2024年3月19日火曜日

3371「マシュー君のメッセージ(207)」2024.3.19

今回は玄のリモ農園ダイアリーの2024年3月17日の記事を紹介します。


「マシュー君のメッセージ(207)」2024年3月11日 

玄のリモ農園ダイアリー (moritagen.blogspot.com)

 


 今後起きてくること、ボランティアへの支援、自己愛、ミッション、感情的荷物、普遍的と宇宙的正義

 

マシューです。この宇宙領域にいるすべての魂から心からのご挨拶をします。私たちは折に触れて、地球上のほとんどの人々に根底から衝撃を与えるであろう、今後の出来事について触れてきました。闇の勢力を取り除くために世界がひっくり返されるという点で、劇的な出来事と考えられる時期があるとすれば、それはあなたたちの目前に迫っている時期です。心底驚かされるようなことが明らかになると同時に、エネルギーの高まりによって古代のポータル(入口)が開かれ、宇宙間の標識としてその位置が固定されるでしょう。

ボランティアたちが喜んでエネルギーを得られるような普通ではない現象は、地球人類を混乱させ、恐怖を与えるでしょう。この先数カ月、真実が明らかになるにつれ、信じる人もそうでない人も、心を落ち着かせる必要があります。あなたたちには、それらを肩に担えるだけのマインドと身体と精神の強さがあるだけでなく、いわばあなたたち自身がその強さであり、それ以上の存在なのです・・・ただ、自分がそうであると信じるだけでいいのです。


それでも、あなたたち自身が文明社会全体を引きあげるわけではありません。天使、指導霊、霊界にいるあなたたちの愛する人たち、宇宙文明社会や地球内部からの魂、宇宙特殊部隊など、神の無数の使者の多くも参加を望んでいます。ほとんどの人は姿を見せませんが、彼らのエネルギーがあなたたちのエネルギーと融合するのを感じ、ともに愛の高い波動の津波を生み出し、人々を安定させる助けとなるでしょう。これからの展開は、地球上のすべての魂にとって人生を変えるものとなるでしょう。そして、その変化は宇宙全体に恩恵をもたらすでしょう。


混乱が鎮まり、疲弊した世界が元気を取り戻したとき、第4密度の大掃除が本格的に始まります。その作業のための準備をリストアップするよう求められたら、一番に挙げるのは“自分を愛すること”でしょう。それは虚栄心でもエゴイズムでもなく、自分が人格、性格、才能、スキル、業績を超えたはるかに偉大な存在であることを知ることです・・・あなたたちは創造主の源の愛と光のエネルギーからできたパワフルな多次元の不滅の魂なのです。自己を愛するとは、自分がこの宇宙の至高の存在の切り離せない一部であり、地球上、そしてそれを越えるすべての生命とエネルギー的につながっていることを認めることです。自己を愛するということは、神または女神である自分、ゆるぎない光の中での存在、そして困難で重要な使命における忍耐を尊ぶことです。


あなたたちは、地球の人々が闇から解放され、神の分身であり、私たち宇宙ファミリーの一員であることを思い出す助けをすることを選びました。自分たちが何者であるかという生来の意識を呼び起こすには、あなたたちが本来の自分自身を模範として示すことが必要であり、自己愛はそれを確実かつ心地よく行うための前提条件なのです。愛する兄弟姉妹たち、自分自身を愛し、自分自身を尊び、自分自身に親切であってください!

 

リストの次は、感情的な荷物を取り除くことでしょう。地球の潜在的なエネルギー場では、しっかりしたストリーマー(エネルギーの流れ)とともに、ずっしりとしたクモの巣のような、無数の細長いストリーマーがくっついています。それらの "クモの巣 "を印刷するとしたら、このような文章になるでしょう:「 私は彼らのようにうまくできなかった。もう一回やっても、また失敗に終わるだけだ。私は腹が立ったが、自分のせいでもあるのに彼女を責めるべきではなかった。 彼らは、あの新人に与えた仕事には私がふさわしいことを知っている。それが最後の仕事なら、私は彼に仕返しをするつもりだ。自分のしたことをどうやって償えばいいんだ?」


自己不信、怒り、罪悪感、恨み、嫉妬、自責の念など、低い波動エネルギーの感情は、心に大きな重荷となります。もしそのような重荷を背負っているのなら、どうかそれを捨ててください・・・未来を過去に左右されないでほしいのです。償えるところは償い、現実的な目標を設定し、それを達成するためにしっかりとしたステップを踏み、チームのプロジェクトに全力を尽くし、自分の功績を他人と比較せず、僕たちがあなたを愛しているのと同じように、自分自身を愛してください。


関連する問題として、ワクチンやその他の義務化に関する偏った意見のために家族内や友人間で生じた分裂は、"パンデミック "の多くの悲しい影響のひとつです。 どうか、地球の歴史のその暗黒の章を、このまま破壊に終わらせないでください。傷を癒し、愛情に満ちた関係を回復するには、いわばコインの両面で許すことが必要です: あなたを傷つけた人を許し、あなたが傷つけた人に心から謝罪し、その傷を与えたあなた自身を許してください。


注意深く考え、話すことは、僕たちのリストの上位に入るでしょう。考える、話す、聞く、読む、書くといった言葉は、周波数スペクトルのすべてにわたって波動エネルギーを発生させます。あなたたちが考え、感じ、行動することすべてに言えることですが、あなたたちの決断が、まるで“いいね!”とでも言うかのように、ハートの糸を優しく引っ張るものであれば、その感覚は、その選択が魂の合意に沿ったものであることを確認しているのです。


例えば、あなたたちの多くが自然の中にいたり、笑顔や笑いをもたらすことを楽しんでいるのは、それなりの理由があるからです。それらの活動が生み出す軽やかな感情のエネルギーは、あなたたちの使命と一致しており、その高い波動エネルギーは、愛と光のパワーが最も必要とされる世界のどこにでも流れるように、近くにいるすべての人に触れるのです。だからこそ・・そしてそのように・・ただあなたたちが存在することで、地球の人々が目覚め、自分たちの世界を変えようという気持ちになるのを助けているのです。


最近、僕の母が "宇宙にはいくつの魂があるのでしょうか?"と僕たちに聞いてほしいと頼まれました。僕たちはこう答えました。「わかりません。でも、もしわかったとして、質問者はその膨大な量を理解できるでしょうか?」


深く考え、好奇心を持つことは大いに称賛されるべきですが、その答えを得ることが人生に喜びや興奮を与えたり、人の役に立ったりするのでしょうか?

僕たちがこのことについて言及するのは、何が最高の自分であるために役立ち、何が何の価値ももたらさないかを知ることは大切だからです。そのことを時々考えてみることは、最高の状態に保つのに役立ちます。


「マシューは、“いくつかの国で、彼らの主要人物が何人も処刑された”と言いました。あなたの宇宙領域の魂たちは、個人を死刑にする司法制度への敬意と、すべての生命を尊重し、誰も裁かず、思いやりと共感を感じ、許しを促すスピリチュアルな教えとをどのように調和させるのでしょうか?」


僕たちはそれらの制度と教えを調和させようとはせず、むしろ、それぞれが明確に異なる存在として評価します。無条件に僕たちは神聖な教えを尊重しますが、あなたたちの司法制度を尊重することはできません。僕たちは、政治的利益を促進したり、反対勢力を排除するような誤った判決を目にします。民間が運営する刑務所は、取るに足らない違反の個人で埋め尽くされ、誤った弁護のために無実の人が投獄されたり、自由への道を賄賂や恐喝、脅迫で切り開くことができる罪人を守るために投獄されたりしています。このような状況は、今後変わっていくでしょう。


上で引用したコメントの中で、処刑の問題を取り上げたいと思います。しばらく前、読者から“合法的な殺人”についての質問があり、僕たちはメッセージで回答しました。お母さん、その回答の該当部分を挿入してください。


  人道に対する罪を犯した者が投獄されても、あなたたちの世界の闇を完全に消し去ることはできません。“パンデミック”を計画し実行した個人、性売買や小児性愛に関与した個人、悪魔の儀式に参加した個人、その他の残虐行為を行った個人は、闇の操り人形です。彼らが地球に生きている限り、彼らの思考や感情は最低の波動エネルギーを生み出し続けるでしょう。


  波動エネルギーは高くても低くても伝染します。喜びや笑いといった高い波動エネルギーがいかに早く広まるかは容易にわかります。低い波動エネルギーの広がりは、その破壊的な進路を覆すには手遅れになってから初めて気づくのです。だからこそ、闇の勢力は他の宇宙文明社会を消滅させ、惑星全体を消し去ることができたのです。そのパワーが2度にわたってあなたたちの世界の古代文明社会を乗っ取り、ずっと後になって、この惑星を深い第3密度へと転落させることができたのもそのためです。ガイアはそのようなことが再び起こることを望んでいません。 [2022年11月1日]


