりも丈夫な六角堂の構造は、一方から強い力が働いても五方向から戻す力が働き、動きに対し弱める力も働きバランスが取れるようになっています。
 今回は、地場調整とエネルギーアップも考え、建物に入れる石を調合し配置しました。基礎には≪静と動≫の石として、≪カーネリアン・ピンクイパール・ヒマラヤ水晶・ブラックトルマリン≫の5種類の石をセメントに練り混んでいます。」




六角堂の前には、番人の「レオン君」が神社の狛犬のように見守ってくれています。六角堂の部屋の上には、大きなサヌカイトのピラミッドが輝いています。床には約二トンの水晶・ローズクォーツ・トルマリンが敷かれ波動を上げる役割を担います。その床の中央に埋め込んだクリスタルボールと3本の水晶が天井に向かって置かれています。更に天井には、大きなクリスタルが地上に向けて吊るされ、天と地をつなぐ役割をしています。何とも言えないエネルギーが身体を癒す感じです。この中にOさん含めて20名の方が入ってあわ歌を響かせました。そこでのお言葉です。
「ようよう辿り着きました。この地にて後2か所、この身の響きを伝えさせませ給え。お願い申す。その後お伝えいたします。」
 この地で後2か所で響かせるとあります。その2か所とは、屋敷内の収めてあるピーちゃんと、もう少し山を登ったところに最近完成したばかりの六角宙(ろっかくちゅう)の様です。

 まずレストランの玄関わきの部屋に収められているPちゃんに全員集いました。ここではOさんご夫妻に巨大クリスタルの前にお座りいただき、中山さんがお二人に向かって全員であわ歌を響かせました。そこでのお言葉です。
「ありがとうございます。この場この地、大切に為さりあなた様のその身を持ちて天地繋ぎて柱と成られ、是より進む新しきを伝えてくだされ。ここにおる岩、石、皆々輝き発します。大きく広きと成りましょう。」
 このピーちゃんの処ではこれまでも沢山の方々のヒーリングセミナーやイベントが開催されていますがOさんご夫妻はあわの歌は初めてです。改めてお役目に気付かれて感動されていました。
 アースキーパークリスタル協会の会長も務められるOさんですが以下の様な紹介文があります。
「アースキーパーとは、巨大なクオーツクリスタルで、人類が肉体を持たないはるか太古、宇宙の中心エネルギーを地球に取り入れるグリッドとして存在しました。そのエネルギーは地球の二酸化珪素に注がれ巨大な水晶となりました。しかし人類は進化し、五感の幻想の世界が広がってくるとアースキーパークリスタルは地中深くに埋められ、人類の進化の全てのサイクルを記録されるようプログラムされました。
 アースキーパーは、ハワイのカウアイ島のヒンドゥー教寺院のものを筆頭に、地球上に12体存在します。そして現在、重要な役割を実行するために次々と地表に現れてきています。その役割の一つは、地球界のサイクルで得られた知識を星界へ送り出し、他の世界での意識発達のために使われます。もう一つは、地球上の祖先たちの意識を送信し、その存在に触れた者たちが高揚し霊感を受けるための媒体としての機能を果たすと言われています。
 アースキーパーは、重要な地点に戦略的に導かれ、新たなエネルギーヴォルティックス(渦の中心)に配置されるといいます。世界の雛形として重要な役割を担う日本の高知にあるアースキーパークリスタル“P-chan”は、叡智の送受信機の役割を果たし、瞑想やワークショップを通して、創造を現実化する為の強力な装置であると考えております。」




 次は六角宙(ろっかくちゅう)です。また庭の左手から登り六角堂を過ぎて山の中に入って行きます。方々に巨石が沢山あります。この山は重要な土地とのことでOさんが数万坪買い増しされたとのことです。確かにその西の方向には何か強いエネルギーが有りそうです。





 六角宙は山の中に六角形に石組みをしてあります。中心部にはクリスタルが設置されています。天と地を繋ぎ、六角堂とピーちゃんを結ぶラインで大きなボルテックスを生み出すように意図されているようです。その中に入ってあわ歌を響かせました。そこでのお言葉です。
「降り来る光をしっかり受けて、ここより発して海、山、川、木々、草草へ運び行き、元成るこの地へ向かわれませ。大きく宇宙は変わり行く。響きは光りと一つなり。皆々響きて下されませ。」
 何か朝の厳しいお言葉の中にあった目指すべき光の宮はこの地であったようです。少し肩の荷が下りた感じです。
 予定を大幅に過ぎて12時半近くに成っています。楽しみにしていたレストランでの昼食の開始です。
 


Oさんがピーちゃん、六角堂、六角宙、加尾の庭等の展開を促した数々の霊的な助言されている霊能者の方がおられます。中山さんはその方に非常に興味を抱かれてお会いしたいとおっしゃいました。Oさんが近所にお住まいなので連絡が付けば可能かもしれないという事で手をつくして下さいました。私達が昼食を食べ始めるころのその霊能者の方をOさんがお連れ下さることが出来ました。


 1時間程別室で霊能者のOさんと中山さん、Oさんの面談会が持たれました。話の内容は解りませんが打ち解けて情報を共有できた有意義な時間だったようです。
 私達は美味しく高級ランチコースを頂きました。皆さん打ち揃った暫しお話して加尾の庭を後にしました。結局4時間程滞在し、予定を2時間余り超過して14時半に出発です。
 私達がこれから足摺岬の唐人駄馬、唐人石に行く事を知った霊能者のOさんのお言葉でOさんが私達全員にと「黒潮と縄文巨石文明」という本をプレゼントして下さいました。唐人駄馬探索協会が出版した調査報告写真集で高額なものです。何にしろ唐人駄馬探索協会の事務局長をOさんがされていた時にまとめられたものです。以前私はOさんに足摺岬であまり人が踏み入れない巨石を案内して頂いたことがありますが、会社経営だけでなく多方面に造詣がある方です。私と中山さんにはOさんの著書「Pちゃん」も頂きました。



 バスの出発をOご夫妻と霊能者のOさんがバスが見えなくなるまで見送りして下さいました。ありがたいことに有形無形の沢山の喜び、光を頂けた素晴らしい処でした。更にこの地から善きご縁が拡がる事を願っています