ありがとうございます、お母さん。闇が再び地球に危険なまでに根を張ったとき、神は人命救助の援助を許可されました。光の大量注入、何百万人ものライトワーカーのボランティア、宇宙人特殊部隊は、記念碑的な援助「パッケージ」の一部であり、もう一つの部分は、闇に飲み込まれた個人の肉体的寿命を終わらせることです。


第三密度の肉体は一度だけの転生のための乗り物なので、死んだらどうなるかについて話しましょう。その人のエーテル体とその人を唯一無二の存在にしていたもの・・・知性、知識、人格、性格、態度、興味、適性など・・・はすべて、その人の生涯を通じての自由意志による行動のエネルギーと同じエネルギーがあるニルヴァーナのレベルに自動的に引き寄せられます。


そのような特定のレベルでの人生は、宇宙の正義と考えられるものの一面であり、もうひとつは、その人が人生において触れたすべての魂の正確な感情を含む生涯の映画であるライフプリントの見直しです。霊界に移行して間もなく行われるこの見直しは、その人の生涯のエネルギーが、親切で思慮深く、親切で思いやりのある性質の反映である人にとっては喜ばしい経験であり、そのレベルでの人生はすばらしいものです。


闇の操り人形のエネルギーは、彼らを柔軟で多層的なニルバーナとは別の、何も逃れることができないほど濃密な組成を持つ小さなオーブへと引き寄せます。そこでのライフプリントの見直しは延々と続き、苦悩に満ちたもので、その個人が引き起こした膨大な死と苦しみの犠牲者の生涯の再現となります。


光は彼らにとって忌み嫌われるものであるため、救いの恵みとなるきらめきが見えるだけです。もし彼らがそのきらめきを受け入れれば、さらなる光が与えられ、そしてそれが受け入れられれば、ゼロから人生をやり直すのに十分な意識が生まれるまで光が与えられます。その魂は、行動に影響を与える知性や記憶を持たず、本能的に機能する形で肉体を具現化します。その原始的なレベルから、思考し、理性的で、責任感のある個人へと進化するには、何千年もかかるのです。


究極の正義は宇宙にあります。創造主は、すべてのその創造物が喜びを感じ、創造的な活動をすることを期待し、創造主もそれを経験することができたと言われています。 そして、最も古い時代のしばらくの間、それが起こりました。その後、ルシファーとその信奉者たちが暴走し、それ以来、彼らの一部は転生するたびに大規模な苦しみ、殺戮、惑星の荒廃を引き起こすことになったのです。


彼らは最高神からの神聖な恩寵の申し出を一貫して断っており、彼らを止める唯一の方法は彼らのエネルギーを変換することです。しかし、他のすべての魂と同様に、彼らは創造主の本質を受け継いでおり、創造主だけが、完膚なきまでの悪人となった創造物の密度を処理するのに十分な力を持っています。すべての意識と記憶を消滅させることで彼らのエネルギーを浄化した後、創造主はその愛と光のエッセンスを自分自身に引戻します。


完全に公平で中立的な普遍的、宇宙的な司法制度の存在は、あなたたちのスピリチュアルな教えの価値を少しも下げるものではありません。彼らの光は社会をスピリチュアルと意識的レベルで導くのに役立っています。彼らの進歩に伴い、司法制度はすべての人に公平に奉仕するようになり、犯罪行為がなくなるまで投獄は減り続けるでしょう。文明社会が第5密度において繁栄するとき、地球の霊界の独立した一部であった小さなオーブはもはや必要とされなくなり、地球やニルヴァーナから遠く離れていくでしょう。


親愛なる皆さん、これからの混乱の向こう側では、地球とその文明社会の未来が輝いています。統一意識が生まれ、地球が愛、喜び、調和、繁栄の波動エネルギーで輝くまで、その進歩は続くでしょう。もしあなたたちが次のステップに進んだとしても、どこにいてもその輝かしい世界を見ることができ、地球ファミリーがそれを顕現させる手助けをしたという壮大な充実感を感じることができるでしょう。


この宇宙にいるすべての光の存在が無条件の愛のパワーで、あなたたちに声援とサポートを送っています。

        ____________________

愛と平和を

[スージーからのメモ:パナマでの素晴らしい時間を祝福してくれたみなさんに心から感謝します。結婚式にまつわるたくさんのお祭りも、ビーチでのアクティビティも、長年の友人の94歳の誕生日を祝うことも、滞在中すべてが素晴らしかったです!親愛なる家族、特に10人の美しい曾孫たちと一緒にいると、90年という歳月がいかに早く過ぎ去るものかということがよくわかりました。]

スザンヌ・ワード著

原文:Matthew’s Messages  訳文責:森田玄


2024年3月18日月曜日

3370「優しさは真実(正義)に勝る」2024.3.18

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年03月09日の記事を紹介します。


「優しさは真実(正義)に勝る」


今日は、昨年秋に掲載した記事ですが、必要な方がいらっしゃるようなので、 

少し加筆・修正して掲載いたします。

 

私たち人間は弱いものです。

・正しくありたい

・優しくしたい

・笑顔でいたい

・人の役に立ちたい

そう願っていても、何時も弱い心が頭をもたげます。 

また逆に、

・私は正しい

・私の言う通りに動け・・

と、無意識のうちにマウンティングしてしまい、自分勝手な正義感を振り回し、 

・人を批判し

・糾弾し

・追い詰め

または、感情を外には出さなくとも、心モヤモヤしたり。 

そして、

・自分勝手な価値観に沿って、家族を含め、他人を動かそうとします。 

そして、人がそれに従わないと 

・猛烈に批判を浴びせ

・憎み

・足を引っ張り

・仕返しをしようとします 

または第三者に告げ口し、自分は正しい、相手は間違っているという

お墨付きを得て、モヤモヤを解消させようとしたりします。 

また、心弱い私たちは、何が正しいか、分ってはいても、なかなか一歩踏み出せないでいます。

生きている間は、ずっとその葛藤かもしれません。

でも諦めないでください。

みんながそうなんです。

そこが出発点なんです。

ブッダがこう仰いました。

・嘘をつけないような人になっては いけない

・優しさは真実に勝る

ブッダの仰りたかったことは、 

相手を思いやる優しさや、調和の為の嘘は、真実(正義)よりも尊い・・

と言う事を仰ったのでした。 

また、こうも仰りました。


捨戒の法

ブッダが仰るには、仏教徒が戒律を破るとき、 

いま仏教を捨てます、と天に向かって言います。

そして、酒を飲んだり、戒律を破る。

その後、また仏門に帰依します、と言って戻れば、それで良いのだよ。


ブッダは人間の弱さを知っていました。

そして温かい目で人間を見ていました。

過ちを見て、人を切り捨てるようなことはなさいませんでした。

人を追い詰めることはなさいませんでした。

ブッダは戒律重視ではなく、優しさ(慈悲)を教えていたからです。

  

次に良寛さんのエピソードをご紹介します。 

良寛さんの甥に、馬之助という放蕩息子がいました。

良寛の弟の由之は息子の放蕩に困り果てて、兄の良寛さんに説教を依頼します。

良寛さんは故郷の由之の家に出向き、馬之助の前に座らせられましたが、

酒を飲んでばかりで、いつまでたっても説教しませんでした。

とうとう三日目の朝「わしはもう帰る」と言って良寛さんは家を出ようとしました。

そのとき馬之助の母は馬之助に、良寛の草鞋の紐を結んであげるように言いつけました。

馬之助は言われるまま草鞋の紐を結び始めますが、それでも良寛さんは黙ったまま。

と、そのとき馬之助は、自分の首に何かが、落ちてくるのを感じました。

見上げると、そこには目に一杯涙をためた良寛さんの顔がありました。

それをきっかけに、たったこれだけの出来事をきっかけに、馬之助の放蕩は、すっかりやんだということです。

良寛さんは、馬之助の心の

・苦しさや

・悲しさや

・それを放蕩で紛らわせざるをえない 苛立ち

をただじっと見ていました。

煩悩だと知りつつも、煩悩に引きずり回されるのが私たち心弱い人間です。

人間の悲しさ、苦しみは、いつでもそこから生まれてきます。

悲しみを持った人に、自分勝手な価値観を押し付けたり、くどくどと説教したり、良寛さんは、そのような事はしませんでした。

ただ馬之助とともに、じっと悲しみ続けるだけでした。

馬之助の父親の由之や母親は、息子の表面的な損得や、世間体から心配したかもしれません。

ですが、馬之助の心と、じっと一緒にいてあげたのは、良寛さんでした。 

 

人は弱いものです。

いくら正しい道を示されても、

「こうであるべきだ」と正論を教えていただいても、なかなかそう簡単に行きません。

でも本当はそうしたいのです。心では分かっていますから。

そして、それが自分には簡単にはできないとわかると、 

結局あきらめてしまい、また元の苦難の日々に埋もれてしまいます。

正しい道を示されても何の役にも立ちません。 

ですが、良寛さんのように心を理解し、心に寄り添い、

「今のままでも、良いんだよ」と、見守ってくださる人がそばに居れば、 

私たちは徐々に、光の方向に進んでいけるかもしれません。

心弱い私たちは、煩悩で、あちこち頭をぶつけながら、人に迷惑かけながら、お世話になりながら、だんだんと、あちこち角が取れて、おかげ様の心が芽生えてくるでしょう。 

そして、 

・おかげ様

・お互い様

の感謝の心が芽生えた時、その辛く、苦しい経験をしたがゆえに、

同じような苦しみ、悲しみの中にある人の

心の内を理解して、良寛さんのように寄り添えるのかもしれませんね。



2024年3月17日日曜日

3369「神さまを認める」2024.3.17

  今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年03月08日の記事を紹介します。


「神さまを認める」


今日のお話は、ご自分だけでなく、ご家族や、親しい人たちまで幸せにする方法です。 

もし身近に、どうしても助けたい人が居るとして、でも私たち周りの人は、

その人の運命に介入することができません。

その方の生まれる前に決めてきた目的や手段に介入することができません。 

ですが、心配で心配で仕方ない身近な人とは、 

例えば

・病気の子供、家族

・早くに亡くなった子供

・自然死ではない亡くなり方をした身近な人

この方々との関わりに置いて、私たち自身が胸を痛めているのであれば、 

私たちが、押しつぶされそうに胸を痛めること自体も、

その方の生まれて来た目的達成の手段(必要なこと)であったはずです。 

では、その目的とは何であったのでしょうか?

・私たちが残りの人生を嘆き悲しむため?

・周りや世間、自分の運命を呪うため?

・いつまでも、めそめそ、下を向き、その場にとどまり続けるため?

そうではないはずです。

そんな目的のために、その方は、貴重な、今回の人生を使いたいと思うわけがないからです。

私たちが、いつまでも、何時までも、その状態にとどまり続ければ、

苦しい役割を引き受けて生まれて来た、その方の貴重な人生が無駄になってしまいます。 

神々からも承諾を得てきた目的や手段は、必ず、触れ合う、影響し合う周りの方々の、感情を大きく揺さぶり、心を揺り動かし、逆境や苦難の中で、神々の光を見つけ、前向きに方向転換して欲しいからではないでしょうか?


私たちが、その方との触れ合いを通じ、苦難の中でも、心の中に神々を見つけた時、その方の、生まれて来た目的は達成され、苦しい人生を選んだことも、報われるのではないでしょうか? 

どんな時も、変われるのは、私たち自身です。 

私たちが変わることで、その方を含め、関わり合う全ての人たちの大きな目的が達成されます。 

それでは、私たちがどのように変わったら良いのか? 

お話を始めます。 

今日は「神さまを認めること」というテーマで、

元春日大社の宮司であり、かつ医学博士であった葉室頼昭さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 


みとめる。この言葉を漢字で書くと「認める」という字になりますが、これでは意味がわかりません。

「みとめる」とは、本来は「目を留める」ことであって、じっと見つめるということではないかと思います。

この頃はすべてがスピード化し、無限の情報が瞬時に入ってくるというめまぐるしい世の中となり、何か一つのことをじっと見つめたり、みとめたりということが、だんだんとできなくなってきています。

その上、すべて理屈・我欲中心の世の中になってしまったため、世の中の本当の姿、神様のお姿というものが、みとめられなくなってしまいました。

みとめるということは、どうすればできるかと言いますと、

相手と同じものを自分が持っていないと、みとめることができません。

例えば、世界的な名画を見ても、こちらに絵の知識や素養がなければ絵の良さが分りません。

ですから、神様をみとめるということは、

こちらに神様がなければ神様をみとめるということはできません。

 

そのため、昔から祖先達は常に、お祓いということを行なってきました。

神様が素晴らしい姿に人間をお創りになったのですが、人間は知識を得たために、理屈でモノを考えるようになり、そのため、本来の姿が見えなくなりました。

これを罪・穢といいます。

罪とは悪いことをしたという意味ではなく、本来の姿を包み隠してしまうこと。

また穢とは汚いという意味ではなく、我々を生かしてくださる神様の気を枯らしてしまうことで、これらはすべて理屈・我欲であります。

ですから、この罪・穢を消してしまえば、本来の神様の姿が現れて神様をみとめることができるのです。

今の日本人は、すべて理屈でモノを考えるようになりましたので、

テレビや新聞を始め毎日毎日悪いニュースばかりを報道しています。

つまり悪いことを認めているのですから、世の中はますます悪くなるのは当たり前です。

そうではなく、たとえどんな悪い状態が現れても、それを幸せに変えていくということが一番大切なことです。

例えば病気でも、皆悪いことと考えておりますが、自分の考え方により、病気も幸せに変わっていくことはいくらでもあります。 

昔からよく言われている一病息災ということは、一つの病気を持ったために、返ってそれが幸せとなり、長生きをしていく人はいくらでもいます。

昔から言霊といって、言葉には「たましい」があると言われておりますが、

これも本当のことで、 

・良い言葉を言えば幸せが、

・悪い言葉を言えば不幸がやってきます。

ですから、いくら時代が変わり世の中が変わろうとも、

そしてどんな厳しいことが現れてこようとも、自分の身体の中に神様をみとめて、

生かされていることに感謝をするということが一番大切なのです。

 

■20ccのミルク

赤ちゃんの手術の翌日、赤ちゃんが20ccミルクを飲んだとする。

経験の浅い看護師は、「20ccしかミルクを飲みません。どうしましょう」と言う。

お母さんが不安に思う。すると赤ちゃんの容体が悪くなる。

逆に、ベテランの看護師は、「20ccも飲んでくれました。よかったですね」と言う。

それを聞いてお母さんが安心する。

すると赤ちゃんが元気になってくる。

同じ20ccでも、経験の浅い看護師は、一日に何cc飲むかというところから考える。

そうすると、「20ccしか・・」という言葉になる。

ところが、ベテランの看護師になると、20cc飲んだということは、回復力が出てきているということで、「20ccも・・」という言葉になる。

同じ20ccでも見方によって、まるで違ってしまうということですね。

<引用終了>

 

人間は「徳」を持って、はじめて人間と言えるのかもしれません。

・神さまや祖先に感謝する。

・親を敬い大切にする。

・自分以外の人や世間の幸せを考えて行動する。

・自然の素晴らしさに感動する。

「徳」という神様に最も近い性質は、神さまが人間にだけ与えられたものかもしれません。

私たち人間が生きている短い数十年間

その間に「徳」を積んで行くということが、神さまと約束してきたことかもしれません。

人生のいろいろな経験でそれを磨くことによって、 

私たち人間の真実の徳が現れ、本当の神さまの目的である神さま自身に近づいていきます。

いかにして徳を磨いて、この世界に現すか?

それが、神に最も近いものとして作られた人間の定めかもしれません。 

そして、私たちが日々積み重ねた「徳」は、 自分たちだけでなく、私たちの子や孫、

さらには、遥かにさかのぼって、何代もの祖先さえも幸せにするといわれています。



 

2024年3月16日土曜日

3368「死を選んだ娘」2024.3.16

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年03月07日の記事を紹介します。


「死を選んだ娘」


私は死んだ。

自分で死んだ。


気づいた時、目の前にかすかな光が見えてきた。

それはだんだんと大きな光となり、光の塊となった。

太陽よりも明るいけれど、全然まぶしくない。

暖かく、優しい思いが伝わってくる。

気が付けば周りには、沢山の懐かしい人々。 

笑っている。

「お帰り」、「お疲れさん」、「頑張ったね」

沢山のねぎらいの言葉、そしてハグ。

そう、ここは私がもともと居た場所、そして心の内を何でも話せる気の置けない仲間たち。

一通り、懐かしい仲間との挨拶が終わると、だんだんとここでの暮らしの記憶が蘇ってきた。

今終えたばかりの地上での人生をスタートする前、私はこの人たちと、ここで暮らしていた。

  

そしてある日、私は生まれ変わりの順番が来たことを天使に告げられたのだ。

「次の人間としてのイノチ。神様に会う前にテーマを決めておいてくださいね」

天使は私にそう言って、遥か高次元の神様の国に戻っていった。

そして、その日が来た。

神さまとお会いし、今回のイノチのテーマを決め、生まれる環境を決める日だ。

「テーマは決まりましたか?」

根源的な光の塊、愛の塊。そうとしか表現のできない存在。

姿は認識できないけれど、圧倒的な愛と許しの存在が話しかけてくれた。

「神さま」一瞬で理解できた。

懐かしい私の魂の故郷。

遥かなる時間のかなた、宇宙が生まれた時、同時に私はこの神様の光の塊から生まれたのだった。

「はい、神様。私は今回の地球への転生が、肉体を持ち生まれる最後の転生です。 

ですから今回の転生の目的は、縁ある人に悲しみの感情を味わっていただくということにしました」

地球に転生を希望する魂は多い。

何故なら、そこでは肉体を持ち、

自分の意志ではどうにもならない不自由な暮らしを強いられるけれど、

感情を持つことができるからだ。

感情とは喜怒哀楽、肉体がある時だけ味わえる感覚、経験である。

 

その感情とは理性的な生命体にとって、不合理で理不尽な判断を下してしまいがちであり、

幼稚な生体反応であるが、宇宙に住む沢山の生命体があこがれる経験だ。

なぜなら、その感情こそが、それをバネにして、爆発的なジャンプ力を持って、

魂の飛躍的な進化を遂げることができるからだ。

地球より、何億年も文明の進んだ星々では、感情を捨ててしまって久しい星々もあるが、

更なる集合的な魂の進化のために、時として、地球への転生を組み込んでさえいる。

何故ならその喜怒哀楽の感情は、

昇華さえできれば、神々の愛に非常に近い高度な意識の経験をすることができるからだ。

また喜怒哀楽のうち、今回私の選んだ「悲しみ」の感情は、

それを乗り越えた時、魂の進化を促進するために、一番効果の高い感情である。

進化の進んだ魂にしか選べないテーマである。

それゆえに数えきれない魂の輪廻を経て進化の階段を上ってきた魂にとって、

この地球上で経験する「悲しみ」の感情、

そしてそれに包まれた人生は、最後の大きな試練でもある。

まだ魂のレベルが幼いうちは、

その「悲しみの人生」を選ぶことを神様は決して許してくれない。

私は、数多くの地球での転生で、沢山の喜怒哀楽を経験し学んできた。

「悲しみ」の経験も既に数多く乗り越え、最後の最後、今度は愛する縁のある魂たちに、

その「悲しみ」を経験してもらう立場になった。

悲しみを経験してもらうことは、感情の星、地球ではとても辛いことである。

誰でも愛する人に悲しみなど与えたくないし、誰しも泣いているよりも笑っていたいからだ。

それでも魂たちは、地球での経験の総仕上げの段階では、

みな「悲しみの人生」の関門をくぐって、魂の進化の総仕上げをする。

 

そして私の決意を聞いて神様は仰った。

「わかりました。それでは、そのテーマを遂行するために最適な、場所と時代、環境を準備しましょう」

「その悲しみに耐え、魂の糧にできる両親を探しましょう」

そうして神様が全ての段取りをしてくださった。

平成時代の日本。仲の良い、まだ若い両親。

この両親とは、ともに地球上で親子が逆転したり、性別が逆転したり様々であるが、30回ほど一緒に転生を繰り返し家族として暮らしたことがあった。

彼らもまた、地球卒業の近い進化した魂たちだ。

家族となる魂たちは、神様を交え、今回の人生のテーマを話し合い、ある時期に私自身が、自らのイノチを絶って、家族に最大限の「悲しみ」の感情が演出されることとなった。

そういう約束をして、皆で合意し、励まし合って、私は地上に生まれたのだった。

生まれたばかりの私のイノチ、若い両親はとても喜んでくれた。

ワクワクした気持ちが赤ん坊の私にも伝わってくる。

何気ない日々の暮らしを積み重ね、私たちは家族としての時を刻んでいた。

でも約束の時は、刻々と近づいていた。

私が自らイノチを絶ち、天に帰る時。

そのタイムラインをコントロールする神様の御業は完璧だ。

悪役を引き受けて下さった魂の仲間たちも、自分の役割を魂として、正しく理解している。

地球での経験では、この崇高な目的は肉体を持つ人間には全てが隠されている。

何故なら、私たちは魂の進化のために、完璧にその役になり切り演じ切ることで、

飛躍的な魂の進化が遂げられ、そして地球での「感情」の経験が最大限実を結ぶからだ。

崇高な目的は隠されている。

私にも、協力してくれた悪役の仲間たちにも、

そして最大限の「悲しみ」の感情にさらされる両親たちにも。

私は死んだ。

ひとりぼっちで自分で死んだ。

私は忘れていた、この人生の目的を思い出しながら天に帰って行った。

果たして両親たちは、この魂の最後の試練に耐えられるのか?

それとも、悲しみの感情に押しつぶされ、当事者を憎み、世間を憎み、心を閉ざし、

暗黒の闇の中で残りの人生を過ごすことになるのか?

私は神様と約束した。

「神様。私の今回の転生の目的は、

縁ある人に悲しみの感情を味わっていただくということにしました」

もし、愛する娘、つまり私の死を通して、一度は大きな「悲しみ」のダメージを受けても、

人を許し、自分を許し、そのことで魂を深い愛で溢れさせ、 

人間としての最後の関門をくぐることができるのか?

そして、その溢れる崇高な愛を、周りの人々に注ぐことができるのか?

私は、こうして天に戻り、その人生の目的を思い出し、今度は、「悲しみ」を与えた愛する残された両親の、残りの人生の生き方を見守る立場となった。

神さまの計らいで、二人の感情も自分自身の感情として体験している。

今、二人には深い悲しみが広がっているけれど、

時の経過とともに必ずそれを乗り越えて欲しいと願っている。

魂の約束を果たして欲しいと願っている。

今や、肉体を持たないけれど、両親が悲しめば、私も辛い。

喜べば、私も嬉しい。

両親が人を憎めば、私の心は、血の涙を流す。

自らの手で、愛する両親の心を憎しみと言う深い闇で満たしてしまったからだ。 

心の地獄に追い込んでしまう結果となったからだ。

お父さん、お母さん。

どうか、この辛い時を乗り越えて、魂の糧としてください。

私は、どんな時も、あなた方のイノチが尽きるまで側で見守っています。

同じ気持ちを味わっています。

このような魂の仕組みを作ってくださった神様に感謝いたします。

ありがとうございます。

 

2024年3月15日金曜日

3367「神々の恩寵」2024.3.15

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年03月06日「神々の恩寵」と2024年03月11日「感謝の心」の2つの記事を紹介します。


「神々の恩寵」

お金や物質など、目に見える物のみを信じ、それを手に入れるために人の心や命までも奪おうとする勢力と、物の後ろに隠れている目に見えない神様の心を大切にしようとする勢力が、今、最後の大きな戦いの最中です。

神仕組みに従って、ほぼ決着がついたようです。

時代は確実に変わろうとしています。 

 

新しい「心の時代」に入るためには、私たち自身の心も、同じように清らかな波動にしておく必要があります。 

神々を信じ、人の心を、自分と同じように大切に扱うこと。 


では、今日も新しい時代を明るい心で迎えられるように、心のお話を掲載します。 

「ありがとう」

そう私たちが言う時、感謝の念と共に、この言葉を口にします。

また小林正観さんが仰るように、全く感情(感謝の念)を込めなくとも、ただ言葉を発するだけでも良いと言われています。 

感情を込める、込めないに関わらず、いつの間にか、自然と、無意識に涙のこぼれる時が、訪れるそうです。 

春日大社の元宮司、葉室頼昭さんの仰るように、 

神々の恩寵は、いたるところに、平等に注がれているのに、それを受け取れる人、受け取れない人がいる。

その違いは、「感謝の心」を持つかどうか? 

感謝の心を持つことで、その心を媒介として神々の祝福が、現実化されると仰っています。

日本には、縄文の古くの時代から、日本人特有の生きざまがありました。 

フランシスコ・ザビエルなどの時代、世界の中で、日本が発見(再認識)された時、 

進んだ西洋文明の人々が、驚異と畏敬の念で、日本人の中に発見した生きざまです。

それは、 

・自然を敬い、

・和をを尊び、

・足ることを知り、

・平和を愛し、

・助けあい、

・お互いさま、お陰さまの気持ちで生きる、 

まさに 日本の 古神道と言われる生き方です。  

まさに日本人の生き方そのものが、神道であると言われています。 

ですから、私たちの心を縛るものは一切ありません。 

支配し、コントロールしようとする者もありません。 

私たちの心は、本来の無垢の姿を失わず

伸びやかに、躍動的で、神々の創造の世界を生きることができます。 

  

私たち日本人は、古くから自然や天候、山、川、動物、植物の中に神々を見出し、 

・生かされていることに、

・そして命の恵みを頂くことに 

感謝の思いで日々を生きてきました。 

・これが無い、あれが無い

・人に認められたい、愛されたい

・あれも欲しい、これも欲しい

・人より上に立ちたい

・尊敬されたい、一目おかれたい 

そんな意識はこれっぽっちも持ちませんでした。 

ですが、時代が下るにつれ、ものが溢れ、物質文明が発達し、

持てる者、持たざるものが生まれ、嫉妬の心が生まれました。 

欲しいものが手に入らなければ、幼児のように、駄々をこね、拗ねて(すねて)、 

不平不満、愚痴を外に吐き出します。

嫉妬します。

口から吐き出された不平・不満・愚痴、そして、嫉妬と疑心暗鬼の心は、漆黒の渦のエネルギーとなり、ご自分だけでなく、身近な人まで巻き込んで不幸の種となることでしょう。

これらのエネルギーは時空を超えて滞留し、悪しき出来事の温床となります。 

逆に、感謝の心、ありがとうの言葉を口にして、助け合い、認め合い、足るを知る心を持ち、 

笑顔で日々暮らしていくならば、神々のエネルギーで満たされ、物は無くとも、健康ではなくとも、そこには笑顔が絶えず、幸せなエネルギーで満たされることでしょう。 

ありがとうの言霊 

この言霊は、その深い意味を知らずとも、それを発する者の周りを、このような神々のエネルギーで満たす力があります。

不平、不満、愚痴を言う前に、もし嫉妬の心に駆られてしまったら、黒いエネルギーを吐き出す代わりに、まず、感謝の言霊、「ありがとう」を口に出してみてください。 

最初は、苦痛かもしれません。

「あ」という言葉も言えないかもしれません。

ですが、小林正観さんが仰るように、念仏のような、呪文のような言い方でも、最初は構いません。 

試してみてください。 

きっと、あきらめさえしなければ、いつかは黒い霧は晴れ、気付けば爽やかな日が差し込み、

神々の恩寵が現われてくることでしょう。 

ご自分も、ご家族も笑顔で、お幸せになれるでしょう。  

  



「感謝の心」


この肉体の最後の時、

「あぁ、いい人生だったな」ってつぶやいて天に帰りたいと思いませんか? 

いい人生だなと思えるのはどんな人生でしょうか? 

・全くお金に困らない裕福だった人生

・ずっと健康で健やかだった人生

・沢山の友人、知人にめぐまれた人生 

なのでしょうか?

それとは逆に、「あぁつまらない人生だったな」って言う人生とはどんなでしょうか?

・貧乏な一生だった

・病気がちの一生だった

・ちょっとの親友しかいなかった 

そんな人生でしょうか? 

私は思います。 

良い人生だったと言えるのは、最後の最後、「ありがとう」と感謝の言葉を残せる人生

悪い人生だったと思えるのは、心に憎しみや嫉妬、恨みを残したまま逝く人生 

それは、目に見えるものや、地位や名誉、健康などに依存しません。 

ただ自分の心の持ちようだけです。 

心が、肉体の最後を迎える時、どのような状態であったか? 

でもそれは死ぬ時だけに限った話ではありません。 

 

空海は仰いました。

「生きているうちに、天国にも地獄にも、生きることができるのだよ」って

このことを即身成仏と言います。 

そして死の直前の意識状態は、死後の世界にも大きな影響を与えます。

肉体が無くなれば、波動の世界。 

思ったこと、考えたことがすぐさま現実化する世界ですから、

死の直前の心の状態が、そのまま自分の周りに出現します。 

私たちは神様と同じように創造する力を与えられているからです。

タイムラグはありますが、この生きている物質世界でも同じことです。 

ですから、

・よりよく生きるとか

・感謝の人生を送るとか

・周りの人たちと仲良く助け合って生きていくなど 

そのように生きていきたいならば、自分の心をそのような状態にしておけば、

自然と、周りが整い、心と同じ状況が出現します。 

何時までも状況が好転しないのは、 自分の心の中に 

・社会や誰かを憎む心

・呪う心

・嫉妬の心 

などが巣くっていて、何時までも黒い霧、無明が晴れないからです。 

苦しい状況が現れる時、

神様は、同じくらいの祝福を、後ろ手に持って用意してくださっています。 

一旦、自分の置かれている状況を受け入れ、許し

「ありがとうございます」と感謝の言葉を言うことができた時 

無明は晴れ、神々の祝福がふんだんに表れてくることでしょう。

神々の恩寵は、「感謝の心」を媒体とするからです。

  


2024年3月14日木曜日

3366「麻疹ワクチンの歴史に見る『人為的介入の有害性』」2024.3.14

 今回はIn Deepさんの2024年03月11日の記事を紹介します。


麻疹ワクチンの歴史に見る「人為的介入の有害性」

https://indeep.jp/basic-harms-of-measles-vaccine/


このままでは何百年も続く医療戒厳

スイス・ノバルティス社の元上級医学科学専門家だったユホン・ドン博士の記事は、以前から取り上げさせていただくことがありました。

mRNA ワクチンの「切断された mRNA 」の問題や、子宮頸がんワクチンなどに含まれているアルミニウムやポリソルベート80(脂質ナノ粒子)の問題については、このドン博士の記事で知った部分が大きいです。

今日、そのユホン・ドン博士が、「麻疹ワクチンが私たちの自然免疫をどのように変えるか」というタイトルの記事をエポックタイムズに寄稿していました。それをご紹介させていただこうと思います。

麻疹(はしか)ワクチンについては、日本でも世界でも「麻疹が流行しているからワクチンを打て打て」という報道で満ちているのですが、この単純化した思考にドン博士は警鐘を鳴らしています。

ドン博士の記事は、後半でご紹介するとして、少し前に以下の記事を書かせていただきました。

麻疹の歴史に見る「ワクチンの威力」。そして、感染症の流行を制御できるのは自然の成り行きだけ、と改めて思う

In Deep 2024年2月13日

以下のようなグラフなどを示しまして、それらのグラフは、本来なら、どんな感染症でも「自然に終息していく」ことを明確に示しています。

人口10万人あたりのイングランドの麻疹の死亡数の推移(1838 - 1978年)


 

それでも、世界は「とにかく感染症にはワクチン」という強い信仰で覆い尽くされていまして、それは一般の人と共に「医療従事者に誰よりもそのような医療信仰が強くある」わけです。

これがどれくらい続いているかというと、実際には何百年ということになるのでしょうけれど、例えば、約 100年前のスペインかぜの時の、世界の「インフル対策」はどうだったかご存じでしょうか。

以下は、英語版 Wikipedia の「スペインかぜ - 公衆衛生管理」からの抜粋です。

1918年のスペインかぜの際の公衆衛生管理

学校、劇場、礼拝所の閉鎖、公共交通機関の制限、大規模な集会の禁止など、社会的距離を保つ措置が導入された。

マスクの着用は、日本などの一部の場所では一般的になったが、その有効性については議論があり、また、マスク使用への抵抗もあった。

ワクチンも開発されたが、これらはインフルエンザウイルスではなく細菌に基づいていたため、二次感染にしか役立たなかった。

さまざまな制限の実際の施行はさまざまだった。ニューヨーク市の保健局長は、地下鉄の混雑を避けるため、時差シフトで会社を開閉するよう企業に命じた。

Spanish flu

100年経っても、世界はまったく同じことをやったわけですよ、コロナの際に。

この同じページには「医療」という項目があります。以下です。

スペインかぜ - 医療

ウイルスを治療する抗ウイルス薬も、細菌の二次感染を治療する抗生物質もなかったため、医師たちは、アスピリン、キニーネ、ヒ素、ジギタリス、ストリキニーネ、エプソム塩、ヒマシ油、ヨウ素など、効果の程度が異なるランダムな組み合わせの薬に頼ることになった。

瀉血、アーユルヴェーダ、漢方などの伝統医学の治療法も適用された。

Spanish flu

 

おわかりでしょうが、こんな「医療」をするくらいなら、何にもしないほうがいいことは明らかなんです。おそらく、これらの公衆衛生管理や「医療」が、状況を悪化させたであろうことは想像に難くありません。

どれだけ凶悪な株であろうと、インフルエンザに「安静」以上の薬はないです。上にありますような、キニーネ、ヒ素、ジギタリス、ストリキニーネ、ヒマシ油…というような、よくわからないながらも、おどろおどろしい「医療」は必要なかったはず。

今だと、解熱剤にタミフルでしょうかね。

(参考記事)インフルエンザ患者にタミフルを処方しても入院は減らないという最新のメタ研究  BDW 2023年6月14日

(参考記事)子どもがみんな解熱剤でやられてしまうIn Deep 2022年8月27日


全部要らない。

ともかく、100年前から「何もしない」という対策や治療法はまったく取り入れられることがなく、そして、今はさらにそれが拡大しているだけということになっています。

私自身は、お医者様の数が今の三分の一以下などに減ったとすると、国民の健康状態は非常に良好になっていくと考えていますが、いつかは減るのは減るでしょうけれど(mRNAワクチンの効果で)、それでも、それはずいぶんと先の話であり、現状のような病気ばかりの時代においては、

「効く効かないは関係なく、何かをする」

という方法論が続いていくのでしょう。

しかも、このような方法論は、むしろ「人間を弱くしていく」ことにつながることが、今回ご紹介するドン博士の麻疹ワクチンについての文章でもわかります。

できる限りのところまでは「自然にまかせる」という方向以外は、真の治療、治癒、というものは成立しないのではないでしょうか。

人間は結構強いですので、こんな医療信仰の中でも、人々は長生きしたりしていますが、その長生きの方法論自体が不健康だと私は思います。

早く死ぬとか長生きするとかの問題ではなく(そんなのは本来、個性)、自分の健康と人生を不自然な他者による方法論に身を委ねるというのが不健康だと感じます。

しかしまあ、こういう主張も、今となってはほとんど通じない社会なのかもしれません。あまりに長く医療信仰の時代が続きすぎました。

ここから、ユホン・ドン博士の記事ですが、非常に長い記事です。抜粋にしようとしましたが、どこを省いていいのかわからず、結局、全文翻訳になりました。

麻疹ワクチンが私たちの自然免疫をどのように変えるか

How Measles Vaccines Alter Our Natural Immunity

Epoch Times 2024/03/10

ワクチンは、ウイルスと戦うには抗体が必要であるという理論に基づいて構築されている。しかし、研究によると、抗体は必須のものではなく、免疫力を変化させる可能性さえある。

 


抗体を産生できない子供でも、麻疹から十分に回復することができる。

麻疹ワクチンは麻疹の蔓延を阻止する役割があると長年言われてきた。はしかの症例発生の原因をワクチン接種率の低さのせいにしている人も少なくない。

私たちがよく聞くメッセージはシンプルなものだ。「ワクチンのおかげで、私たちは病気から守られている」というものだ。

しかし、私たちの体は複雑で、ワクチンに常にうまく反応するとは限らない。異物を注入すると悲惨な結果を招く可能性がある。この記事の主な焦点は、麻疹ワクチンの原理と安全性を検討することだ。

 

麻疹は抗体なしでも回復可能

(コロナの)パンデミックは誰もがワクチンの科学を学ぶ機会にもなった。ワクチンは体を刺激して、ウイルスと戦うことができる「抗体」と呼ばれる物質を生成する。

科学者たちは免疫を測定するために主に抗体に焦点を当てているが、免疫システムは、はるかに複雑なものだ。

1960年代、 現在、教科書に引用されている研究が、麻疹ウイルスを根絶するには抗体が必要であるという歴史的見解を揺るがした。科学者たちは、抗体を持たない病気の子どもでも麻疹から回復できることに驚いた。

これらの子どもたちは、抗体を産生できない免疫不全である無ガンマグロブリン血症(遺伝性の免疫不全疾患)として知られる先天性疾患を患っていた。

驚くべきことに、彼らは他の人々と同じように麻疹から回復した。

子どもたちは麻疹の典型的な症状を示し、自然免疫を獲得した。

彼らの血液中に麻疹抗体は検出されなかったが、自然免疫や Tリンパ球機能などの他の免疫機能が損なわれていなかったため、ウイルスを効果的に排除することができた(論文)。

さらなる分析により、血液中の抗麻疹抗体は病気からの回復や再感染の予防には不必要であることが判明した (論文)。この啓示は、かつて広く受け入れられていたものの根幹に疑問を投げかける。ワクチン産業の基礎となる抗体の不可欠な役割は、麻疹との戦いにおいて私たちが信じ込まされてきたほど重要ではない。

抗体なしでウイルスを排除できる場合、論理的には抗体は必須ではないということになる。この概念は、有名なオーストリアの哲学者カール・ポパーが示唆したように、論理学の基本原理と一致している。

つまり、普遍的な記述は、単一の本物の反例によって反証することができるということだ。

さらに、T リンパ球は、身体が麻疹ウイルス感染と闘う際の適応免疫において一般的な指揮官の役割を果たす。子どもの Tリンパ球が正しく機能していない場合、致命的な麻疹関連疾患を引き起こす可能性があることは驚くべきことではない。

しかし、報告されているように、T 細胞免疫の刺激におけるワクチンの積極的な役割はわずかであり、有害でさえある可能性がある

 

私たちの奇跡の免疫システム

私たちの複雑な免疫システムは、分子から細胞まで何層もの複雑な防御層によって昼夜を問わず精力的に働き、ウイルスや細菌から私たちを守っている。この自然免疫は、ワクチン接種の有無に関係なく機能する。

私たちの奇跡的な免疫システムは、肺、腸、目の中にある平らな細胞の薄い層である上皮表面から始まる、強力な防御の第一線を提供する。

麻疹ウイルスは主に気道を介して感染する。気道では粘膜上皮細胞が、細胞を抗ウイルス状態にするインターフェロン物質を自動的に分泌することでウイルスのライフサイクルに干渉する。

他にもさまざまな免疫細胞があり、それぞれがウイルスと戦う独自のスキルを持っている。

これは興味深い疑問を引き起こす:抗体産生を刺激するように設計された外部麻疹ワクチンの導入は、私たちの複雑な自然免疫防御にどのような影響を与えるのだろうか。

一部のワクチンが利点よりも多くの問題を引き起こしている可能性はあるのだろうか。

あるのだとすれば、麻疹ワクチンもおそらくこれに当てはまる。特定のワクチンの問題を紹介する前に、麻疹ワクチンの歴史を簡単に説明し、ワクチンがどのように相互に関連しているかを示す。

 

麻疹ワクチンの歴史

麻疹ウイルスは、RNA ウイルスに特有の高い突然変異率を持っている (論文)。ウイルスの複製プロセスはあまり正確ではなく、エラーを修正するメカニズムが欠けている。つまり、ウイルスが複製するとき、ウイルスはそれ自体の正確なコピーを生成するのではなく、ウイルスの多様なファミリーのように、わずかに異なるバージョンを多数生成する。この状況は急速に変化し、ワクチンの効果が低下する可能性がある。

1954年、ウイルス学者のジョン・エンダース氏と小児科医のトーマス・ピーブルズ氏は、ヒトの腎臓組織で初めて麻疹ウイルスを培養することに成功した (論文)。デビッド・エドモンストンという名前の 11歳の少年からの麻疹ウイルスは、「エドモンストン株」として知られる最初のワクチン源となった。

弱毒麻疹ワクチンの最初のバージョンは、エンダース氏による 3年間の研究の成果であり、その中にはヒト腎臓組織培養で 24継代、ヒト羊膜細胞培養で 28継代、鶏の受精卵で 6継代、ニワトリ胚細胞培養で 13継代が含まれている。

改変されたエドモンストン株は、注射されたサルに強力な抗体反応をもたらしたが、発熱、ウイルス血症、発疹は発生しなかった。

1963年に、上記のように、不活化 (「死滅」) 麻疹ワクチンと弱毒化生ワクチン (エドモンスト B株) の両方が米国で承認された。

弱毒化ワクチンでは発熱や発疹が見られる接種者が高頻度に発生したことや、不活化ワクチンでは予防効果がなかったため、両方とも次の2~4年で廃止された。

1964年、エドモンストンB株をさらに 85継代して得られた生ワクチンでさらに弱毒化された(シュワルツ株)ワクチンがナイジェリアの治験で試験された。

この試験では「さらに弱毒化した」ワクチンがエドモンストンB株ワクチンよりも優れており、発熱や下痢の症状が大幅に少ないことが確認された。これは米国以外の国でも使用されていた。

1968年に、別の生ワクチン(エドモンストン・エンダース株)が米国で承認された。このさらに弱毒化した生ワクチンは、おたふく風邪と風疹(MMR)、またはおたふく風邪、風疹、水痘(MMRV)と組み合わせて使用されることが多く、麻疹に使用される主なワクチンとなった。

 

「非定型麻疹」

米国で最初に認可された不活化麻疹ワクチンは、 4年間(1963年から1967年)の使用後に一時的な免疫しか得られず、その後麻疹に感染したワクチン接種を受けた子どもたちが「非定型麻疹」として知られる重度の反応を発症したことが判明し、使用中止となった (論文)。

これは、ワクチン接種を「最新」に受けていた人も感染する可能性が高いことが判明した新型コロナと非常によく似ている。

1967年の米国医師会の研究では、以前に不活化麻疹ウイルスワクチンを受けた 10人の子どもが 5~ 6年後に非定型麻疹疾患を経験したと報告された。

この病気は 2~ 3日間の激しい発熱、頭痛、筋肉痛または腹痛を引き起こした。頭痛の程度によっては、中枢神経系の関与が示唆されることがよくある。

脳機能障害は、脳波計で電気活動の乱れが認められた患者 1名で示された。ほぼ全員の子どもが浮腫や肺炎などの重篤な合併症を経験した。

この発疹は、自然の麻疹から発生した発疹とは明らかに異なっていた。

自然麻疹の発疹は通常、最初に顔に現れ、首、胴体、腕、脚、足に向かって広がるが、非定型麻疹の発疹パターンは通常逆の順序で現れる。

非定型麻疹では、通常、足首や手首などの遠位端から始まり、手のひらや足の裏を含み、その後体幹に広がり、多くの場合顔面には影響を及ぼさない。

これらの症状は、注射された麻疹ワクチンに対する急性の播種反応を示唆している。

症例の中には、ワクチン接種から数年後に重度の非定型麻疹を発症し、肺炎と異常な発疹で入院した 6歳の少女もいた。発疹は、1961年に不活化麻疹ワクチンの筋肉注射が行われた部位と考えられる右臀部に独特の濃度で進行した。

現在の麻疹ワクチンはもはや不活化ワクチンではなく、生ワクチンであると言う人もいるかもしれない。

しかし、非定型麻疹の現象から得られる重要な洞察は、ワクチンがウイルスと戦う免疫システムの自然な方法を妨げる可能性があり、それが好ましくない結果を引き起こす可能性があるということだ。

2018年の研究では、麻疹ワクチン接種を受けた生後 12~ 2 か月の小児に麻疹のリスクが関連していることが示された (論文)。

その記事ではこれらの画期的な症例の正確な診断は提供されていなかったが、 2006年から 2009年にかけてインドで発生したいくつかの流行では、非定型麻疹の症例も報告されている (論文)。

 

敵か味方か?

ウイルスに曝露された一部の小児に麻疹抗体を投与することは、麻疹の発症を回避することを目的としており、1960年にはすでに報告されていた。当初、このアプローチは成功したように見えた。なぜなら、これらの子どもたちは感染症によく関係する発疹を発症しなかったからだ。

同様に、弱毒化麻疹ワクチンの最初のバージョンに関連する症状を軽減するために、医師はワクチンに麻疹特異的抗体(免疫グロブリン)を投与することがよくあり、アメリカ疾病管理センターはこれを推奨している。このアプローチにより、発熱や発疹など、生きたウイルスに対する明らかな反応は軽減されたが、潜在的に深刻な結果を引き起こす可能性があった。

1985年のランセット研究では、 注射された麻疹抗体と予期せぬ長期免疫障害との間に有意な相関があることが示された (論文)。

麻疹を予防するために、ウイルスに曝露された後に麻疹抗体を受け取った子どももいる。その即時の結果として、麻疹感染の典型的な兆候である発疹は見られなかった。

しかし、麻疹による発疹がないと、免疫障害が長引くため、成人になってから免疫系障害を引き起こす可能性がある。

この研究では、麻疹ウイルス感染中に抗体が注射されると、体の自然免疫、特にウイルスを殺す T細胞の能力が妨げられる可能性があると述べられている。

その結果、ウイルスがより生存しやすくなり、体内に潜んで残り、後で再発したり、さらなる問題を引き起こしたりする可能性がある。著者たちは、麻疹曝露後に免疫グロブリンを使用しないよう警告した。

関連する可能性のある免疫疾患には、関節炎、エリテマトーデス、多発性硬化症、心膜炎、甲状腺炎、結合組織病、クローン病、脂漏性皮膚疾患、骨変性疾患、および特定の腫瘍が含まれる。

麻疹の発疹は、体の免疫、特にキラー T細胞免疫が麻疹ウイルスと効果的に戦っていることを示す重要な兆候だ。T細胞免疫は、粘膜障壁を越えて私たちの体に侵入するウイルスと戦うために重要だ。

同様に、ワクチンで生成された抗体は、私たちの体に害を与えたり、自然免疫を妨害したりする可能性のある免疫反応を引き起こす可能性がある。このような調節不全の免疫は、非定型麻疹やワクチン接種後の関連合併症の一因となる。

 

重篤な脳の問題との潜在的な関連性

麻疹ワクチンに使用されるウイルスのさらに弱毒化されたバージョンも、私たちの脳に影響を与える可能性がある。

麻疹ウイルスには免疫抑制作用があり、神経系の合併症を引き起こす可能性がある。麻疹感染後の重篤な脳疾患は亜急性硬化性全脳炎 (SSPE)であり、脳脊髄液および血清中に異常に大量の抗麻疹抗体が存在することが特徴だ。

SSPE は麻疹罹患後数年後に発症する可能性があり、思考、運動に進行性の問題が生じ、最終的には昏睡状態に陥って死に至る。

1967年以来、麻疹ワクチン接種後の脳関連の問題が報告されている(論文)。その後の調査では、脳組織の炎症である脳炎に焦点が当てられた。

さまざまな国での遡及分析を含む観察研究では、麻疹ワクチン投与後の脳症または脳炎の症例が報告されている。麻疹ワクチンによる脳症の発生率は、100万回の接種につき約 1~ 11例と計算されている。

2003年、アルゼンチンの研究者たちは、1998年の麻疹流行時に生後 6~ 10か月で麻疹に感染した 8人の小児グループを研究した。彼らは 1年以内に麻疹ワクチンの初回接種を受けており、その4年後にSSPEを発症した (論文)。

脳は広範な組織損傷を示し、血液および脳脊髄液中には高い抗麻疹抗体が存在した。脳組織内のこの異常に高い抗体レベルは、潜在的な要因として麻疹ワクチンについてのさらなる調査を正当化する不穏な警報を引き起こす。

1970年代には、麻疹の自然感染後の SSPE の発症率は小児 100万人当たり 5~ 10人 または 5~ 20人と報告されていた。しかし、21世紀に入り、報告される SSPE 発生率は麻疹症例 100万件あたり 40~ 110件に増加した(論文)。

研究者たちは、ワクチンへの躊躇が集団免疫の欠如とその後の SSPE を引き起こしていると非難している。しかし、ワクチン接種率の低さだけを SSPE の原因とするのは合理的ではない。SSPE は免疫力の異常を示しており、さまざまな免疫因子によって引き起こされる可能性がある。

イタリアのプーリア州は、 MMRV (麻疹・風疹・水痘・おたふくかぜ)ワクチンの初回接種後の有害事象を積極的に監視し、1000回の接種当たり 462件の有害事象が見つかり、そのうち 11%が重篤と考えられた (論文)。

これらの重篤な有害事象のうち、1000回接種あたり 38件は MMRV ワクチンに直接関連していた。これは、イタリア医薬品庁の受動的報告システムによって報告される割合よりも大幅に高い。

 

自閉症との潜在的な関連性

1998年のランセット研究では、消化管の慢性炎症と自閉症を含む退行性発達障害を発症した、以前は健康だった 12人の子どもを調査した。これらの子供たちの両親と医師は、自閉症の発症を麻疹ワクチン接種と関連付けた。

12人の子供のうち 8人が MMR ワクチン接種を受けていた。MMRワクチン接種から症状発現までの平均期間は 6日で、範囲は 1日から 14日であった。

この研究には、文書化された病歴と検査室、神経学的、組織学的記録が含まれる。研究者たちは、麻疹ワクチン接種との潜在的な関連性を示唆した。

興味深いことに、少なくとも 4人の患者で血清抗体レベルが異常だった。著者たちは自己免疫とその疾患との潜在的な関連性について議論し、さらなる研究が行われる必要があると結論づけた。

麻疹ワクチンがワクチン接種を受けた幼い子どもたちに免疫および神経学的合併症を引き起こしたかどうかを判断するには、科学的な議論を促進し、さらなる臨床研究を実施することが不可欠だ。これが真実を見つけ、正確な情報を得る唯一の方法だ。

このランセット論文は、その科学的価値にもかかわらず、産業界と政府によるメディアの取り込みにより、撤回を余儀なくされた。

メディアはワクチン接種率の遅れの原因として「信頼性のない」研究を不当に非難した。これは、新型コロナワクチンの論文でも観察されたパターンだ。

 

麻疹ワクチンに対する合理的な反省

医療技術開発の基本原則は「まず害を与えない」ことだ。

理想的には、私たちは健康へのリスクを最小限に抑えながら、ウイルスに対する免疫システムを強化するワクチンを求めている。私たちは、病気の人を治療するのではなく、病気を予防するために健康な人にワクチンを接種するので、リスクははるかに高くなる。

安全性と有効性の理想的なバランスを達成しているワクチンはまだないことを認識することが重要だろう。ワクチン開発における広範な研究と進歩にもかかわらず、固有の制限と複雑さを乗り越える必要がある。

侵入するウイルスと効果的に戦うには、免疫系によって生成される適切なレベルの高品質の抗体が不可欠であり、この事実は広く認識されている。

しかし、麻疹の場合、ウイルスを殺すために抗体は必須ではなく、不必要に注射された抗体は短期的および長期的に害を及ぼす可能性がある。

さらに悪いことに、ワクチン接種の原則の誤解や誤用は、ウイルスとの継続的な戦いを大きく脅かす可能性がある。過去 3年間、世界はパンデミックの最中に、実証されていない新しい mRNA 技術が導入され、多くの人々がそれを実験することを余儀なくされるのを目の当たりにしてきた。残念なことに、現在多くの人がこのために、未知の長期的な影響に直面している。

麻疹ワクチンをめぐる現在の物語は多面的だ。それは病気の予防に役割を果たしてきたが、その有効性は栄養、自然免疫、公衆衛生対策などの他の介入ほど重要ではない可能性がある。

前述したように、安全性に重大な懸念があることに注意することが重要だ。

科学界にワクチンに関する懸念を公然と議論する自由がないことが懸念される。

透明性と説明責任を実現するには、有意義な対話を通じて、検閲されていない科学的証拠を厳格に調査する必要がある。

人間の免疫システムの複雑さとその複雑な生物学的メカニズムを認識することが最も重要だ。理論的には、ワクチンは免疫システムをサポートするが、その有効性は最終的には内部要因に依存する。

将来の病原体に備えるには、自然免疫を高める取り組みを含む包括的なアプローチが不可欠だ。

結論として、ワクチンの安全性と有効性を微妙に理解し、オープンな対話に参加し、情報に基づいた意思決定を行うことが不可欠だ。現在のワクチン接種戦略の限界を認識し、免疫と病気の予防に対する総合的なアプローチを採用することで、刻々と変化する情勢の中で公衆衛生の複雑さをより適切に乗り越えることができるだろう。



2024年3月13日水曜日

3365「心が変わらなければ」2024.3.13

 今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年03月01日「心が変わらなければ

と2024年03月05日「美しい魂」の2つの記事を紹介します。


「心が変わらなければ」


今日のテーマ「心が変わらなければ」です。

人は、自分で経験してみないと、他人の苦しみや悲しみなどを、本当の意味で理解できないかもしれません。 

苦労や悲しみ

闇を知った瞳でなければ、光を知ることはできないからです。 

 

幼子とマリア 闇を見た瞳

 

自分で経験した

・悲しみ

・苦しみ

・孤独

・不安 

は、たとえその最中は、苦しくて、切なくて、息をするのも絶え絶えになるほどで、 

どれだけ布団をかぶって声を押し殺し、涙を流したか、分からないほどかもしれません。

 

ですが、その経験こそが、

神さまの恵みかもしれません。 

しかし、そのような深い意味の分からない私たちは、このような状態の時、とかく安直に 

・神頼み

・医者頼み

・薬頼み

・他人頼み

・霊能者頼み 

に陥りがちです。 

手っ取り早く、早く楽になりたいから、自分では何もせず、自分以外の何かに、頼り、依存し、丸投げしがちです。

ですが、このような苦難は、

神様が、私たちの魂を輝かせようと、他人の痛みのわかる人間になって欲しいと、

私達の生まれる前の、私たち自身の計画通りに、起こしてくださった出来事です。 

  

安直に、そこから逃げ出したとしても、また別の時、形を変え、役者を変えて

同じ現象が起こります。 

私たちが気づくまで 何度も何度も、例え、神様や霊的な能力のある人、

神社でのご祈祷、お祓いなどで、一時改善されたかに見えても、 

私たちの心が変わらず、以前のままで

他人依存、執着、憎しみの心のままでは、 

そこから発せられる波長に引き寄せられて、

また同じ現象が現れることでしょう。 

自らの心が変わらない限り

周りの現象は、根本から解決することはありません。

 

「天、自ら助くる者を助く」という言葉があります。

自分自身で、自分の心を見つめなおし、

一歩一歩、もともとの清浄な心に近づけていくことが幸福への王道だと思います。 

心がもともとの清浄な状態に戻るまでは、神さまは、沢山の環境を与えてくださいます。

・病気

・貧困

・別れ

・死

・裏切り

・いじめ 

これらを通じ、ボロボロになりながらも、魂は磨かれ、鍛えられ

ついには、このような環境の中でさえ、感謝の心」が芽生えることができた時、 

この出来事は役割を終えます。 

このような環境の中に置かれた時、 

安直に、

・誰かに依存するのではなく、

・丸投げするのではなく、 

じっくり、その感情を自ら味わった後、 

神さまは「何故、その環境を今、与えてくださったのか?」

深く考え、感謝の心に変化させたいものです。 

感謝の心が芽生えた時、 

その環境を引き寄せた、心の灰汁(あく)が消滅し、

神さまからいただいた、もともとの清浄な魂が顔を出してくれることでしょう。 

 



「美しい魂」


諸行無常という言葉があります。

時は刻々と変化し、この地上にあるものは、一時も同じ状態にあるものはなく、変化を続けています。

変化の力こそが、この宇宙の進化の推進力となるからです。

唯一変化しないもの。

それは神様の真理だけです。

人間である私たちも、同じ場所に立ち止まってばかりいるわけにはいきません。

取り巻く環境も変化をするし、家族、友人を含め、人とのつながりも変化していきます。

出会いがあり、別れが繰り返されます。

時には死によって強制的な別れがもたらされることもあります。

数年前まであんなに仲良く一緒にいた人たちが、今ではほとんど接触がなかったり疎遠になったり。

逆に、昨年まで見ず知らずの人たちが、新しい友人として、存在したり。

毎週毎週、親しくお付き合いしているかもしれません。

永遠に続くと思われた家族との幸せ。

もしかしたら、それも突然の死によって、終わりを告げるかもしれません。

私たち人間は、深い悲しみやショックを受けると時が止まり、その状態から抜け出せなくなります。

ひどいときには自分の魂が分割してしまい、その一部を、その時間と空間に置いてきてしまうことさえあります。

生霊と同じ原理です。

魂を分裂させた場合、本来のエネルギー100%の状態から、グンと生命エネルギーが減少します。

そのままの状態では、私たちの魂の属するグループ全体は進化の道を行くことができませんから、必ずいつかどこかでどこかの時間で、私たち自身が分断された魂を集めなおし統合するしかありません。

深い悲しい出来事は、私たちの魂にショックを与え、生まれて来た目的を一旦ストップさせ、

長く続く悲しみの中で、まるで明けることのない暗闇の中に放り込まれたような感情を味わうかもしれません。

そのショックが起きた時と、空間に魂の一部を置いてきてしまうかもしれません。

 

ですが、その「深い悲しい出来事」も、本当は、私たちが生まれてくる前に計画してきたことです。

「深い悲しい出来事」を与えてくださった方々も、私たちの今世の計画に協力するために、

その計画を手伝い、「深い悲しい出来事」を起こしてくださいました。

全ては、私たちに「悲しみ」という強い感情を味合わせ、それを契機として、魂の進む方向性を変えるためです。

そのために、嫌な役回りを引き受けてくださいました。

もし私たちが、その「深い悲しい出来事」のために魂の進化の停滞を起こし、何時までもいつまでも明けることのない深い暗闇の中の住人でいたとしたら、その嫌な役を敢えて引き受けてくださった方々はどう思うでしょうか?

それは、

・早くに亡くなる子供かもしれません。

・とことん意地悪をしてくる同僚かもしれません。

本当は、そのような人たちも、光り輝く魂の持ち主でした。

今世に置いて、約束した役割を果たすために、その輝く魂を一旦封印しているだけです。

もし、そのお相手の方が、まだ生きていらっしゃるなら、その約束してきた役割が全うされた暁には、本来の光り輝く、美しい魂の輝きを、思う存分に、生きてるうちに現してくださることでしょう。

もし今、嫌な方が周りに居られるのなら、感謝の気持ちで、今世の役目が早くに全うされるのを祈ることが良いかもしれません。

役割さえ果たされれば、本来の美しい魂に、そして二人の間にあった本来の美しい友情関係に戻れるからです。